第44話 麺職人 改
順調なカップ麺の売り上げに呼応するように、大阪の店舗群もどんどん伸びていた。
新しく開けた店まで大賑わいだ。
バカ高い家賃を避けて二等地三等地に出したのに、客が途切れない。
会社全体では四店舗で一日6000杯――数字だけ見ても異常だ。
だが、これは明らかに目標より上振れしすぎている、というより現場が回りすぎている。
伊丹空港近くにある24時間営業の大型店舗がフル回転しているのが大きい。
この店舗だけで2200杯も出ている。
あまりに忙しい職場だ。結果としてパートが二人、抜けてしまった。
まあ、それは仕方がない。
俺はそう自分に言い聞かせた。ウチの労働環境というより、国の制度の問題だ――と。
高給だからこそ、パートでも拘束時間が長いと、すぐ扶養の上限を越えてしまう。
働きすぎると扶養控除から外れてしまうのだ。
この時代、社会保険の関係で、主婦は年収が103万円を超えると大幅に不利になってしまう制度設計だった。
今年に入って十ヶ月の時点で、一〇三万円を超えそうな主婦が出てしまった。
さすがに慰労金をばら撒きすぎた。求人票より二割弱高い時給で、激務をこなしてもらっているからな。
そもそも時給500円の時代、年103万円は普通に働いていたら超えない。
でもこの店だと、シフトを厚くすると簡単に超えてしまう。
この時代、パートでこの額に届く発想自体が薄い。
二人とも、ぎりぎりになるまで危機感がなかった。結果、残り二ヶ月は一切シフトに入れない――そんな事態になった。
残った主婦の一人は『旦那より月収を稼いでる』なんて笑っている。
仕事熱心すぎるくらいなので、俺は正社員化を打診している。
『仕事がありすぎて困る』なんて贅沢な悩みが出るくらいには、全体として順調だ。
ただ、問題は東京一号店だ。
店長の美山くんが頑張っているのでバイト集めは順調だ。
行列ができる前提で、導線や近隣対応の段取りも済ませてある。
問題は麺だ。
スープはなんとかなった。とはいえ調整は必要だろうが、出来には自信がある。
ウチの細麺が、なかなかいい感じに出せない。
実は結構繊細なのだ。
細麺で高加水、モチモチなのにスープを含む。そんな矛盾が簡単に形になるわけがない。
覚悟していたが、思った以上にうまくいかない。
安定した小麦と、温湿度を完全管理した製麺室。
絶妙なブレンドに加えて、水に合わせて工程も微調整している。
それでも、少し乾き気味で茹で伸びしにくい麺に寄ってしまう。
不良率も上がっている。耳割れや毛羽立ちが目立つ。
「俺の読んだ文献だと加水率は製麺にそこまで影響が出ないはずだったんだけどなぁ」
仮説だけど、この麺に少しだけ配合している全粒粉自体がそもそもグルテン結合を邪魔する役割がある。
そこに硬水が重なって、相乗で悪さしてるのかもしれない。
東京一号店の開店まで残り一週間。明後日にはプレオープンもある。
麺の完成を待つのを諦めた俺は、妻の遥香ちゃんに電話をかけることにした。
机の隅にある旧式のダイヤル式の黒電話に向かう。
『もしもし、火神です』
「あ、遥香ちゃん。俺だけど、やっぱ麺間に合わないわ」
『えぇ、あんなに大口叩いてたのにぃ?』
そのあと、遥香ちゃんに説教される。
間に合わなかったことを怒っているわけではなく、前々日じゃなくて、もっと早く報告しろや……ってことらしい。
ごもっともなご指摘です。どちらが上司かわからない。
『スープは間に合ったの? あれはさすがに今から輸送の手配はできないよ?』
「うん、スープは完璧だから安心して」
最高のスープができた。
関西の店舗のものより完成度が高いかもしれない。
というか、そっちに夢中になりすぎて、麺の詰めが遅れたんだ。
『じゃあ、明後日の早朝の製麺分を送るね。
ちゃんと麺輸送用のマニュアルを使って麺を送るから。配送先はスープ工場でいいのよね』
「はーい、お願い」
といっても、俺が何もしていなかったわけではない。
一ヶ月前の俺は東西間で麺を輸送するマニュアルを作っておいた。
この最新式の巨大な製麺機は、関西と東京にそれぞれ一台ずつある。だが両工場とも予備がない。
クソ高いから、二台目なんて簡単に買えない。
だから運用で故障時をカバーするマニュアルを作った。
麺というのはそこまで嵩張らない。
スープ用のチルドトラックには、常に予備車が一台ある。
そいつを使って『低温で熟成させながら』運ぶ。輸送そのものを熟成工程にする。
麺の品質は完璧だ。何回も確認している。
前々日まで寝かせられたのは、そのテスト運用を済ませていたからだ。
俺は電話を切り、大きく伸びをした。
「あー、全然思い通りにならない。麺の方は楽勝だと思ったのになぁ」
◇◇◇◇◇◇◇◇
朝、スープ工場のバカみたいに広い駐車場に、1トンの冷蔵トラックがやってきた。
店舗が一つしかなかったときに使っていた小型のものだ。
何店舗も巡回する今の状況では小さすぎるので、今は現役を退いて、社員の足として使われている。
運転席から素早く降りてきた人影がこちらに向かってくる。
……と思ったら遥香ちゃんだ。俺に突っ込んできたので、反射的に受け止めた。
「敦史くん、新婚なのに一ヶ月も家を空けるなんて酷い!」
自分で東京出店計画を決めたのに酷い言い草だ。
遥香ちゃんが在京メディアの出演を詰め込みまくったせいで、大阪に帰る暇が一日たりともなかった。
「副社長直々に来てくれたの?」
「まぁ、今日は私も東京に来る予定だったからね」
今日はプレオープンの日だ。
各メディアや関係者を集めてお披露目をすることにしている。
俺にくっついて離れない遥香ちゃん。
結婚してからスキンシップがどんどん増えてるんだよなぁ。
「敦史くん、ところでスープはどんな感じ? なんか自信満々だったけど」
「まぁ、それは今日の試食会のお楽しみってことで」
スープは関西の麺に合わせて完全に仕上げてある。
逆に、この工場で麺を打つなら微調整が必要だ。
まあ、その時はその時だ。
「じゃあ、この麺を店にいる美山くんのところに届けに行こうか」
トラックの荷台から麺の箱を取り出しながら、俺は遥香ちゃんに微笑んだ。
昨日はWBC休みをいただいていました。
二連勝を見れて、本当に嬉しい。
やっぱ...メジャーリーガーの野球を...最高やな!




