第39話 麺職人、火神くん
大阪に戻ってからしばらく、俺は麺の研究に没頭していた。
普通に考えたら社長がずっと研究開発に張り付いている会社なんて、意味不明だろう。
それができるのは、新規出店を止める戦略で経営判断が比較的いらない状態になっていることと、東京出張の際も俺抜きで店が回る体制を整えていたからだ。
そのうえ、副社長の遥香ちゃんがあまりにも有能で、放っておいても仕事が回る。これも大きい。
そのせいで現場では、バイト採用にすら関わっていない俺が、新人に『スープを配達しに来る人』だと思われていた事件まで起きた。まあ、自己紹介しない俺が悪いんだけど。
その騒動のとき、近くにいた店長のケンジくんが隣で爆笑していたのが、妙に印象に残っている。
でも、俺はその笑い声が嬉しかった。
職場の空気が、以前に比べて格段に良くなってきた。
深夜帯の人手不足も、解消してきた。
一時期はずっと、戦場みたいにピリピリしていたからな。
新店舗出店のときの忙しさは、本当にヤバかったなぁ。
事業を急拡大し続けると、やっぱり無理が出る。
企業のポートフォリオ的には、どんどん展開したほうがいいに違いない。
でも、裏では従業員の生活が犠牲になってしまう。
そんなことを考えながらバックヤードで製麺機をセッティングしていると、母がやって来た。
「敦史〜、お客さんから、ちぢれ麺の焼きそばをまた食べたいって言われてるんだけど、もう作らないのかい?」
母は俺が試作している麺を、表の中華料理店の焼そばにも使っている。
だから俺の試作作業を、『焼そばの麺』を作っているんだと認識している。
「しばらくは、味噌ラーメンの麺は試作しないよ。欲しいなら美山くんに、製品用の製麺機で作ってもらって。」
そう答えてから、俺は美山くんの顔を思い浮かべた。
弟子志望者だった彼は、今では我が社の製麺担当に収まっている。
俺の麺研究の仲間でもあるし、独立志望だからいろんな仕事を任せている。
もちろん、ウチの最高機密であるスープ製造には触れさせない。
機密保持のために分業化しまくって、全体像を知っているのは俺と遥香ちゃんしかいない。
でも、それ以外は一通り任せた。
もう、その気になればラーメン屋を出店するスキルはあるだろう。
「あ、そうなの。美山くん、今はスープ配達中?」
「そうだね、十五時の定期便に出てるから、あと三十分くらいで帰ってくるんじゃない?」
スープ工場からは、一日に二回に分けてスープを輸送している。
美山くんは、そのドライバーも兼ねている。
母は軽く礼を言って去っていった。
母がいなくなったあと、俺は麺の試作に戻った。
ウチの麺は強力粉と薄力粉をメインにして作っている。
産地にも、かなりこだわっている。
主力はアメリカ産で、ほんの少し配合している全粒粉だけはカナダ産だ。
二時間ほど熟成した生地をつまんで、少しだけ食べる。
「うんうん、今日も品質が安定しているな」
俺は小麦選びの基準として、品質の安定性を特に重視している。
実を言うと、ラーメン屋が使う小麦はだいたい海外産になる。
国産小麦を使っているラーメン屋は、ほとんどない。
なぜなら、品質のブレがあまりにも激しいからだ。
ロットがまとまらないうえに、国内の小麦畑はあまりにも小さい。
仕入れるたびに、生育条件も生産者も違う小麦が来る。
「味だけ見れば、北海道産の高級小麦の『はるゆたか』を使うのが一番良かったんだけどね」
ただ、店の運用を考えると話は別だ。
ウチの店は高級路線だから、ある程度高い国産小麦も使える。
それでもアメリカ産を選んだ。
国産は個々の品質はもちろんいい。
けれど、仕入れるたびに違うものが来たら困る。
水の量、寝かせる時間、製麺機の設定を毎日変えるのは難しいからだ。
対してアメリカ産は、日本人が想像できないほど広い畑で機械的に育てられているから、品質がかなり安定している。
ラーメン屋で国産小麦を使っている店を見つけたら、それは本当に難しいことをやっているので応援してあげたい。
麺を手打ちにしている店は、職人技で国産小麦の品質差を吸収できる。
国産小麦の品質を、十二分に活かして提供できる。
だけど、アメリカ産だからできることもある。
人の手ではできない、最新技術による機械的な製麺だ。
俺は部屋の半分を埋め尽くす、納品されたばかりの巨大な製麺機に目をやった。
「遥香ちゃんに怒られながら買った最新鋭の製麺機が、火を吹くぜ」
ラーメン屋に置いてあるような小型の製麺機ではない。
これは本物の製麺機だ。
普通のラーメン屋には必要がないし、そもそも手が届かない。
この辺りの製麺業者ですら置いていない、メーカーの今春のフラグシップモデル――最新鋭の機械だ。
この機械なら細麺で高加水、しかもスープを吸う麺が作れる。
麺の表面に本当に微細な凹凸をつけられるのだ。
そこに、全粒粉で作った表面を組み合わせる。
触ると滑らかだが、微細な凹凸は確かに残っている。
他の店の麺とは比較にならないほどスープを吸うし、しかも高加水を維持できる。
「よし、じゃあ試作していくか。」
まず、ホッパーと呼ばれる投入口に生地を入れる。
次にロールで薄い層、麺帯にしていく。
これを何度も繰り返して多層にし、最後に表面処理を行って玉という一食分の単位にしていく。
一玉一玉、丁寧に箱に詰めていく。
手触りだけでも、食感の良さが想像できた。
スープを吸う設計のはずなのに、表面にザラつきはない。
「とはいえ、寝かせたあとにどうなるかは分からないけど」
問題はここからだ。
麺の二次熟成、つまり玉の状態で何時間熟成させるかで、仕上がりは誰でも分かるほど変わる。
麺は半日寝かせただけで、驚くほど加水率が下がる。
食感、味、コシ。全部が別物になる。
この時代は二日に一回しか配達しない製麺業者が多かった。
それが大阪で、博多ラーメンみたいな低加水麺が流行らなかった理由でもある。
低加水麺を二日も置いたら乾きすぎて、食べられたもんじゃないからな。
「やっぱり最新の製麺機はいいな。これをウチの新しい麺に採用したい」
最終的には熟成させて、試食しないと分からない。
だけど俺の直感は、この麺がイケると強く告げていた。
この麺なら、最初の試食会に来てくれた『週刊ラーメンガイア』の谷口さんを、自信を持って呼べる気がした。
――その矢先だ。二階から大急ぎで駆け下りてくる音がした。
「大変っ! 敦史くん!」
「遥香ちゃん、どうしたの?」
遥香ちゃんは息を整えていた。
どれだけ急いできたんだろう。
「ウチのカップ麺が、もう近所のスーパーで売られているんだって!」
あれ、おかしいな。発売日は来週のはずなのに。
彼女が差し出してきたカップ麺を見る。
確かにウチと前橋食品がコラボした品だ。
スーパーの売り場担当が、発売日を見ずに適当に陳列したのかな。
「近くのスーパーっていうと、住之江区の?」
「そうみたい」
俺は少し驚いた。
発売日が無視されて店頭に並んでいることに対してではない。売っていたスーパーの名前にだ。
そのスーパーは国内最大手だ。
小売の仕入れ担当は専門性が非常に高く、売れると思ったものしか仕入れない。
だからこそ、採用された意味は大きい。
このスーパーは、問屋を通す既存の流通システムを無視して、メーカーから直接、安く大量に買い付けることで有名だ。
俺たちの商品が『昭和の小売王』と呼ばれるバイヤーの目に止まったんだな。
彼らには全国に500店の店舗がある。
ちなみに去年からプロ野球に参入したほどの、超大企業でもある。
かの企業、その全国の店頭にずらっと並ぶ『令和』の文字入りカップ麺を想像した。
その宣伝効果を思うと、俺は改めて身の震える思いがした。
いつもお読みいただき、ありがとうございます
第二章『躍進』は、この話で完結になります。
明日からは、バブル崩壊を主題とした章を始めていきます。
神武景気以降、好景気しか経験したことのない日本人に襲いかかる、世界最悪規模のバブル崩壊。
広がっていく『令和』の知名度、そして全国への挑戦。
そして敦史くんは、遥香ちゃんの攻勢に耐えられるのか!?
内堀を埋め立てられた火神家での攻防も注目です。
次回、『敦史くん、陥落す』。デュエルスタンバイ!




