第20話:因果応報の果て、凍てつく慈悲
かつてサンクチュアリ王国の公爵令嬢だった私は、今、帝国の皇后として、かつての故国との国境付近にある「収容所」の前に立っていた。
隣には、私の指先が少しでも冷えないよう、常に私の手を自分の懐に入れて温めているヴァルター陛下が、忌々しそうに鼻を鳴らしている。
「……見なくていいと言っただろう、リーゼロッテ。あんな汚らわしい連中、野垂れ死ぬのを待てば済む話だ」
「いえ、陛下。……自分の目で確かめなければ、私の『過去』がいつまでも足元にまとわりついているような気がするのです」
私が微笑むと、陛下は溜息をつき、私の腰を抱き寄せて「……ならば、一分だけだ。一秒でも長くあいつらを見たら、私はその場で全員を処刑する」と独占欲を露わにした。
鉄格子の向こう側。
そこにいたのは、泥にまみれ、ボロボロの襤褸を纏った一団だった。
かつての父、ヴァリエール公爵。母。そして妹のエルナ。
彼らは魔獣に襲われた王都から命からがら逃げ延びたものの、路銀も魔力もなく、帝国の国境警備隊に「不法入国者」として捕らえられていたのだ。
「……あ、ああ……リーゼロッテ! リーゼロッテじゃないか!」
私に気づいた父が、檻に縋り付いて叫んだ。その指先は爪が剥がれ、かつての権威など微塵も感じられない。
「助けてくれ! 私は公爵だぞ! お前の父親だ! 陛下に言って、ここから出してくれ! 美味い飯と、温かいベッドを用意させろ!」
「お姉様! 私、こんな汚いところ嫌よ! お姉様のドレスを一着ちょうだい! それを売れば、また贅沢ができるわ!」
妹のエルナも、相変わらず自分のことしか考えていない言葉を喚き散らす。
私は、静かに彼らを見つめた。
怒りも、憎しみも、悲しみすら湧かなかった。ただ、そこにあるのは「無」だった。
「……お父様、エルナ。……私はあの日、雨の中で捨てられた時に言いましたわね。……『もう二度と、私の結界はあなたたちのために開かない』と」
「そんな昔のことを! 親不孝者が!」
「……親不孝、ですか」
私は一歩、檻に近づいた。
ヴァルター陛下が「近寄るな、汚れる」と私の肩を引くが、私は首を横に振った。
「私が三年間、一度も眠らずに国を守っていた間……あなたたちは一度でも私に『おやすみ』と言ってくれましたか? 私が魔力を使い果たして倒れた時、介抱してくれましたか? ……いいえ。あなたたちは、私が『便利だから』置いていただけ。……壊れた道具に、慈悲をかける職人はおりませんわ」
私の瞳から、白銀の光が溢れ出す。
それは攻撃ではなく、完全なる「拒絶」の証明。
私がかつて彼らに与えていた、微かな「情愛の魔力」の残滓を、今、自分の中にすべて回収したのだ。
その瞬間。
父たちの顔色が、土色に変わった。
私の魔力の加護を完全に失った彼らは、実年齢以上の老いが一気に押し寄せ、腰を抜かしてへたり込んだ。
「……さようなら、ヴァリエール家の皆様。……あなたたちの運命は、帝国の法に従って、一平民として裁かれることでしょう。……一生、泥の中で、私が守っていた平和の尊さを噛み締めて生きてください」
私は背を向けた。
後ろで「待て! 行かないでくれ! リーゼロッテ!」という醜い絶叫が響いたが、ヴァルター陛下が指先をパチンと鳴らすと、周囲に「沈黙の結界」が張られ、その声は一切届かなくなった。
***
帰り道の馬車の中。
陛下は私を膝の上に乗せ、壊れ物を扱うように、私の頬に何度も接吻を落とした。
「……よく言った。……これで、君を縛る鎖はすべて消えたな。……これからは、私の愛という名の鎖だけで、君を繋ぎ止めておける」
「……はい。……もう、何も思い残すことはありません」
私は陛下の胸に顔を埋めた。
彼の心臓の鼓動が、私の不安をすべて溶かしていく。
「リーゼロッテ。……あいつらは、一生あそこで這いつくばらせる。……だが、君は違う。……君は今夜、私の指先が奏でる愛の調べに、身も心もとろけさせてもらうぞ。……過去など一秒も思い出せないほど、濃密にな」
陛下の瞳に宿る、暗い情熱。
過去を清算した私にとって、その重すぎる独占欲は、もはや恐怖ではなく、至上の幸福だった。
窓の外では、私の結界がかつてないほど強く輝き、帝国の夜空を白銀に染めていた。
サンクチュアリ王国のリーゼロッテは、今日、名実ともに死んだ。
そして、ガルディニア帝国の愛されし皇后・リーゼロッテとしての、真の伝説がここから始まるのだ。
「……愛しています、ヴァルター様。……私を、一生離さないでくださいね」
「……ああ。たとえ神が奪いに来ようとも、私は君を地獄の底まで連れて行く。……覚悟しておけよ」
陛下の唇が、私の誓いを封じるように重なった。
物語は後半戦へ。これからは、二人で世界を跪かせる、真の溺愛無双の幕開けとなる。




