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第2話:冷徹皇帝の執着と、崩れゆく平和

 ふかふかの、雲の上にいるような感覚で目が覚めた。

 視界に飛び込んできたのは、見たこともないほど豪華な天蓋付きのベッドと、繊細な彫刻が施された天井だった。


「……ここは、天国……?」


 泥水をすすり、雨に打たれて死を覚悟したはずなのに。

 体を動かそうとすると、驚くほど軽くなっていた。肌をなでるシルクの寝巻きの感触が、あまりに心地よい。


「目覚めたか、私の聖女」


 低く、地響きのように甘い声が鼓膜を震わせた。

 跳ね起きようとした私の肩を、大きな、温かい手が優しく制する。

 そこには、昨夜私を助けて……いいえ、私に助けられたはずの隣国の皇帝、ヴァルター陛下が座っていた。


「ひっ、陛下……!? なぜここに……」

「私の城だ。主がいるのは当然だろう。……それよりも、まだ寝ていろ。君は三日間も眠り続けていたのだぞ」


 三日間。

 それほどまでに、私の体は限界だったのだ。国全土の結界を維持しながら、追放のショック、そしてあの最強の魔獣殲滅……。


「……申し訳ありません、お見苦しいところを。私はすぐに立ち去ります。着替えをいただければ……」

「立ち去る? どこへ」


 陛下の黄金色の瞳が、スッと細められた。

 冷徹皇帝と謳われるその視線には、凍てつくような冷たさと、それ以上にドロリとした熱が混ざり合っている。


「君を捨てたあの国か? それとも、行き場のない荒野か? ……断る。君を拾ったのは私だ。君の所有権は、今この瞬間から私にある」

「所有権、ですか……?」


 あまりに強引な物言いに、私は呆気にとられた。

 彼は私の細い手首をそっと握り、宝物を扱うような手つきでその甲に唇を落とした。


「あの夜、君が展開した結界。あれは魔法の域を超えていた。我が国の魔導師たちが総出で調べたが、『理論上、人間一人に可能な出力ではない』と震えていたぞ」

「……それは、ヴァリエール家の義務でしたから。ただ、それだけのために生きてきました」

「その『だけ』のために、君の心身はどれほど削られた? ……安心しろ、リーゼロッテ。我が国は無能を厚遇するほど愚かではないが、至宝を泥の中に放置するほど落ちぶれてもいない」


 ヴァルター陛下は、ベッドの脇に置かれた豪華なベルを鳴らした。

 すると、待機していたらしいメイドたちが、宝石箱のような食事や最高級のドレスを抱えて一斉になだれ込んできた。


「まずは食べろ。そして休め。君が失った魔力と健康を取り戻すためなら、私は国庫を傾けても構わない」

「へ、陛下、重いです……!」

「重くて結構。君を二度と放さないためなら、いくらでも重荷になってやろう」


 冷徹皇帝と恐れられていたはずの人は、驚くほど過保護で、驚くほど強引だった。

 彼が私の食事を一さじずつ口に運ぼうとするのを(「自分で食べられます!」と赤面して断りながらも)、私は生まれて初めて、誰かに「守られる」ことの温かさを知ったのだ。


 ――その頃。

 私を追い出したサンクチュアリ王国では、阿鼻叫喚の地獄が幕を開けていた。


「おい! どういうことだ! なぜ魔獣が王都のすぐそばまで来ている!」


 王宮の執務室で、第一王子ザカリーが机を叩いて怒鳴り散らしていた。

 彼の前には、顔面を蒼白にした宮廷魔導師たちが立ち尽くしている。


「報告します! 国境を覆っていた『大結界』が完全に消滅しました! 現在、各地方から魔獣被害の悲鳴が届いております!」

「結界だと? あんなもの、維持装置に魔石を詰め込めば動くはずだろう! 早く予備の魔石を投入しろ!」

「……それが、無理なのです」


 魔導師長が、震える声で告げる。


「あの結界装置は……ただの『増幅器』に過ぎませんでした。あれを動かしていた動力源は、装置ではなく……リーゼロッテ令嬢、ただお一人の魔力だったのです」

「な、んだと……?」

「彼女が結界との接続を絶った今、この国は丸裸も同然です。現在、ミナ様が『癒やしの聖女』として結界を張り直そうとしておりますが……」


 その時、爆発音が響いた。

 窓の外では、ミナが泣き叫びながら、微々たる光を放とうとして失敗し、尻もちをついている。


「無理よ! こんなの広すぎて、私一人じゃ1メートルも守れないわ!」


 ザカリーは愕然とした。

 彼が「無能」と蔑み、雨の中に放り出した地味な女。

 彼女がただ微笑んで立っていた、その影で。

 この国の平穏は、すべて彼女の命を削るような献身によって成立していたのだ。


「……あ、あいつを連れ戻せ! 今すぐだ! 謝れば済む話だろう! リーゼロッテを探し出せ!」


 王子の絶叫が虚しく響く。

 だが、時すでに遅し。

 彼らが捨てた「真の聖女」は今、隣国の皇帝の腕の中で、極上の甘やかしを受けている最中なのだから。

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