第33話:永遠の結界、愛の標(しるし)
「――パパ、そこどいて。ママと一緒にお花を育てるの、僕なんだから!」
ガルディニア帝国の、かつて「空間迷宮」と呼ばれた私宮の中庭。
そこに、ヴァルター陛下に瓜二つの鋭い黄金の瞳と、リーゼロッテ譲りの美しい銀髪を持つ五歳の少年――ルディウス皇子が、小さな手を振りかざして叫んでいた。
彼の周囲には、生まれ持った才能である「白銀と黄金の混ざり合う多重結界」が展開され、父親の接近を頑なに拒んでいる。
「……ふん、生意気な小僧だ。リーゼロッテが朝一番に淹れてくれた茶を共に飲む権利は、この国の皇帝である私にしかない。……ルディウス、貴様はさっさとエドムントの元へ行き、魔導式の基礎でも叩き込まれてこい」
三十代を迎え、ますますその威厳と魔力に磨きがかかったヴァルター陛下は、息子相手に本気の「皇帝の威圧」を放っていた。
かつての冷酷な皇帝は、今や「妻の時間を息子と奪い合う、大人気ない父親」としての側面を、側近たちの前で隠そうともしなかった。
「……あらあら。お二人とも、朝から元気ですわね」
テラスから現れたのは、時を経てもなお、その美しさが神格化され続けている皇后リーゼロッテだった。
彼女は今や、帝国の内政と魔導開発を支える「慈愛の賢后」として、大陸全土にその名を知らしめている。
……もっとも、彼女を拝もうとする他国の使節は、今だに陛下の「個人的な嫉妬心」による厳重な検問を突破できずにいたが。
「ママ!」
「リーゼロッテ!」
二人の「最強の男たち」が、同時に彼女の元へ駆け寄る。
ルディウスは彼女の腰に抱きつき、ヴァルターはその肩を引き寄せて、独占欲を誇示するように彼女の額へ接吻を落とした。
「……ヴァルター様、ルディウスが拗ねてしまいますわ」
「構わん。この小僧には、この家務(家庭)の序列を叩き込んでおかねばならん。……君を最初に見つけ、君のすべてを支配するのは、この私だということをな」
「ひっひっひ。陛下、相変わらずですなあ。お陰様で、皇后様の『独占禁止法』に触れるような魔道具は、飛ぶように売れてやすぜ」
影から現れたマルコは、今や大陸一の商会の長となっていた。
その後ろからは、さらに重厚になった鎧を鳴らし、ロザリンが騎士団を引き連れてやってくる。
「皇后陛下! 本日の軍事演習の視察、女性近衛隊は準備万端ですわ! 陛下に邪魔されぬよう、私が鉄壁の防御陣を敷いてご覧に入れます!」
「ロザリン、貴様……! また私のリーゼロッテを連れ出そうというのか!」
***
賑やかな声が響く中、リーゼロッテは、かつて自分がいた「場所」を思い出していた。
雨の夜、冷たい地面に伏して、ただ死を待っていた孤独な少女。
あの時、自分の価値は「石ころ」以下だと思い込んでいた。
けれど今、彼女の瞳に映るのは、自分を必要とし、愛し、奪い合おうとする人々。
彼女が丹精込めて組み上げた魔導式は、もはや「孤独を防ぐ壁」ではなく、この大切な「家族」と「国」を繋ぐ、温かな光となっていた。
「……ヴァルター様」
リーゼロッテが、夫の大きな手を握りしめる。
ヴァルターは少し驚いたように彼女を見つめ、やがてその表情を、世界で彼女にしか見せない柔らかな慈愛へと変えた。
「どうした、リーゼロッテ。……何か、欲しいものでもあるのか? 星でも、他国の王冠でも、君が望むなら今すぐ――」
「いいえ。……ただ、今のこの幸せが、あまりに眩しくて。……私をあの夜、拾ってくださって……本当に、ありがとうございます」
ヴァルターは一瞬絶句し、やがて彼女を壊れ物を扱うように、力強く抱きしめた。
「……礼を言うのは、私の方だ。……君という光が、私の暗黒だった世界を照らし、愛という名の理を教えてくれた。……リーゼロッテ、君を離さない。……この命が尽き、魂の形が変わっても、私は何度でも君を見つけ出し、再びこの腕の中に閉じ込めてやる」
それは、呪いよりも深く、どんな魔法よりも強固な「愛の誓約」。
「……はい。……私も、ずっと、あなたの隣にいます。……永遠に解けない、最高の結界を張って」
空には、かつて不吉とされた銀の月が、今は帝国の繁栄を象徴するように美しく輝いていた。
孤独だった聖女は、もうどこにもいない。
そこにあるのは、世界で一番重い愛に包まれた、幸せな一人の女性の姿。
ガルディニア帝国の伝説は、これからも愛という名の結界に守られながら、語り継がれていくことだろう。




