第1話:無能の烙印と、最強の結界
眩いばかりのシャンデリアが輝く、王宮の大夜会。
バイオリンの優雅な調べと着飾った貴族たちの笑い声に包まれる中、私の世界は一瞬で凍りついた。
「――リーゼロッテ・ド・ラ・ヴァリエール。貴様との婚約を、今この時をもって破棄する!」
広間の中心。
突きつけられたのは、私の婚約者である第一王子、ザカリー殿下の冷酷な宣告だった。
彼の傍らには、か弱げに震える子爵令嬢のミナが、庇われるように寄り添っている。
「……ザカリー様、それはどういう意味でしょうか」
「しらばっくれるな! 魔力測定の儀から三カ月、貴様の魔力値は『ゼロ』のまま。公爵令嬢でありながら加護の一つも持たぬ無能が、次期王妃の座に居座るなど滑稽千万だ」
周囲から失笑が漏れる。
『無能令嬢』。
その汚名は、ここ数ヶ月で社交界の隅々にまで広まっていた。
だが、彼らは知らない。私がなぜ、魔力測定で『ゼロ』を出したのか。
(……当然です。私の魔力は一滴残らず、この国の国境を守る『大結界』の維持に注ぎ込んでいるのですから……)
代々、ヴァリエール公爵家の長女は、国の安寧を守る『結界の楔』としての役割を担ってきた。特に近年、魔獣の活性化に伴い、結界の維持には膨大な魔力が必要となっていた。私はこの三年間、一度も熟睡することなく、心臓を削るような思いで魔力を放出し続けてきたのだ。
目の下にできた隈を厚い化粧で隠し、痩せ細った体を重いドレスで包み、この国のために尽くしてきた。
「ザカリー様……。私がこの国のために、どれほどの思いで……」
「黙れ! ミナを見ろ。彼女は『癒やしの光』を持つ真の才女だ。貴様のような、ただ立っているだけの地味な女とは格が違うのだよ」
ミナが勝ち誇ったような笑みを浮かべる。
彼女の魔力など、せいぜい切り傷を治す程度。
それを大げさに喧伝し、王子をたぶらかしたのだろう。
「リーゼロッテ、貴様は今すぐこの城を去れ。国外追放だ。無能な女に食わせる飯など、我が国には一粒たりともない。衛兵! この女を門の外へ放り出せ!」
荒々しく腕を掴まれ、私は夜会の外へと引きずり出された。
外は、バケツをひっくり返したような土砂降りだった。
馬車も、着替えも、一銭の金すら与えられないまま、私は冷たい石畳の上に放り出される。
「……ふふ、あははは……っ」
雨に打たれながら、私は笑った。
もう、いいのだ。
私が消えれば、私が一人で支えてきたこの国の結界がどうなるか。
そんな簡単な想像もつかないほど、この人たちは奢り高ぶっている。
私は、自分の中に残っていた最後の力を振り絞り、国と繋がっていた『魔力のパス』を自らの手で断ち切った。
――その瞬間。
私の体中に、今まで感じたことのないほど膨大な魔力が駆け巡った。
蛇口を閉められた水がダムに溜まるように、国中に霧散させていた魔力が、本来の持ち主である私のもとへと一気に還ってきたのだ。
「体が、軽い……。これなら、どこまでも行けそう……」
私はフラフラと立ち上がり、どこへともなく、歩き出した。
もはやこの国に未練はない。
歩き始めて数時間が経った頃。
気づけば、私は国境付近の森に続く道を歩いていた。
――その時。
森の奥から、大地を揺るがすような咆哮と、金属がぶつかり合う激しい音が聞こえてきた。
岩陰から覗くと、そこには信じられない光景が広がっていた。
漆黒の豪奢な馬車。
それを守るように円陣を組む、精強そうな騎士たち。
彼らを取り囲んでいるのは、数千を超す魔獣の群れだった。
「ひどい……。あんな数、いくら精鋭でも……」
騎士たちの中心には、返り血を浴びながら剣を振るう一人の男がいた。
燃えるような瞳、夜の闇よりも深い黒髪。
隣国の若き皇帝、ヴァルター陛下だ。
「冷徹皇帝」として恐れられる彼が、なぜこんな国境付近に。
魔獣の一体が、守りの薄くなった皇帝の背後に飛びかかった。
「危ない……!」
私は無意識に、右手を突き出していた。
自分でも驚くほどの速度で、青白い光の奔流が私の掌から放たれる。
キィィィィィィィン!!
鼓膜を震わせる高い音。
皇帝と騎士たちを包み込むように、巨大な「半球状の光の壁」が出現した。
飛びかかった魔獣は、目に見えぬ壁に激突し、爆散する。
「なっ……何事だ!?」
皇帝ヴァルターが驚愕の声を上げた。
彼は信じられないものを見る目で、頭上に展開された結界を見上げている。
魔獣たちが次々と激突するが、結界は震え一つしない。一国を数年間守り続けた私の魔力は、たった数千の魔獣など相手にもならないほど強固だった。
私は雨の中、ゆっくりと彼らの前に姿を現した。
濡れそぼったドレス、乱れた髪。だが、その瞳だけは魔力で黄金色に輝いている。
「陛下……もう、大丈夫です」
私がそう告げた瞬間、結界からまばゆい衝撃波が放たれ、周囲の魔獣を一掃した。
静寂が訪れる森の中、皇帝ヴァルターは剣を鞘に収めると、大股で私に歩み寄ってきた。
彼は大きな手で、私の泥だらけの頬を包み込む。
「……信じられん。一国の魔導師団を束ねても不可能な、これほどまでに純粋で強固な結界……。君は一体、何者だ?」
「私は……ただの、無能だと捨てられた女です」
自嘲気味に笑う私を見て、皇帝の瞳に鋭い、それでいて熱を帯びた光が宿った。
「無能だと? これほどの至宝を捨てるとは、その国の王は正気か。……いいや、好都合だ」
彼はそのまま、私を軽々と横抱きに――いわゆるお姫様抱っこで抱え上げた。
「……っ、陛下!? 私は汚れていますし、それに……!」
「黙れ。この手放してなるものか。君は、我が国へ来てもらう。……いや、私のそばにいろ。君こそが、私が探し続けていた私の運命だ」
冷徹と噂される彼の瞳に宿っているのは、逃がさないという強い執着だった。
私はあまりの温かさと、数年ぶりに感じた安堵感から、彼の胸の中で意識を手放した。
その頃。
私を追い出した夜会会場では、窓ガラスがガタガタと震え始めていた。
国を支えていた結界が完全に消失したことに、愚かな王子たちが気づくのは、まだ数分後のことである。




