第40話 敦史くん、陥落す
テレビではウチと前橋食品のコラボカップ麺のCMが流れていた。
俺でも名前を知っているイケメン俳優が、カップ麺を前に突き出している。
「出荷制限がかかってるのに、CMは流すんだなぁ」
聞いた話では、前橋食品の営業部の電話は鳴り止まないらしい。
きっと彼らは殺気立った視線で、このCMを見ているだろうな。
発売から一か月半、コラボカップ麺は恐ろしいほどの売り上げが出ていた。
既に二百万食分が出荷されているらしい。
スーパーの棚は空になって、小売業者はメーカーに矢のような催促をかけていた。
出荷には制限がかかっている。
ウチの店頭分ですら、確保に苦労するほどだ。
俺は、昨日の担当者との電話を思い出した。
『現在、製造ラインをどんどん増強しているんで、七月末には必要量を供給できると思います』
食品業界において普通ならありえないことだが、このカップ麺は工場の一ラインを完全に占有して生産し続けているらしい。
普通なら一日十六時間しか動かない生産ラインを二十四時間稼働に切り替えて、毎日二十万個を作り続けている。
要するに、前橋食品は他の商品を後回しにしてまで、生産に力を注いでいるということだ。
価格設定を見れば、そこまでやる理由も見えてくる。
二百五十円という、この時代ではあり得ない高単価商品だ。
きっと利益率も高いんだろう。
具材は確かにフリーズドライ製法を使った高単価なものだ。
液体スープも高いが、それでも二百五十円ならかなり利益が出る設定になっている。
おそらく百八十円くらいでも十分な利益が出るはずだ。
さらに今月に入って、生産量は一日六十万まで急激に増やされる。
これは関西にある子会社の生産ライン二つでも、新たに生産を始めるからだ。
「さて、類似品が出るのは来月か再来月だと思うんだけど」
製造ラインを急激に増強しているということは、前橋食品も「時間との勝負」だと分かっているんだろう。
ライバルがいない今のうちに売らなければ……そんな焦りが透ける。
このカップ麺は、類似品を作りやすい部類だ。
液体調味料が二個あるのが目立った特徴だ。麺や具材にも工夫はある。
だけど、結局はそれだけだからな。
ラ皇のように生麺でもない。
あくまで既存のカップ麺の延長上で、製造は難しくはないのだ。
高価格帯のカップ麺市場を独占できるのは四ヶ月というところだろうか。
結局、勝負は『スピード』だ。
それまでに売りまくる。リピーターを作る。
他の商品のラインを犠牲にしてもこの商品を市場に浸透させなければならない。
高い利益が出る領域を独占するためにも。
ライバルメーカー、日露食品は不自然なほど沈黙している。
だが、裏では新商品の企画が動いているはずだ。
やられっぱなしで黙るような気質じゃない。
数年前にデカ麺ブームがあった時、それは証明されている。
前橋食品の子会社が麺量 1.5倍を謳った『ハイパーカップ』を出して大ヒットした。
その時の彼らは、王者のプライドなんて投げ捨てて、とんでもない勢いで類似品を投下してきた。
今回の『令和』カップ麺のヒットはデカ盛りブームの比ではない。
すでに売れている分だけで二百万個。
デカ麺ブームの数十倍の瞬間的な売上げが出ている。
今この瞬間も、各社は対抗商品の開発に専念しているはずだ。
そんなことを考えていると、廊下で物音がした。
「敦史くん、そろそろ出勤するね」
遥香ちゃんがリビングに入ってきて、俺の隣に座ってきた。
同棲してから数ヶ月。
母を含む親戚の強い圧力により、俺たちは来月、結婚することになっている。
「あぁ、いってらっしゃい」
昭和のお見合い結婚みたいなもんだ。
とはいえ、二人とも異存はない。遥香ちゃんに至ってはかなり乗り気だった。
まぁ、婚約してから何か変わったかというと、実態としてはほとんど変わらないんだけど。
彼女の顔をじっと眺める。
不思議そうにこっちをみてくる遥香ちゃん。
しばらく睨めっこをしていたが、「そろそろオフィスの鍵を開けなくちゃ!」と言って、ぱたぱたと出て行った。
「結婚か……」
結婚という言葉が出ると、どうしても逆行前の記憶が引っかかる。
かつての妻が気にならないと言ったら嘘になる。
だけど、前職の同期から聞き出したところ、この世界の彼女にはすでに付き合っている人がいるらしい。
複雑な気持ちだが、彼女と付き合ってすらいない男に何もいう資格はないだろう。
それにこの世界は少し、バタフライエフェクトなのか俺の知っている世界とズレてきているようだ。
なんか、聞いたことがない企業があったりする。
そのズレを、俺は時々しょうもない物で実感する。
俺は机の上にある、謎のメジャーリーガーの顔が印刷された爪切りを見る。
事務の女の子が会社全員に配ってたものだ。
何十個も買ったので配っているんだとか。
爪切りを複数買う意味が、俺には分からない。
その事務の娘にはカップ麺関連の事務作業を任せていて、最近は少し残業続きになっていた。
少し精神的に参ってるんだろう。
最近はその子には、意識して優しくしている。
この爪切りに印刷された人物も、逆行前では見たことがない有名人だ。
逆行前では名前すら聞いたことがない……気がする。
野球には詳しくないから正確には分からないが。
少なくとも、毎日ニュースに出るような人物じゃなかったはずだ。
とにかく、この世界は逆行前とは微妙に違う世界だ。
あの日、会社の寮で起きた時からどんな行動をしても、最愛の娘達とはきっと再会することはできなかっただろう。
そう信じたい。
根拠はない。
でも、信じるしかなかった。
爪切りに印刷されている胡散臭い笑みを浮かべたイケメンが、俺に希望を与えてくれる気がした。
俺は爪切りを握りしめ、三人の娘の顔を順番に思い出す。
「父さんな、夢を叶えてる途中だよ」
彼女たちは別の世界で、きっと楽しくやっていると思う。
そう信じたい。
俺はこの道を突き進むだけだ。




