第12話:社交界の洗礼と、皇帝の鉄槌
ガルディニア帝国の社交界は、美しき猛獣たちの檻のような場所だと言われている。
特に、建国以来の門閥貴族である「公爵夫人」たちは、突如として皇后の座に収まった私――滅びた小国の、しかも「無能」の噂があった女を、快く思っていなかった。
「……あら、あれが噂の『元聖女』様? 随分とお痩せになって。あんな細い腕で、本当に帝国を守れるのかしら」
「サンクチュアリ王国を滅ぼした死神だという噂もございますわよ。陛下も、お可哀想に。あんな不吉な女にたぶらかされて……」
お披露目の夜会。
華やかな扇の陰で、棘のある言葉がひそひそと交わされる。
私はヴァルター陛下の隣で、背筋を伸ばして微笑みを絶やさずにいた。
かつての私なら、この悪意に押しつぶされて泣き出していただろう。
けれど、今の私の腰には、常に私を支える陛下の逞しい腕がある。
「……リーゼロッテ。耳を貸すな。ゴミの羽音など、一瞬で叩き潰してやるからな」
陛下が耳元で、低く、けれど氷のような声で囁いた。
その瞬間、社交界の重鎮である「アイゼンベルク公爵夫人」が、わざとらしくワイングラスを手に近づいてきた。
「皇后陛下。お近づきの印に、我が領地の銘酒をいかがかしら? ……あら、失礼。無能な方は、お酒の味も分からないのかしらね?」
夫人がわざとらしく手を滑らせた。
赤ワインが、私の純白のドレスに向かって放物線を描く。
周囲の夫人たちが、勝ち誇ったような、あるいは憐れむような笑みを浮かべた――その、刹那。
カキィィィィィィィン!!
高い、硬質な音が広間に響き渡った。
空中で、赤ワインが「見えない壁」に衝突し、そのまま霧散したのだ。
私の周囲数センチを、白銀の光が淡く包んでいる。
「……えっ? な、何が……」
「私のドレスを汚そうなど、万死に値する無礼ですわよ、公爵夫人」
私は静かに、だが圧倒的な魔力の重圧を込めて告げた。
私の体から溢れ出す魔力が、結界となって会場全体を緩やかに圧迫していく。
並の魔導師なら気絶するほどの高密度な魔力。夫人たちは顔を蒼白にし、膝をガタガタと震わせ始めた。
「こ、これほどの魔力……! 『無能』だなんて、誰が……!」
「無能? ふん、聞き捨てならんな」
ヴァルター陛下が、一歩前へ出た。
彼の周囲の空気が、殺気で物理的に重くなる。
「アイゼンベルク公爵夫人。……貴様、今、私のリーゼロッテを何と呼んだ? 貴様の領地の税を百倍にし、一族全員を北の最果ての鉱山へ送ってほしいのか?」
「ひっ……! 陛下、慈悲を! 私はただ、冗談のつもりで……!」
「私の前で彼女を侮辱することは、私への反逆と同義だ。……衛兵! この女と、今さっき陰口を叩いていた者たちの名をすべて控えろ。明日までに全財産を没収し、国外へ放り出せ。……ああ、結界の外側――魔獣の楽園へな」
陛下の非情な宣告に、広間は一瞬で通夜のような静寂に包まれた。
夫人たちは悲鳴を上げながら、崩れ落ちるように連行されていく。
陛下は、怯える周囲を歯牙にもかけず、私の肩を力強く抱き寄せた。
「……気分を害したか、リーゼロッテ。やはり、こんな汚らわしい場所へ連れてくるべきではなかったな。……今すぐ寝室へ戻ろう。私の愛で、君の穢れをすべて浄化してやる」
「陛下、お言葉が過ぎますわ。皆様が驚いていらっしゃいます」
「知るか。私は、君の笑顔を曇らせるものすべてを滅ぼすために皇帝になったのだからな」
***
夜会の喧騒を後にし、私たちは月明かりの差し込む回廊を歩いていた。
陛下は私の手を離さず、何度もその甲に接吻を落とす。
「リーゼロッテ。……先ほどの結界、見事だった。だが、あんな下俗な連中のために君の魔力を使うのは、私の心が許さない」
「ふふ、でも、おかげでスッキリいたしましたわ。……私、もう誰にも負けたくないのです。陛下の隣に立つのに相応しい、強い女性になりたいから」
私の言葉に、ヴァルター陛下は足を止め、私を壁際に追い詰めるようにして囲い込んだ。
彼の瞳には、狂おしいほどの情熱と、独占欲が渦巻いている。
「……強い君も、弱っている君も、すべて私だけのものだ。……リーゼロッテ、君のその魔力、今夜はすべて私を縛り付けるために使え。君の結界で、私を逃げられなくしてみろ」
耳元で囁かれる、熱い、重い愛の言葉。
陛下の指先が私の顎を掬い上げ、逆らえないほどの力で唇が重ねられる。
一方で、かつての故国――サンクチュアリ王国の跡地では、生き残った僅かな貴族たちが、野ざらしのテントの中で震えていた。
「……リーゼロッテ、あいつさえいれば、こんな惨めな思いをしなくて済んだのに……」
彼らの恨み節は、風に乗って虚しく消えていく。
彼らが捨てた「至宝」は今、大陸最強の皇帝の腕の中で、宝石よりも甘く、そして重く愛でられているのだから。
「……愛している、リーゼロッテ。世界が君を欲しがっても、私は死んでも君を渡さない」
陛下の独占欲は、夜の深まりと共に、さらなる暴走を見せていくのだった。




