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第32話:英雄への賛辞と、皇帝の閉ざされた庭

 「終焉の獣」との決戦から数週間。

 ガルディニア帝国の帝都は、かつてない祝祭の熱気に包まれていた。

 人々の口から語られるのは、空を焼き尽くした皇帝の破壊力ではない。緻密な魔導式で世界の理を書き換え、揺りかごの皇子を守り抜いた「白銀の皇后」リーゼロッテの、神々しいまでの英姿えいしであった。


「――リーゼロッテ様こそ、真の救世主だ!」

「彼女の祈りが、帝都を救ったのだ! 皇后陛下の肖像画を、国中の教会に掲げるべきだ!」


 民衆の歓喜の声は、王宮の厚い壁を越えて、皇帝の執務室にまで届いていた。

 だが、その執務室の主、ヴァルター陛下は、およそ「勝利の英雄」とは思えないほど、どす黒い独占欲のオーラを全身から放っていた。


「……エドムント。聞こえるか。……民衆が、私のリーゼロッテを勝手に『自分たちの聖女』に祭り上げようとしている。……不愉快だ。……今すぐ帝都中に『皇后に関する一切の言及を禁ずる』という禁令を出せ」

「陛下ぁぁぁ!! それは無理ですぞ! 民は純粋に感謝しているのです! それを禁じれば、暴動が起きますわ!」


 エドムントが頭を抱えて叫ぶが、陛下の黄金の瞳は本気だった。

 彼はデスクを叩き、椅子から立ち上がった。


「感謝など、私一人がすれば足りる! 彼女の尊い魔導式の構築も、あの虹色の結界も、私とルディウスだけが見ていればよかったのだ! ……ロザリン! 貴様、先ほどから何をニヤついている!」


 部屋の隅で、ロザリンは恍惚とした表情で自身の盾を磨いていた。


「陛下……聞こえますか、あの歓声を。私は今、帝都中の乙女たちから『リーゼロッテ様の近衛隊に入りたい』という志願書を、山のように受け取っております。……ああ、皇后陛下を囲む、女性だけの鉄壁の親衛隊……。夢のようですわ!」

「貴様ぁぁ! 私のリーゼロッテを、女共の園に閉じ込めるつもりか! 許可せん、断じて許可せんぞ!!」



 ***



 その頃、リーゼロッテは、日差しが降り注ぐ中庭で、ルディウス皇子を抱きかかえながら穏やかな時間を過ごしていた。

 隣には、マルコが用意した「最高級の癒やし効果を持つ茶葉」の香りが漂っている。


「……ひっひっひ。皇后様、今やあんたの名前一つで、隣国の不渡り手形が黄金に変わるほどの価値がついてやすぜ。……どうです? 『リーゼロッテ印の守護お守り』、一千万個ほど発行しちゃあ……」

「マルコ、冗談はやめてくださいませ。……私はただ、この子が健やかに育ち、ヴァルター様と静かに暮らせれば、それでいいのですから」


 リーゼロッテが微笑むと、ルディウスが「あぅ、あぅ」と、彼女の銀髪を小さな手で掴んだ。

 その瞬間。


「――その通りだ、リーゼロッテ。……やはり、私の考えは間違っていなかった」


 凄まじい風を巻き起こし、ヴァルター陛下が中庭へ降臨した。

 彼はマルコとロザリンを風圧で追い散らすと、リーゼロッテを椅子ごと抱きしめるようにして囲い込んだ。


「ヴァルター様? そんなに血相を変えて、どうなさったのですか?」

「……決めたぞ、リーゼロッテ。……明日から、この王宮の中庭を『概念的な特異点』として切り離す。……許可なき者は、たとえエドムントであっても、ここへ辿り着くには一生をかけた迷宮探索が必要になるだろう」

「……また、極端なことを」

「極端ではない! 外では君を女神だの救世主だのと呼ぶ声が止まない。……このままでは、世界の理が君を天界へ連れ去ってしまうのではないかと、私は夜も眠れんのだ! ……君は、人間の女として、私の腕の中で、老いて朽ちるまで私に愛されるべき存在なのだ!」


 陛下の瞳には、世界を救った英雄としての傲慢さは微塵もなく、ただ「最愛を失うこと」を病的なまでに恐れる、一人の男の切実な熱情が宿っていた。


 リーゼロッテは、くすくすと笑い声を上げた。

 かつてサンクチュアリ王国で、雨の中、誰にも見向きもされず捨てられた自分。

 そんな自分を、世界中が欲しがり、そして世界で一番強い男が、子供のように必死になって隠そうとしている。


「……ヴァルター様。……私はどこにも行きませんわ。……私の魂に刻まれた魔導式は、すでに『ヴァルターの妻』という定義で、強固に固定されていますもの」


 リーゼロッテがそっと陛下の頬に手を添えると、彼は憑き物が落ちたように、彼女の手のひらに顔を寄せた。


「……ずるいな、君は。……そんなことを言われたら、私は……君を閉じ込めるどころか、君の足元に世界を跪かせたくなってしまう」

「ふふ、それは困りますわ。……お披露目の式典だけは、民衆の皆様のために、一度だけ出席しましょう? ……その代わり、式典の間中、ずっと私の手を握っていてくださっても構いませんから」

「……一度だけだぞ。……一秒でも長く誰かが君を見つめたら、私はその場で帝都を黒炎で包囲してやる」



 ***



 数日後。

 帝都で行われた勝利の祝賀式典。

 バルコニーに現れた皇后リーゼロッテの美しさに、民衆は息を呑んだ。


 しかし、人々の注目をより集めたのは、彼女の隣で、まるで獲物を守る猛獣のように、片時もその手を離さず、周囲に凄まじい威圧感を放ち続けているヴァルター陛下の姿だった。


「(……ヴァルター様、少しお顔が怖いですわよ)」

「(……黙れ。先ほどから、左前方の騎士が君を三秒以上見つめた。……後で更迭してやる……)」


 最強の夫婦が織りなす、あまりにも重すぎる愛。

 それは、戦乱の傷跡が残る帝国の人々にとって、何よりも確かな「平和」の象徴となっていた。


 かつて孤独の果てに死を覚悟した聖女は、今、自分を独占しようとする夫と、未来を担う我が子と共に、眩い光の中に立っている。

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