第23話:忠義の盾と、黄金の蛇
「――なりませぬ! 皇后陛下にそのような市販の木綿など、肌を痛める凶器も同然。私がこの命に代えても、北方の精霊蜘蛛が紡ぐ『月光糸』の産着を揃えてみせますわ!」
静かな王宮の回廊に、金属が擦れ合うような凛烈な声が響き渡った。
声の主は、近衛隊の中でも随一の実力を誇る重騎士、ロザリン・ベルシュタインだ。
帝国の名門武家の娘でありながら、リーゼロッテが放つ圧倒的な慈愛の魔力に心酔し、彼女の身辺警護に人生のすべてを懸けると誓った女性である。
その隣で、琥珀色の瞳を怪しく光らせて不敵に笑うのは、大陸全土に影の如く販路を広げる「黄金の蛇商会」の主、マルコだった。
「ひっひっひ。ロザリン様、月光糸だけじゃ片手落ちですよ。ゆりかごには南洋の『沈まぬ流木』を使い、私が抱え込んでいる特級術師に『安眠の加護』を二十重に掛けさせましょう。……もちろん、代金は皇帝陛下の私費から、少々多めにいただきやすがね」
この二人は、リーゼロッテの懐妊という報を聞くや否や、誰に命じられるでもなく「皇后守護」の尖兵として名乗りを上げた。
***
一方、陽光が差し込む私宮の奥。
リーゼロッテは、二人の尋常ならざる熱意に圧倒されながら、窓辺で穏やかに編み物をしていた。
「……ロザリン、マルコ。少し張り切りすぎではありませんか? 私はただ、健やかに育ってくれれば、それだけで十分なのですけれど」
「いけません、リーゼロッテ様! 貴女様の体内におわすのは、帝国の未来、世界の希望なのです! 埃一つ、不純な糸一本すら近づけさせはしません!」
ロザリンが拳を握りしめて力説する。
彼女はリーゼロッテが少し動こうとするだけで、「お座りください! 重力が御体に負担をかけますわ!」と、ふかふかの特注クッションを魔法のような速さで差し出す徹底ぶりだ。
そこへ、山積みの政務を力技でねじ伏せてきたヴァルター陛下が、凄まじい圧力を纏って帰還した。
「――おい。私のリーゼロッテの周りに、なぜこうも騒がしい連中が群がっている。……ロザリン、貴様。先ほどから彼女の指先に三回も触れたな。その手を切り落とされたいのか?」
「陛下! これは皇后陛下の体温を確認するための神聖な義務ですわ! 陛下こそ、その剣呑な殺気で御子に悪影響を及ぼすおつもりですか!?」
帝国最強の皇帝に対し、一歩も引かずに正論(?)を叩きつけるロザリン。
彼女にとって、リーゼロッテの安寧こそが絶対の法であり、陛下の独占欲すらも、時には「健康の敵」として排除の対象になるのだ。
「……ちっ。リーゼロッテ。……あんな堅物と、抜け目のない商人を側に置くのはやはり落ち着かぬ。……君の世話は、私がすべてこなすと言っただろう」
陛下はロザリンを追い払うようにして私の隣に座り、私の膝に顔を埋めた。
外では冷酷無比な皇帝も、リーゼロッテを巡る「献身の争奪戦」に加わると、途端に余裕を失ってしまう。
「ふふ。でも陛下、マルコが持ってきたこの『空飛ぶおしゃぶり』、とても便利そうですわよ? 泣き止まない時に、自動で心地よい旋律を奏でるそうですわ」
「……そんな玩具に、父親である私の地位を奪わせるわけにはいかない。……エドムント! 今すぐ私に『究極の守護歌』を習得させろ! 魔力を込めた歌声で、私が二十四時間鎮魂の調べを奏で続けてやる!」
「陛下! それはもはや呪歌になりますぞ! おやめくだされ!」
エドムントの悲鳴が廊下に響き渡る。
苛烈なまでの忠義を捧げる騎士ロザリン、金と知略で奇跡を買い集める商人マルコ、そして変わらぬ苦労人のエドムント。
彼ら個性豊かな面々に囲まれ、帝国の王宮はかつてない活気に包まれていた。
「……リーゼロッテ。皆が君を敬い、愛しているのは誇らしい。だが、忘れるな。君を最初に見つけ、君のすべてを支配するのは、私一人だけだ」
陛下は周囲の視線も構わず、私の耳元で独占欲を露わにした。
かつてのサンクチュアリ王国では、私に手を差し伸べる者など一人もいなかった。
けれど今、私の周りには、真っ直ぐすぎる忠義と、少し騒がしい愛が溢れている。




