第46話 プレオープン 中編
出てきたラーメン。
見た目は本店のものとほとんど変わらない。
「ふぅん、見た目は関西と同じなんだね」
見た目が変わるほどは触っていない。ベースはあくまで本店のままだ。
「まあ、微調整しかしてないからね」
ラーメンが分かる女、遥香ちゃんは一口すすって、レンゲでスープを味わう。少し考え込んだ。
「これは強烈なカエシだね。醤油、多めにしてるの?」
「いや、醤油の種類も量も変えてない」
醤油はいじっていない。豚骨の構成と鶏油だけを変えた。
関西では、鶏油に少しだけラードを混ぜ、ゲンコツ多めの豚骨で乳化層を少し甘めにしていた。醤油のエッヂを意図的に隠すためだ。
関西人は家系の醤油が苦手というより、このエッヂの効いた立ち上がりが苦手なだけの人が多いからな。
「だから醤油は、元の濃口醤油のままなんだ」
遥香ちゃんは感心したように頷いた。
関東のラーメンに詳しい遥香ちゃんは簡単に納得したが、他のスタッフはまだ腑に落ちていない顔をしている。
「美味しいですけど、本店よりカエシが塩辛く感じません?」
本店の副店長が言った。
「塩分濃度で言えば同じだよ」
実際、関西の薄口醤油って塩分だけで言えば濃口醤油より濃い。
関西人自身もよく分かっていないが、彼らが関東の料理を塩辛いと言うのは、塩分が多いって意味じゃなかったりする。
この平成初期、東西間の味の違いはかなりあった。
関西のチェーンは関東に進出していないし、逆もまた然りだ。
美山くんに東京店を任せるにあたって、俺は彼を連れて関東中の飲食店を回った。
ラーメン中心だけど、おでんや中華も含めて――庶民的な店で、うまいと思った所はどこにでも連れて行った。
ラーメンを出す上で顧客層を知らないといけない。
もちろん、本店の味をそのまま持ってくるだけで喜ぶ人はいるだろうし、ある程度の客もつくだろう。もちろんそれだけでもね。
食べ終わった遥香ちゃんはライスをスタッフに頼んでいた。レンゲで混ぜながら、ふと俺に質問してきた。
「でも、これで家系との相違点が少なくなったわけだけど、差別化はどうするの?」
そうなんだよなぁ。ウチはぶっちゃけて言えば関西風の家系って感じだった。余談だが、もう本家の売上の十倍ぐらいはある。
「味はウチの方が濃い。完成度も高いと思う」
これから三十年近く進化したラーメンの歴史、それがスープと麺に入っているわけだからな。
俺も変装して、本家の直系にも行った。比べると、そのスープはかなり薄かった。
二郎も家系も、最初から特徴的だったわけじゃない。客のニーズに合わせて進化していった。
それを突然変異で最適解として出しているウチの店は異常だ。客を置き去りにして、『令和のラーメン』を先に食べさせている。
ラーメン好きでも唸るほどの完成度だ。
「確かにねぇ。カップ麺はすぐ真似されちゃったけど、スープは周りの店が苦労しているよね」
大阪では、ウチを意識した店が増えている。豚骨醤油も濃厚味噌も、似た方向に寄ってきた。
実はそれ自体は嬉しい。ラーメンが文化になるには、単一ブランドだけじゃ難しいからな。
ただ、味の完成度は別問題だ。出来はちょっと……イマイチだ。
多分、ウチみたいに原価を高くできないんだろうな。ウチは八百円という値付けじゃないと成立しないような原価のスープだし、しかも大量発注が前提だ。
本家に対しても、味での優位性はあると思っている。
それに加えて、ウチにはそれ以上に長所がある。
「そもそも競合しにくいと思うんだよね」
まず立地が違う。
ロードサイドなら確かに客の取り合いが起きるかもしれない。だけど、俺はそのバトルを挑む気はなかった。少なくとも今はまだ。
この時代の換気設備では、環七ならともかく、駅前に豚骨を使うラーメン屋を出すのは不可能と言っていい。
例えば、ここは神田神保町。未来では豚骨から煮込む本格的な家系ラーメンもあるところだ。
だけど、この時代の家系では出店できない。あまりにも仕込み時の臭いがキツいからだ。
それを実現できるのがセントラルキッチン方式。
そして、それを支える令和仕込みの冷蔵輸送技術だ。
「しかも、俺たちは店を増やせる仕組みがある」
できれば工場の能力を活かし、効率を上げるために三千杯は売りたい。
この店だけでは不可能だ。
俺たちはフランチャイズ方式で店を出していないので、圧倒的なスピードで出店できるわけではない。
だが、基礎教育を行った社員にマニュアルを二冊ほど覚えさせれば、店長を立てられる。
実験場にもなる予定の一号店なので、じっくり教育した美山くんを配置しているが、本来なら二カ月あれば店長は育てられる。
師弟制とは似ている点もあるように見えて、決定的に違う。
店長は労務管理、仕入れや税金、金の扱いから解放される。
それらは本社にいる優秀なスタッフが処理する。
現場は味とお客さんだけに集中できる。
「ラーメンは職人技だけではないのさ」
話し終えて遥香ちゃんの方を見る。さぞかし感動しているだろう……そう思ったが、レンゲでスープに入れたご飯を食べていた。
おい、話聞けよ。
「だってぇ、途中からいつも言ってることと一緒だったし……」
その言い分に、俺も苦笑する。
まあ、経営会議でいつも同じこと言ってるからな。俺のモットーは『良い材料は美味い』だ。
杯数を出す。大量仕入れで原価を下げる。大量調理で加工費を減らす。八百円でも、それ以上の体験を客にしてもらう。
俺が経営方針をまた語り始めようとすると、遥香ちゃんが止めてきた。
「そろそろ、第一陣の試食グループが来る時間だから、その話はまた後にしよ!」
うーん、ウチの嫁は俺の扱いが上手いな……。
さて、プレオープンの本番だ。第一陣からいきなりラスボスだ。関東中のラーメンライターに声をかけた。さらに関西の大御所にも。
俺はカウンターの中の美山店長に声をかける。
「じゃあ、ここからがプレオープン本番だ。さぁ準備しようか」
昨日もWBC休暇でした。
すみません




