第27話:銀の産声と、聖域の攻防
帝都を覆う白銀の結界が、かつてないほど激しく明滅していた。
皇后リーゼロッテが産気づいたという報は、一瞬にして城内を、そして彼女を狙う影たちをも突き動かしたのだ。
「――陣を崩すな! 皇后陛下の御髪一本、不浄な空気に触れさせるなと言ったはずだ!」
分娩室の重厚なオリハルコンの扉の前。ロザリン・ベルシュタインは、身の丈ほどもある大盾を構え、鬼神のごとき形相で吠えていた。
彼女の視線の先――王宮の回廊の影から、純白の法衣を纏った「教国」の暗殺者たちが、霧のように湧き出していた。
「……聖母リーゼロッテを我ら教国へ。彼女の血を引く赤子は、神の器として相応しい……」
「寝言は寝て言え、この生臭坊主共が!」
横から躍り出たのは、商人のマルコだ。彼は算盤を弾くどころか、懐から奇妙な形状の魔道具――一点で国家予算並みの価値があるという「魔力霧散の投擲弾」を次々と投げつけた。
「ひっひっひ! 皇后様のお産を邪魔するたぁ、商売敵よりタチが悪いぜ! この弾丸一つで、あんたらの薄汚い術式は全部お釈迦だ。……代金は、あんたらの命で領収させてもらいやす!」
ロザリンの剛腕と、マルコの金に飽かせた魔道具。
二人の「皇后守護隊」が、迫りくる刺客たちを次々と薙ぎ払っていく。その背後、結界で守られた産室の中では、別の「戦い」が続いていた。
***
「……はあ、はあ……っ……ヴァルター、様……」
汗に濡れたリーゼロッテの手を、ヴァルター陛下は砕かんばかりに握りしめていた。
皇帝として、世界最強の魔導師として君臨する男が、今はただ、痛みにもだえる妻の前で無力感に打ち震えている。
「……リーゼロッテ。すまない、代わってやれない。……私の心臓を止めていい、私の魔力をすべて吸い取っていい。だから、どうか……!」
「陛下! 落ち着かれよ! 陛下の魔力が共鳴して、部屋の結界が過負荷で爆発しそうですぞ!」
エドムントが必死に魔力を制御するが、陛下の「心配という名の暴走魔力」は留まるところを知らない。
その時だ。
「……っ……う、生まれます……わ……!!」
リーゼロッテが最後の一振りの魔力を込めるように、ヴァルターの手を強く握り返した。
刹那。
産室内を、眩いばかりの白銀の光が埋め尽くした。それは彼女がこれまでの人生で張り続けてきたどの結界よりも清らかで、どの魔法よりも力強い「生命の波動」だった。
オギャアァァァァァ!!
高らかに響き渡ったのは、一国の運命を揺るがす力強い産声。
光が収まった後、侍医の腕の中にいたのは、驚くべきことに、生まれた瞬間から自身の周囲に「黄金と白銀が混ざり合う球状の結界」を展開した、一人の男児だった。
「……なんという魔力……。生まれた瞬間から、無意識に自己防衛の結界を張るなど、あり得ん……」
エドムントが腰を抜かす中、陛下は震える手で、我が子へと手を伸ばした。
「……私の、息子……。よくぞ、リーゼロッテを苦しめずに……いや、よくぞ無事で……」
陛下が愛おしそうに赤子に触れようとした、その時。
カキィィィィィン!!
高い、金属音が部屋に響いた。
赤子が展開した結界が、父親であるヴァルターの指先を、冷酷なまでに弾き飛ばしたのだ。
「……なっ……!?」
赤子は、まだ目も開かぬうちに、父親を「ママの側に寄る敵」と認識したかのように、プイと顔を背けた。そして、疲れて眠りにつこうとするリーゼロッテの胸元へ、結界ごと自ら転がっていき、安心したように寝息を立て始めた。
「……私を、拒絶したのか……? 実の親を……? この小僧、生まれた瞬間からリーゼロッテを独占するつもりか!?」
陛下の顔が、感動から一転、かつてないほどの嫉妬と戦慄に染まる。
「エドムント! 見たか! あの小僧の目(閉じてるが)! あれは獲物を独占する男の目だ! 貴様、今すぐあの結界を中和する術式を開発しろ! 私はまだ、リーゼロッテに『お疲れ様』の接吻もしていないのだぞ!!」
「陛下! 相手は産まれたての赤ん坊ですぞ! 張り合ってどうするのです!!」
***
外では、ロザリンが最後の刺客を盾で圧殺し、「おおお、産声が! リーゼロッテ様の御子が誕生されたぁぁ!」と男泣きならぬ女泣きをして咆哮していた。
マルコは「こりゃあ、将来の教育費としてもっと金をふんだくらねえとな」と、涙を拭きながら算盤を叩いている。
嵐のような一夜が明け、帝都には黄金の朝日が差し込んだ。
寝台の上。
リーゼロッテは、自分を守るように結界を張って眠る小さな息子と、その横で「私のリーゼロッテに触らせろ……」と結界の隙間を探して指を突っ込もうとしている執念深い夫を眺め、幸せそうに微笑んだ。
「……ふふ。ヴァルター様。……そんなに怒らないでください。……この子は、あなたにそっくりですわよ?」
「どこがだ! 私の方がもっと君を愛しているし、君の側にいたい! ……おい、小僧! そこをどけ! そこは私の特等席だ!」
皇帝の独占欲は、ついに「親子喧嘩」という新たなステージへと突入した。
かつて雨の中で、誰からも愛されず死を待つだけだった少女。
彼女が今、手に入れたのは、世界で一番重くて、世界で一番騒がしい「愛の聖域」だった。
「……ようこそ、私たちの宝物。……これから、もっともっと賑やかになりますわね」
リーゼロッテがそっと赤子の結界を撫でると、不思議なことにその結界は、彼女の指先だけを優しく受け入れた。
それを見た陛下が「なぜ私だけ弾くのだぁぁ!」と絶叫し、王宮の朝は、かつてないほどの幸福な喧騒に包まれていくのだった。




