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第28話:揺りかごの迷宮と、隠された至宝

 ガルディニア帝国の王宮が、一夜にして「生ける魔導迷宮」へと変貌を遂げた。

 発端は、産後の肥立ちも良く、穏やかな午後にリーゼロッテが漏らした、母性溢れる一言だった。


「……見てください、ヴァルター様。この子の寝顔、まるで天使のようですわ。……いつか、この子が歩けるようになったら、帝都の皆様にもお披露目して、祝福を受けさせてあげたいですわね」


 その瞬間。

 傍らでリーゼロッテの指先に「愛の魔力」を注ぎ込んでいた陛下の動きが、氷河のように凍りついた。


「……お披露目だと? 冗談ではない。こんな……こんなにリーゼロッテに似た、あまりにも無防備で愛らしい生き物を、外気に触れさせるなど正気の沙汰か。……不浄な民衆の視線がこの子を汚し、万が一にでも『可愛い』などと不敬な言葉を投げかけられたらどうする。……何より、この子が私以外の人間に愛想を振りまくなど、断じて……断じて許容できん!!」

「陛下ぁぁぁ!! だからといって、王宮全体の回廊を『空間転移の罠』で埋め尽くすのはおやめくだされ!!」


 エドムントの絶叫が、歪んだ空間の彼方から響いてくる。

 陛下は即座に指を鳴らし、リーゼロッテと皇子が眠る私宮を中心に、大陸最高峰の「認識阻害」と「空間迷宮」の術式を幾重にも展開してしまったのだ。



 ***



「……ひっひっひ。陛下、こいつは商売あがったりですぜ。お祝いの品を届けに来た商隊が、全員中庭の池に転移させられてずぶ濡れだぁ」


 マルコが、歪んだ空間をすり抜ける特注の魔道具を使い、なんとか私宮に辿り着いた。彼の背後には、フルプレートアーマーの継ぎ目から湯気を出し、殺気立っているロザリンがいる。


「陛下!! リーゼロッテ様と若君を案ずる私の忠義が、この程度の迷宮で挫けるとお思いか! 私は先ほど、第三回廊のゴーレム部隊をすべて盾一枚で粉砕してまいりましたわ!」

「……しつこい連中だ。ロザリン、貴様は若君を抱こうとした罪で、すでに無期限の入室禁止処分を下したはずだぞ」


 陛下は、生後数日の皇子――名を『ルディウス』と名付けられた小さな生命を、自身のマントで包み込むようにして抱いていた。

 ……が、ルディウス皇子は相変わらず、父親であるヴァルターが近づくたびに「黄金と白銀の結界」をパチンと弾かせ、彼の鼻先を拒絶し続けている。


「……見ろ、リーゼロッテ。この小僧、私には一向に懐かぬくせに、君が少し離れようとすると泣き叫んで君を引き止める。……これは教育が必要だ。一刻も早く、私と君の二人の時間を取り戻さねばならん」

「ふふ、ヴァルター様。ルディウスはただ、パパと遊びたいだけではありませんか?」

「遊びだと? 私と遊ぶなら、真剣勝負デュエル以外にない。……おい、ルディウス。その結界を解け。私が君の代わりにリーゼロッテを抱きしめてやる」


 陛下が赤子に向かって本気で威圧感を放つと、ルディウス皇子は負けじと結界の出力を上げ、パパの指を全力で弾き返した。

 生まれて一週間足らずで、皇帝と互角の「結界戦」を繰り広げる皇子。その姿に、ロザリンは感涙に咽んでいる。


「……おおお! なんと猛々しい若君! 陛下を拒絶し、リーゼロッテ様を独占せんとするその意志! まさに次代の覇者ですわ!」

「ロザリン、喜んでいる場合ではありません。……陛下、この迷宮を解いてください。エドムント様が、さっきから転移の罠にかかって、三十分おきに食堂の厨房に出現して困っているそうですわ」


 リーゼロッテが困り顔で陛下の腕に触れると、彼はようやく憑き物が落ちたように溜息をついた。


「……君がそう言うなら、一時的に解こう。……だが、ルディウス。……君が歩けるようになるまでは、外界への扉は開かん。……君を狙う刺客は私がすべて塵にする。……そして、君がリーゼロッテに甘えすぎるなら、私は君を『英才教育』という名の北の塔へ……」

「陛下!! 自分の息子を幽閉しようとしないでください!!」


 エドムントがようやく迷宮を突破し、ボロボロの姿で執務室へ飛び込んできた。



 ***



 騒動が一段落し、夜の静寂が私宮を包む。

 揺りかごの中でスヤスヤと眠るルディウスと、その傍らで、ようやくリーゼロッテを独占できて満足げな表情を浮かべるヴァルター。


「……ねえ、ヴァルター様。私、本当に幸せですわ。……かつて一人で結界の中にいた時は、世界がこんなに賑やかで、愛に溢れているなんて知りませんでした」


 リーゼロッテが陛下の肩に頭を預けると、彼は愛おしそうに彼女の銀髪を指で梳いた。


「……私もだ、リーゼロッテ。……君がくれたこの景色を、誰にも壊させはしない。……息子であっても、だ」


 陛下の独占欲は、家族が増えても減るどころか、ますますその「防衛対象」を広げ、強固なものにしていった。

 

 かつて孤独だった少女は、いまや一国の母となり、最強の騎士と狡猾な商人に慕われ、そして世界で一番重い愛を持つ皇帝と、その血を引く小さな結界師に守られている。

 

 帝国の夜空には、リーゼロッテとルディウスが共鳴して放つ、穏やかな白銀のオーロラが揺らめいていた。


「……愛しています、ヴァルター様。……これからも、ずっと、賑やかに過ごしましょうね」

「……ああ。私が君を、そして君の愛するこの世界を、永遠にこの腕の中に閉じ込めてやろう」


 皇帝の誓いは、迷宮の如く深く、二度と解けることのない最強の結界となって、愛する家族を包み込むのだった。

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