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第10話:王国の終焉、そして真の戴冠

 その日は、朝から空が血のように赤く染まっていた。

 不吉な前兆ではない。隣国サンクチュアリ王国で、ついに「最後の防壁」が崩れ、街を焼き尽くす炎が天を焦がしているのだ。


 私は、ヴァルター陛下と共に、国境の砦にあるもっとも高い塔に立っていた。

 陛下の手は、私の腰を片時も離さず、まるで「あちら側」に私が引きずり込まれるのを防ぐように強く抱き寄せている。


「……見ろ、リーゼロッテ。君を『無能』と嘲笑い、使い潰そうとした国が、今まさに地図から消えようとしている」


 陛下の冷徹な声が耳元で響く。

 遠く、霞んだ地平線の向こう側。

 かつての故国――王都サンクチュアリの街並みが、黒い煙に包まれていた。


 数千、数万の魔獣がなだれ込み、逃げ場を失った人々が右往左往しているのが、私の魔力探査には手に取るように分かった。


「……あそこに、ザカリー殿下も……お父様たちも、いるのですね」

「ああ。彼らは最後まで君の『慈悲』を叫んでいたそうだが……。君がいない場所に、救いなど存在しないことを、彼らは死を以て知ることになる」



 ***



 崩壊するサンクチュアリ王宮。

 玉座の間には、もはや威厳の欠片もない。


「……う、嘘だ、嘘だと言ってくれ! 私の騎士団はどうした! 魔導師たちは何をしている!」


 ザカリー王子は、玉座にしがみつき、震える声で叫んでいた。

 足元には、かつて彼が「真の聖女」と呼んだミナが、恐怖のあまり失禁し、這いつくばっている。


「ザカリー様、助けて……! 魔獣が、すぐそこまで来ているのよ! 嫌、食べられたくないわ!」

「黙れ、この偽物が! 貴様が、貴様がリーゼロッテを追い出すような真似をしなければ、こんなことには……!」


 ザカリーは、ミナの顔を思い切り蹴り飛ばした。

 愛し合っていたはずの二人は、死の間際、互いを呪い合うだけの獣に成り果てていた。


 ドォォォォォン!!


 重厚な扉が、巨大な魔獣の爪によって紙のように引き裂かれた。

 現れたのは、かつてリーゼロッテが一人で食い止めていた「災厄」そのもの。


「……あ、ああ……リーゼロッテ……すまなかった……愛している、愛しているから……助けて……っ」


 ザカリーが最後に発した言葉は、謝罪ではなく、己の保身のための嘘だった。

 その直後、王宮を覆う巨大な咆哮が響き渡り、サンクチュアリ王国の歴史は、凄惨な断末魔と共に幕を閉じた。



 ***



 国境の塔。

 風に乗って、微かに漂う焦げ臭い匂い。

 私はゆっくりと目を閉じ、自分の中に残っていた「故国との細い繋がり」が、完全に消滅したのを感じた。


「……終わったのですね。何もかも」

「ああ。君を苦しめた過去は、すべて灰になった。……これからは、前だけを見ろ。私の瞳の中だけを見ていろ」


 ヴァルター陛下は、私の顎を指先ですくい上げると、慈しむような、それでいてどこか狂気を感じさせるほど熱い接吻を落とした。

 彼の独占欲は、ライバルの国が消滅したことで、もはや止める者などいなくなっていた。


「リーゼロッテ。サンクチュアリ王国は滅びたが、その領土は我が帝国が接収する。……いや、『君の領土』として私が管理しよう。君を傷つけた土地を、君が支配するのだ。皮肉だろう?」

「陛下……そこまでされなくても……」

「いいや、足りない。……そして、明日。帝国全土に布告を出す」


 陛下は私の指先を取り、そこに帝国の皇后だけに許される「紫金石」の指輪を嵌めた。


「君を、我が帝国の『唯一の皇后』として迎える。……異論は認めん。君が拒んでも、私は無理やりにでも君を玉座に縛り付けるつもりだ」


 皇后。

 その言葉の重みに、私はめまいを覚えた。

 無能と罵られ、雨の中に捨てられた令嬢が、大陸最強の帝国の頂点に立つ。


「……私で、本当によろしいのですか? 私は、一国を滅ぼした死神かもしれませんのに」

「何を言う。一国を一人で守り抜いた女神だろう。……その女神を独り占めできる権利を、私は誰にも譲る気はない」


 ヴァルター陛下は私を横抱きにすると、塔を下り、豪華な馬車へと向かった。



 国境の砦から帝都へ向かう道中。

 沿道には、私の張った結界の恩恵を受けている市民たちが、色とりどりの花を投げ、私の名前を呼んでいた。


「リーゼロッテ様! 帝国の守護聖女様!」

「美しい皇后陛下、万歳!」


 その歓声を聞きながら、私は気づいた。

 私はもう、誰かのために自分を削る必要はないのだ。

 この人たちの笑顔を守り、そして隣にいるこの狂おしいほど私を愛する男の腕の中で、ただ幸せになればいいのだと。


 馬車の中で、ヴァルター陛下が私の髪を弄びながら囁く。


「……リーゼロッテ。今夜は、君の指先からつま先まで、私の愛がどれほど重いか、たっぷりと教えてやろう。……君の結界も、私の情熱からは君を守ってはくれないぞ」


 滅びゆく王国の煙を背に、私は新たな人生の、そして「真の溺愛」の始まりへと、その一歩を踏み出したのだった。

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