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第15話:静かな夜の、重すぎる愛の証明

 教国との小競り合いが幕を閉じ、帝都には再び穏やかな日常が戻ってきた。

 窓の外では、私が張った白銀の結界が、春の柔らかな月光を反射してキラキラと輝いている。


「……ふう。ようやく、今日の報告書が終わりましたわ」


 私はペンを置き、大きく背伸びをした。皇后としての公務も、最近では陛下の徹底した「甘やかしフィルタ」を通るため、随分と整理されてやりやすくなっている。

 だが、その「フィルタ」の主が、一向に仕事に戻してくれないのが最近の悩みだ。


「……終わったのか。ならば、これからは私の時間だな」


 部屋の隅、影に溶けるように座っていたヴァルター陛下が、音もなく立ち上がった。

 彼は私が椅子から立ち上がるのを待たず、背後から包み込むように抱きしめてくる。首筋に押し当てられた彼の額から、熱い体温が伝わってきた。


「ヴァルター様……。まだ侍女たちが近くにおりますわ」

「下がらせた。この部屋の結界は、今この瞬間から、私と君の声以外を通さない」


 陛下の手が、私の指先に絡みつく。

 彼の独占欲は、幼少期の記憶が繋がったことで、さらに密度を増していた。

 私を「守るべき女神」として崇めながら、同時に「一歩も外へ出したくない小鳥」として閉じ込めようとする、矛盾した、けれど純粋な愛。


「……リーゼロッテ。君が今日、中庭で一輪の花を摘んだだろう。……あの花が羨ましかった」

「……えっ? お花に嫉妬なさるのですか?」

「君の指先に触れ、君の視線を独占したのだ。……私の許可なく、他のものにその慈愛を向けるな。君の光は、すべて私が飲み干してしまいたいのだ」


 あまりに重い言葉。けれど、サンクチュアリ王国で誰にも顧みられなかった私にとって、その重さは何よりも心地よい「鎖」だった。



 ***



 そんな甘い空気の中、机の端に置かれた一通の薄汚れた封筒が目に留まった。

 それは、滅びゆくサンクチュアリ王国の跡地から、命からがら逃げ延びた元貴族が届けたという、ザカリー王子からの「最後の手紙」だった。

 陛下は不機嫌そうに鼻を鳴らし、その手紙を指先でつまみ上げた。


「……読む価値もない。燃やしてしまおう」

「待ってください。……最後くらい、彼が何を言いたいのか、確かめさせてください」


 私がそう言うと、陛下は「君がそう望むなら」と、渋々手紙を開いた。

 そこには、震える文字で、見るに耐えない自己弁護と、浅ましい懇願が並んでいた。


『リーゼロッテ。俺が悪かった。ミナにたぶらかされていたんだ。今、俺は魔獣から逃れ、隣国の辺境の村に隠れている。……金も、地位もない。だが、君がいれば俺はまた立ち上がれる。君の結界で俺を隠してくれ。迎えに来てくれ。君は俺を愛していただろう? あの雨の夜のことは忘れてくれ……』


 読み進めるうちに、私は乾いた笑いが漏れるのを止められなかった。

 「愛していただろう」?

 「忘れてくれ」?


 彼は最後まで、私が何を捧げ、彼が何を捨てたのかを理解していなかった。


「……ヴァルター様。火を貸していただけますか?」


 私が微笑んで尋ねると、陛下は満足げに口角を上げ、指先に小さな魔力の火を灯した。

 私はその火の中に、迷わず手紙を落とした。

 パチパチと音を立てて、ザカリーの浅ましい未練が灰になっていく。


「……もう、何も感じませんわ。あの雨の夜、私の心は一度死んで、そしてあなたの腕の中で新しく生まれ変わったのですから」

「ああ……そうだ、リーゼロッテ。君を泣かせた過去は、今この瞬間、完全に消滅した」


 陛下は灰になった手紙を窓の外へ散らすと、私をそのまま抱き上げ、ベッドへと運んだ。

 シーツに沈み込む私の体に、彼の重みが重なる。


「……あいつは死ぬまで、君の影を追いかけて絶望の中で彷徨えばいい。……だが、私は違う。私は君の『今』を、そして『未来』のすべてをこの手で掌握する」


 陛下の黄金色の瞳が、月光よりも鋭く私を射抜く。

 彼の大きな手が、私の頬を包み込み、逆らえないほどの力で唇が重ねられた。


「……リーゼロッテ。今夜は、君の体の中に、私の愛という名の『結界』を張り巡らせてやろう。……君が二度と、私の名前以外を呼べなくなるようにな」


 耳元で囁かれる、狂おしいほどの情熱。

 窓の外では、私の張った結界が、静かに世界を隔てていた。

 けれど、この部屋の中だけは、皇帝陛下という名の、決して逃れることのできない「愛の檻」に、私は喜んで身を委ねるのだった。

 サンクチュアリ王国の物語は、これで本当に終わった。

 これから始まるのは、一人の女性として、そして一人の愛される妻としての、終わりなき溺愛の章。


「……愛しています、ヴァルター様」


 私の告白に、陛下は喉の奥で低く笑い、さらに深く、私を愛という奈落へ引きずり込んでいった。

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