第45話 プレオープン 前編
「今日はよろしくお願いします。今からプレオープンします」
美山店長がそう言って頭を下げた。
緊張しきった店長とスタッフとは裏腹に、客席はものすごく呑気な雰囲気だった。客席にいるのは、全員会社の関係者だからだ。
プレオープンは六回に分けて行う。いきなり一般客まで入れると、参加者の反応に現場が追いつかないからだ。
初回は社内関係者だけ、という段取りだった。
席にいるのは、俺、遥香ちゃん、総務部長の武見ちゃん、それに各店舗から店長か副店長。
まあ、社員旅行みたいなもんだな。俺と副社長以外の関西組は、午後から東京観光に行くらしい。
思ったより早く全員が揃ったので店を開けたが、寸胴はまだ立ち上がっていない。
店長いわく、スープが仕上がるまで三十分かかるらしい。
北新地本店の副店長が、感心した様子で店内を眺めていた。
「こっちの店は動線もスッキリしてるし、何より広くていいですね」
実際、東京とは思えないほど広い。二階席をすべてカウンターにして、一階席も拡張。合計六十席になった。
余談だが、その本店副店長はこのあと自費で連れてきた彼女と土日を夢の国で過ごして大阪に帰るらしい。観光気分というより観光だな。
一応、彼は東京店の店長陣が倒れた時の代理のはずなんだけど
……まあ、この時代は多少の熱でも出勤するのが当たり前だった。代理が出番を迎える機会なんて、そうそうない。
「まあ、それに関しては本店がちょっと動線悪いよね」
あの店は、まだノウハウがないころに作ったから店員と客の動線が悪い。下手に繁盛してしまって、今さら工事もできない。
だが、この店は最初からちゃんと動線が設計されている。これだけで回転率は一割は変わる。馬鹿にはできない。
「実は二階席もあるんだ。見てみる?」
「見たいっす!」
そう言って、俺は彼を二階へ案内した。
ラーメン屋で二階席がある店は、かなり少ない。席を増やしても、出す速度が落ちたら回転が下がって本末転倒だからだ。
だけど、この店は供給が追いつく設計になっている。スープにかける手間が少なく、サイドもライス以外は既製品。だからキッチンを小さめにして、そのぶん客席に振れる。
ラーメン店は客席に対して厨房が三割必要だと言われるが、この店は一割五分で回す想定だ。地価が高すぎるバブルの時代、都市部はセントラルキッチン前提じゃないと商売にならない――そう思わされる。
「二階席への配膳はエレベーターがあるんでしたっけ」
「そうだね。居抜きで付いてた設備だけど、これなしじゃさすがにきついな」
料理を運ぶ小さなエレベーターがあるから、二階の配膳も現実的になる。かなり良い店舗設計だと思う。
話し相手がいないので、俺が設計時に気をつけたことを副店長に話していると、下から声が飛んできた。
「敦史くーん、スープの準備できたって」
遥香ちゃんの声だ。
「はーい、じゃあ行くね」
いよいよ試食だ。とはいえ、俺は何回も食べてるんだけどな。
◇◇◇◇◇◇◇◇
この店では豚骨醤油と濃厚味噌の両方を出す。
まずはスタッフが濃厚味噌をカウンターに並べ始めた。
配膳された瞬間、みんな待てずに箸を伸ばした。社長を待って一斉に、なんて文化は……ないらしい。
というか、俺より遥香ちゃんに先に配膳されるのは相変わらず意味がわからない。まあ、いつものことだ。
「うん、確かに大阪の店と同じ味ね」
濃厚味噌は、関東向けにローカライズはしなかった。味は大阪のまま出す。
もともと女性や年配の客がメインターゲットだし、濃くしても仕方ないと思ったからだ。
俺も一口だけ麺をすすって言った。
「西日本で食べる、いつもの味。僕にとって新鮮みがないことが、成功の証だと思う」
俺の言葉に麺をすすっていた遥香ちゃんが不思議そうにこちらを見る。
「……? 敦史くん、何を言ってんの?」
渾身のギャグは伝わらなかったらしい。まあ、仕方ない。
冗談はさておき、味噌ラーメンのスープはほとんど苦戦せずに作れた。
味噌は何度も言うが『美味すぎる』。細かいディテールを上書きしてしまう。
硬水が生み出すちょっとしたミネラルっぽい苦さなんて、完全に消し飛ばしてしまうんだよなぁ。
遥香ちゃんは味噌をすすりながら聞いてきた。
「濃厚味噌はどれくらいのスープ用意する予定だっけ?」
「一応、豚骨醤油の20%ほどは用意する予定だよ」
確認のためだろう。日々の需要予測と生産量を握っているのは、本社にいる遥香ちゃんだからな。
「もっと、増やせないのかなぁ?」
遥香ちゃんは濃厚味噌が大好きで、いつも同じことを言う。
利益が出るのも事実だ。原価が数パーセントほど安い。
高価格なくせに薄利多売のこの店では、利益が数十パーセントくらい違う。
「まあ、濃厚味噌のカップ麺も新発売したし、そのうち増えてくるんじゃない?」
個人的には出来はいいと思う。だけど、主役にするには難しいとも思う。
濃厚味噌といっても、所詮は味噌ラーメンだ。味噌で八百円は、さすがに高い。
「じゃあ本命の豚骨醤油を――美山店長、用意してもらえる?」
「了解っす!!」
ウチのラーメンは豚骨醤油がメインだ。勝負はその出来にかかっている。
スタッフが慌ただしく動き出すのを頼もしく思いながら、俺はじっと見つめた。




