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第17話:争奪戦の幕開けと、波音の聖域

「――皇后陛下! どうか、この北海航路の結界維持計画に一言、助言をいただけないでしょうか!」

 「リーゼロッテ様! こちらの新型魔導砲の回路図ですが、先日の計算式を応用すれば……!」


 翌朝、帝都の王宮はかつてない活気に包まれていた。

 昨日、私がわずか数時間で数週間分の滞った政務を片付け、さらには帝国の魔導技術を数段跳ね上げる代替案を提示したという噂は、瞬く間に城内を駆け巡ったのだ。


 執務室の前に列をなすのは、帝国最高の知性と呼ばれる官僚や魔導師たち。彼らは「無能令嬢」というかつての蔑称が、いかに愚かな間違いであったかを、その身を以て知ったのである。

 しかし。


「――やかましい。全員、そこから一歩も動くな。動けば、この場で反逆罪として処刑する」


 執務室の重厚な扉の前に、抜身の剣のような鋭い殺気を放つヴァルター陛下が立ちはだかっていた。

 彼の黄金色の瞳は、かつてないほど冷酷に、そして燃え上がるような嫉妬に煮えくり返っている。


「へ、陛下! ですが、皇后陛下のあのアドバイスがあれば、帝国の国力は数年分……!」

「知るか。リーゼロッテは私の妻だ。帝国の計算機ではない。……私の許可なく、彼女の貴重な魔力と思考を、こんな紙切れに費やさせてたまるか」


 陛下は指先をパチンと鳴らした。

 次の瞬間、執務室の周囲に、私が張ったものとは別の、物理的な破壊を伴う強力な「遮断結界」が展開された。


 陛下は扉に鍵をかけると、そのまま部屋の奥で戸惑っていた私の元へ歩み寄り、逃がさないという意思を込めて、私の椅子ごと私を抱きかかえた。


「……ヴァルター様。皆様、お困りですよ?」

「黙れ、リーゼロッテ。……君が有能すぎるのが悪いのだ。……私の目の届かないところで、男たちが君の名前を呼び、君を欲しがっている。その事実だけで、私は今すぐこの城ごと、君以外を焼き尽くしたくなる」


 陛下の額が、私の肩にぐったりと預けられる。

 皇帝としてではなく、ただ愛する人を奪われたくない一人の男としての、あまりに重く切実な声。


「……休暇だ。今すぐ発つぞ。エドムント! 後のことはすべて任せた。一週間、私は死んだものと思え!」

「陛下ぁぁぁ!! 無責任すぎますぞぉぉぉ!!」


 遠ざかるエドムントの悲鳴を背に、私たちは陛下の強力な転移魔法によって、帝都から遥か南にある「海辺の離宮」へと移動した。



 ***



 潮騒の音が、静かに室内に響く。

 離宮のテラスからは、月光を浴びて銀色に輝く大海原が一望できた。


「……わあ、綺麗。海を見るのは、生まれて初めてですわ」


 私はバルコニーの手すりに駆け寄り、夜の海風を全身に受けた。

 サンクチュアリ王国は内陸の小国だったため、こんなに広大で自由な景色を知らなかった。


「……気に入ったか」

「はい! とっても。ヴァルター様、ありがとうございます」


 私が満面の笑みで振り向くと、背後にいた陛下は、射抜かれたような表情で立ち尽くしていた。

 彼はゆっくりと歩み寄り、私の髪を掬い上げて、その香りを深く吸い込む。


「……その笑顔だ。……君のその顔を、私以外の男に見せるなど、到底許せるはずがない。……リーゼロッテ。ここには、海と、風と、私しかいない」


 陛下の手が、私の腰に回される。

 離宮の結界は、私が到着した瞬間に、陛下の要望で「外部からの接触を一切遮断する」特殊なものに書き換えられていた。ここは文字通り、世界から切り離された二人だけの聖域。


「……一週間、君を誰にも見せず、私の愛だけで満たしてやる。……君が持っているその膨大な魔力も、鋭い知性も、ここでは必要ない。……ただの、私の愛しいリーゼロッテとして、私の腕の中で震えていろ」


 陛下は私を横抱きにし、天蓋付きのベッドではなく、波音が最も近くに聞こえるソファへと運んだ。

 

「……ヴァルター様、少し……愛が重すぎます」

「重くて結構。……君がこの愛の重みで、二度と空へと飛び立とうと思わないように、私の印を全身に刻みつけてやる」


 熱い唇が、私の鎖骨の辺りに深く押し当てられる。

 それは、皇帝がその所有物に示す、最も甘美で残酷な刻印。

 窓の外では、私の結界が静かに波を弾いていた。


 かつての国で「道具」として扱われていた私は、今、一人の男に「全て」として扱われている。

 

 帝都では官僚たちが頭を抱えているだろう。

 けれど、この離宮の、この腕の中だけが、今の私にとって唯一の、そして最高の居場所だった。


「……リーゼロッテ。愛している。……死ぬまで、私に囚われていろ」


 波音に溶けていく陛下の囁きに、私は深い溜息をつき、彼を強く抱きしめ返した。

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