第13話:お忍びデートと、見えない鎖
「……陛下。その、流石にこれはやりすぎではないでしょうか」
帝都の活気あるメインストリート。私は庶民の娘に変装し、古着風のワンピースを纏って立っていた。
今日こそは、陛下に内緒で「自分の結界が守っている街」をこの目で見たい。
そう思って、侍女の協力を得てこっそり城を抜け出したはずだった。
……はずだったのに。
「やりすぎ? 何のことだ、リーゼロッテ。私はただ、君の安全を確保しているだけだ」
隣には、精巧な魔道具で「平凡な傭兵」の姿に化けたヴァルター陛下が、当然のような顔をして立っていた。
しかも、私の右手首には、薄い桃色に光る『魔力の糸』が巻き付いている。その糸の先は、陛下の左手首へとしっかりと繋がっていた。
「この『魔力の鎖』は、君と私が百メートル以上離れると、強制的に君を私の腕の中へ引き戻す仕組みだ。これで迷子の心配はないな」
「陛下……それ、迷子対策ではなく、ただの拘束具では……?」
「愛の絆と言ってほしいものだな」
陛下は不敵に微笑むと、糸をぐいと引き寄せ、私の肩を抱き寄せた。
変装しているとはいえ、漂うオーラが隠しきれていない。道行く人々が「なんだか凄そうなカップルだ」と避けていく。
***
市場は、サンクチュアリ王国では考えられないほど豊かだった。
並んでいる果物は瑞々しく、子供たちは魔獣の影に怯えることなく走り回っている。
「……見てください、陛下。皆、笑っています」
「ああ。君が空を覆う結界を張り続けてくれているおかげだ。……この国の人々は、君という女神の慈悲を食べて生きているようなものだな」
「大げさですわ。私はただ、魔力が余っているから流しているだけで……」
私が謙遜すると、陛下は足を止め、私の両肩を掴んでじっと見つめてきた。
「無自覚なのが一番恐ろしい。……いいか、リーゼロッテ。君がふらりとどこかの店に入り、その微笑みを店主に振りまくだけで、そいつは一生君の信者になる。……私は、それが我慢ならんのだ。君の光は、私一人の部屋だけで輝いていればいい」
「陛下、独占欲が強すぎます……。あ、見て! あの髪飾り、可愛いですわ!」
私は強引に話題を変え、露店に並ぶ簡素な花の髪飾りに手を伸ばした。
サンクチュアリ王国の公爵邸では、宝石以外の飾りは「安物」と捨てられていたけれど、手作り感のある温かい細工に心が惹かれたのだ。
「……それが欲しいのか? 店ごと買い取って城に運ばせよう」
「いえ、そういうことではなくて! こうして選ぶのが楽しいのです。……あ、素敵」
私が手に取ったのは、小さな青い小花の飾り。
その時、横から無遠慮な手が伸びてきた。
「おっ、いい趣味してんじゃねえか。なあ、そこの姉ちゃん。その飾り、俺が買ってやるよ。その後、ちょっと茶でもどうだ?」
現れたのは、酒臭い息を吐く、身なりの良い――だが品性の欠片もない地元の小悪党風の貴族の三男坊だった。
彼は私が「聖女リーゼロッテ」であることに気づかず、ただの綺麗な町娘だと思って声をかけてきたらしい。
その瞬間。
私の隣で、大気が「ミィィン」と鳴るほどの殺気が膨れ上がった。
「……今、なんと? 私のリーゼロッテを誘ったのか、貴様」
ヴァルター陛下の声は、地獄の底から響くような低音だった。
彼が指先をパチンと鳴らす。
ドンッ!!
不可視の重圧――陛下が放った魔力圧が、男を地面に叩きつけた。
男は呼吸もできず、泥の中に顔を埋めて震えだす。
「ひっ……な、なんだ、この……死ぬ、死ぬ……っ!」
「安心しろ、死なせはせん。……ただ、その汚い目と舌を二度と使えなくしてやるだけだ。……エドムント!!」
どこからともなく、物陰で変装(というか不審者同然の格好)をしていた筆頭魔導師エドムントが飛び出してきた。
「はいはい、ここに! 陛下、街中での粛清は控えてくださいとあれほど……! ああ、もう! この阿呆を地下牢へ連れて行け!」
男が引きずられていく中、陛下は私の腰を強引に抱き上げ、周囲を威圧するように睨みつけた。
「……デートは終了だ。やはり外は敵が多すぎる。……帰るぞ、リーゼロッテ」
「陛下! まだ髪飾りも買ってませんし、広場でパイを食べる約束が……!」
「城のシェフに世界最高のパイを作らせる。髪飾りも、君の髪を飾るのは私の手で選んだ宝石だけでいい」
陛下は抵抗する私を小脇に抱え(いわゆる米俵担ぎに近い)、そのまま王宮へと続く転移魔法陣を強引に展開した。
***
城の寝室に戻ると、陛下は私を天蓋付きのベッドに放り投げ、そのまま覆いかぶさってきた。
手首に繋がっていた『魔力の糸』が短く縮まり、私の両手を陛下の胸元へと固定する。
「……陛下、怒っていらっしゃるのですか?」
「怒っている? 違うな、嫉妬で気が狂いそうなだけだ。……あの男が君に触れようとした瞬間、帝都ごと焼き尽くしてしまいたい衝動を抑えるのがどれほど大変だったか……」
陛下の瞳には、隠しきれない独占欲と、深い情愛が渦巻いている。
彼は私の髪を愛おしそうに梳き、耳元で熱い吐息を漏らした。
「……リーゼロッテ。君は私の結界だ。私だけの世界を守る、唯一の光。……外の空気になど、染まらなくていい。……今夜は、君が私の名を叫ぶまで、この鎖は解かないぞ」
陛下の唇が、鎖のように重く、そして甘く私の唇を塞ぐ。
窓の外では、私の張った広大な結界が、帝都の安らかな夜を守っていた。
けれど、その結界の主である私は、皇帝陛下という名の、決して破ることのできない「情熱の結界」に囚われて、夜が明けるまで甘い溜息をつき続けるのだった。




