第5話 素材集め
勝負開始から三日目。
俺は厨房で、集めた材料を前に腕を組み、唸っていた。
「うーん……やっぱり、手に入るのはこの程度かぁ」
現実を突きつけられた気分だった。
理想はある。
だが、この時代、この土地、この商流では、俺の欲しい素材は手に入らなかった。
改めて、集めたスープ用の材料を見渡す。
俺が作ろうとしているのは、家系に近い醤油豚骨をベースにした一杯だ。
これを選んだ理由は単純だ。
豚骨醤油のスープは、ガツンと来る。
令和の時代においても、完成度という意味では、いまだ最高峰の一つだ。
そして何より、目新しく、食べた瞬間の衝撃が分かりやすい。
丸鳥――いわゆる普通のブロイラー。
本当はヤゲンの軟骨がついた個体が欲しかったが、この地域では流通していなかった。
肉屋にはすでに頼んである。ツテを辿れば、いずれは手に入るだろう。
豚骨も、手に入ったのは冷凍品のみ。
本当はチルドが理想だが、文句を言っても始まらない。
冷凍には冷凍なりの扱い方がある。
技術次第で、欠点はある程度まで抑えられる。
チルドに勝てないのは承知の上だ。
……まあ、いい。
ここまでは、まだ誤魔化しが効く。
問題は、鶏ガラがブロイラーのものしかないことだ。
本音を言えば、親鳥の鶏ガラが欲しかった。
あれがあれば、出るコクが一段違う。
スープの奥行きが、まるで変わってくる。
だが、この時代、親鳥のガラはまだ一般の小売にほとんど出回らない。
業者レベルのツテがなければ無理だ。
材料がない。理想のスープは作れない。
だが、まったく作れないほどではない。
妥協だらけの試作になるだろう。
けれど、妥協は俺の得意分野でもあった。
商社時代、ラーメンチェーンの原材料選定をしてきた。
使いたい材料を、使いたい形で使えたことなど、ほとんどない。
限られた条件の中で最善を探す。それが仕事だった。
考えるのはここまでだ。
あとは、手を動かすしかない。
俺は寸胴に火を入れ、沸騰してから骨を沈めた。
豚骨の嫌な部分が出ないよう、下処理は済ませてある。
鍋の前に立ち、黙って様子を見る。
時々スープは混ぜるが、骨には触らないよう注意する。
……骨の隙間から、ようやく白濁がにじみ出てきた。
最低限のラインには、届いた。
さらに煮込む。
気がつくと、外はすっかり暗くなっていた。
そうしてできたスープを、小さなレンゲですくい、口に含む。
「……立体感がないな」
想定通りだ。濃さは出ている。
だが、飲み込んだあとに残るものが薄い。
親鳥の代わりにブロイラーのガラを使っている影響が、はっきり出ている。
ただ、試作一号だ。
ここで完璧を求める必要はない。
カエシ側で、少しだけ工夫して補うしかないだろう。
俺がそう判断した、そのときだった。
厨房の引き戸が、勢いよく開いた。
「ちょっと、敦史!」
母だった。
「勝負の期間中は、お互い厨房に入らない約束じゃないか」
「そんなこと言ってる場合じゃないのよ!
八百屋に行っただけで、もう三人から匂いの苦情が来てる!」
なんとかしなさい!と、少し不機嫌な母。
……もう来たか。
豚骨を煮込むときの匂いは、ダクトを使って確実に外へ出る。
だが、少しの匂いでも、豚骨文化のない市街地では敏感に反応されるのかもしれない。
「そんなに臭いかな……」
「すごく臭い!通りに出た瞬間、分かるレベル」
この程度の仕込み量だ。
俺としては、そこまで臭うとは思っていなかった。
「試作期間中だけ、我慢してくれ。
本採用になったら、匂いはちゃんと対策する」
本音を言えば、匂いが問題になることは想定していた。
だが、ここまで早くクレームが来るとは思わなかった。
母をなだめて送り出し、俺は作業に戻った。
骨格スープを微調整し、カエシを張った丼に注ぐ。
仕上げに鶏油を回し入れる。
試作一号、完成だ。
レンゲで啜る。
「……ある程度は、できてるな」
親鳥ガラという重要なピースが欠けている割に、スープとしては成立している。
抜けたピースを補うため、化学調味料の配合を工夫している。
俺にとっては少しわざとらしい味だが、この時代の人にとっては新鮮に感じてもらえるだろう。
鶏油の香りも悪くない。
とある理由で、溶かしたラードや別エキスを使い、香りを補強している。
問題は後味だった。
醤油のキレが甘い。
ぼやけた輪郭が、長く口に残る。
しかも、その割に醤油だけが主張する。
塩辛いものを好まない関西人との相性は最悪だ。
水か、醤油か。
大阪特有の軟水を考えると、硬度調整も視野に入れるべきだろう。
そして、最大の問題。
麺だ。
どうしても、しっくり来るものが見つからない。
家系と聞くと中太麺を思い浮かべる人が多い。
だが、あれは単なる中太ではない。
スープを抱え込むよう緻密に設計された麺。家系の命。
この大阪の土地では、まず手に入らない。
本来なら、麺というのはスープに合わせ、年単位で開発するものだ。
だが、勝負は二週間後だ。
俺は一度、深く息を吐いた。
「……今、店で使っている麺で行くしかないか」
最初からベストは無理だ。
だが、今できることはやった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
試作一号は、ひとまずここまでだ。
材料は、理想には程遠い。だが、勝負の土俵には立てる。
問題は味だけじゃない。
このラーメンを、誰にどう評価してもらうか――そこまで含めて、勝負だ。
俺は鍋から目を離し、次の段取りに頭を切り替えた。
審査員探しは、すでに動いている。
一人目は、近所の昔からの知り合いだ。
口数は少なく、不器用だが、嘘をつかない。
ラーメンに詳しいわけじゃない。だからこそいい。
「うまいものはうまい」「ダメなものはダメ」と、変な忖度をしない。
今は求職中らしく、営業再開後はバイトとして手伝ってもらうことで話をつけている。
もう一人は、少し毛色が違う。
逆行前の記憶を辿り、適任の人物を選んだ。
この時代では面識がないため、大学時代の友人に紹介を頼んだ。
家の黒電話の前に立ち、受話器を取る。
久しぶりに使うダイヤルの扱いに苦戦しながら、電話をかける。
「こんばんは、火神です」
「おぉ、話は聞いていますよ。かつての人気店が、ラーメンバトルで新しい一杯を競い合う!
面白そうですね」
相手はラーメン雑誌の記者。
俺の未来での知り合いだ。
この人は本物だ。ラーメンの味が分かる記者。
この人に審査員として来てもらう。
そして、可能なら記事にもしてもらう。
一石二鳥の、少し虫のいい依頼だ。
「では、来週の土曜日、十二時にお願いします」
そう言って、電話を切る。
これが実現できたのは、友人の紹介があったからだろう。
だが、それだけじゃない。
亡き父が必死で築いてきた店の名声が、まだ生きている。
客足は遠のいた。
それでもこの店は、今でも一部のラーメンマニアから一目置かれている。
スープの奥にある繊細な旨みに気づける――
そんな但し書き付きではあるが、
だからこそ、審査員として彼は最適だった。
親父のラーメンを理解したうえで、評価を下してくれる。
さて。
母は、どんな審査員を連れてくるだろうか。




