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父さんな、ラーメン屋で食っていこうと思うんだ  作者: メモ帳パンダ
躍進

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第37話 三田

「でも敦史くんが、この店を知ってるとは思わなかったな。」


 遥香ちゃんは上機嫌だ。

 まあ、だいたい彼女は上機嫌だけど。……経営会議の最中を除けば。


「俺の中では、結構有名なんだよね」


 今はまだローカルだけど、未来では超有名になる店だ。

 遥香ちゃんが通ってた大学の近くにあるラーメン屋だ。

 大人気店だけど、令和ほどの繁盛ぶりではない。


 二郎系――その総本山になるはずの店だ。


 遥香ちゃんが外の看板を見て、少し驚いたように言った。


「あれ、値上げしてる! 前は二百五十円だったのに、三百円になっちゃった!」


 まあ、三百円でも十分安いよなぁ。俺の店のラーメンの半額以下だ。

 平成二年の時点では、とにかく激安で学生を支える店だ。


 行列もなく、すんなり入れた。

 少し時間を外したから、店内はわりと空いていた。

 壁には『ニンニクサービス中!』って張り紙が貼られていた。

 麺が茹で上がったあとに好みを聞かれたので、俺は「ニンニク少なめ」と答えた。

 遥香ちゃんは「多め」で頼んでいた。

 ……このあと会議があるんだけど、忘れてないよな?


 しかもこの店、ニンニク周りのルールが独特で――。

 実はこの『ニンニクサービス中!』って張り紙、タイミングがやたらシビアだ。


 麺を茹でる前に言ってもダメ、出てきてから言ってもダメ。

 聞かれた瞬間に答えないといけない。

 この分かりにくさを解消しようとして生まれたのが、二郎のコールってわけだ。

 もっと分かりにくくなってる気がしないでもないけど。


 説明してる間に、ちょうど丼が置かれた。

 出されたラーメンを眺める。

 

 実を言うと、今のこの店のラーメンを食べて「二郎系だ」と思う人は、まずいないだろう。

 看板こそ同じだが、出てくるのは「普通のラーメン」だ。

 もちろん三百円という馬鹿みたいに安い、学生の懐に優しいラーメンでもある。


 麺は少し太め。

 チャーシューも厚めで、この値段にしては頑張ってる。

 スープは二郎っぽい。グルタミン酸の強烈な旨みがある。


「このラーメンは、ウチの大学の文化なの!」


 この近くには有名私立大学の三田キャンパスがある。

 学生とともに、このラーメンは育ってきた。

 学生が腹を空かせた時は、だいたいここに流れ着く。


 食べ終わった俺は丼を上げ、備え付けの布巾で机を拭いてから、遥香ちゃんに声をかけた。


「じゃあ、そろそろ出ようか」


「うん」

 

 店内で会話できる雰囲気でもないから、さっさと食べて店を出た。

 その時、若者二人組が駆け寄ってきた。


「ラーメン研究会です! 二郎を未来に残すため、署名にご協力ください!」


 紙を見ると、消滅の危機にある二郎をなんとかするために署名を集めているらしい。

 実は今、俺たちが食べた本店は近いうちに取り壊される。

 目の前の道路、三田通りの拡幅計画が理由だ。


 このタイミングで、本店は閉店を予定していた。

 それに焦った大学の有志が署名活動をしているわけだ。

 大学構内に移転させようという計画だな。

 さすがに大学の中にラーメン屋を移転させるのは無茶だと思うけど……。


 ちなみに結局、この提案は大学当局に拒絶されることになる。

 だが、閉店を考えていた二郎の創始者の心変わりをさせたのは、彼らの懸命な署名だろう。

 最終的に、店は国道一号沿いへ移転することになる。


 それにしても、この署名、住所も普通に書くんだな。

 他に署名した人の住所も丸見えだ。

 さすが平成初期、個人情報の扱いがガバガバだ。


 とはいえ、俺も賛意を示したかった。ペンを取った。

 俺が署名をしている間、遥香ちゃんは後輩たちに話しかけていた。


「あら、ラー研なの? 今の部長は誰? 清水くん?」


「清水さんは去年、卒業しました。高梨先輩って人が部長やってます」


「あのサボり魔の清水くんが四年で卒業できたの! すごいね!」


 遥香ちゃんは、この謎の部活――ラーメン研究会のOGらしい。

 それで関東中のラーメンに詳しかったのか。


 楽しそうに雑談したあと、うちのチラシまで配ってる。

 さすがに東京から大阪の店には来ないだろ。


 しばらくして、話が終わったのか遥香ちゃんが戻ってきた。


「お待たせ! 敦史くん」


 後輩との雑談を終えて駆け寄ってくる遥香ちゃん。

 息がちょっとだけニンニク臭い気がする。

 このあと会議あるんだけど、大丈夫か……?

 このまま会議室に突っ込むのは、さすがにまずいな。


 次の仕事は試食が入っている。

 それを口実に、喫茶店で口直ししてから向かおうと提案した。


 ◇◇◇◇◇◇◇


 とある食品メーカー本社の会議室で、俺は二つのカップ麺を食べていた。

 この食品メーカー――前橋食品とコラボで開発しているカップ麺だ。


 前橋食品は業界の四番手。

 圧倒的なシェアを持つ大阪の日露食品に押され気味だった。

 特に彼らのお膝元である関西では、売れ行きがかなり悪いらしい。

 最初の顔合わせで来阪してくれた営業マンは、頭を痛めていた。


『関西は日露食品さんが強すぎて、スーパーの棚すらなかなかウチに回ってこないんです』


 だから彼らは、関西で知名度の強いうちとのコラボを「関西市場攻略の切り札」にしたい。

 そう考えているわけだ。

 ウチはカップ麺で店の名前を全国に宣伝したい。

 微妙に思惑がズレている気がしないでもないが、大部分では利害は一致している。


 実を言うと、『カップ麺が実在の店とコラボする』という発想は、この時代だとまだ無いものだ。

 一般化するのは、二〇〇〇年代になってからだ。

 この企画は、うちの店から営業をかけて決まったものでもある。


 カップ麺のデザイン案は概ね固まっていた。

 『令和』をどでかく入れた、高級感のある黒基調のパッケージ。かなりカッコいい。


 味は……ベースに関しては、狙い通りに近いところまで来てる気がする。

 十分に美味しいんだけど、鶏のダシが少し物足りない。


「前回お願いした鶏油と香料、かなり良くなってるんですが、鶏の旨みをもう少し前面に出したいですね」


 まだ少し息がニンニク臭い遥香ちゃんも同じ意見らしく、ゆっくり頷いている。


「カップ麺とは思えないチャーシューとスープ、すごいよね! でも鶏ガラの旨みが再現できてないのよねぇ」


 作業着の研究員が悩んでいる。

 現時点のものでも社内評価はかなり好評で、経営陣からは早めの発売を急かされているらしい。


「鶏油の工夫で相当良くなったんですが、まだ改善が必要ですか……」


 俺は『もう一押し』を譲る気がなかった。

 このコラボに、かなり情熱を注いでいた。

 フリーズドライで食感のいい具材。

 豚エキスの乳化の制御。

 加水多めのノンフライ麺。

 この時代にはまだない未来の技術を、どんどん詰め込んでいる。


 当初の開発計画より一ヶ月近く遅れている。

 相手からしたら、注文の多い面倒なコラボ先だろうな。

 だが、味のベースについては満足している。

 今は仕上げ段階――最後の調整だ。


 足りないのは『鶏の輪郭』だ。


「イノシン酸の添加って、今はどうなってますか?」


 最初は看板だけ借りるつもりだった先方も、俺の知識に引っ張られて研究ユニットを一つ専属で動かすほど力を入れてくれている。


「IMPはGMPとのセットで①の粉に入ってますね。割合は0.5対1です。この粉は0.25mgくらいですが、あんまり増やすと、多分、GMPが強すぎて味を壊しますね」


 最初は丁寧に噛み砕いて説明してくれていた研究員も、最近では俺に合わせて専門用語を連発している。


 0.5対1かぁ、なんか時代を感じるな。

 GMP(グアニル酸)の比率が不自然にでかい。

 令和でもこの二つはセットで売られてるけど、2対1か1対1がメジャーだ。


「香料で鶏感を出してるのに、スープの方で輪郭が出てないから違和感があります。イノシン酸だけを三倍にできますか? つまりI-G比は、1.5対1で」


 比率をいじると、味の主役が入れ替わる。

 このあたりが限界に近いはずだ。

 もう少し攻められたら鶏の輪郭が出せる。

 でも尖らせすぎると、せっかくの層構造を壊すだろう。


 遥香ちゃんは、俺たちの会話が分からないんだろう。

 横でニコニコしているだけだ。


「その比率だとメーカーへの特注が要るかもしれませんね……。とりあえず研究室では作れるので、今作ってきます」


 研究員は一度部屋から出て行った。

 ドアが閉まると急に静かになった。

 会議室に俺と遥香ちゃんだけが残る。


「敦史くん、カップ麺にも詳しいんだね。特に化学調味料の知識にビックリしちゃった!」


「まあ、この辺は大学でちょっと……」


 嘘だ。大学の専攻は経済学だ。

 これは逆行前、商社時代の知識。

 令和の大手チェーンのスープは、化学調味料の知識の集大成と言っていい。

 原価の安い化学調味料の足し算で、本物の素材を使ってるように見せるか。そこを競っていた。


 このカップ麺には、かなり細かい配合比まで指示している。

 さっきのイノシン酸――核酸系で肉っぽい輪郭を作る、とかそういうやつだ。

 メーカーの秘中の比――ベースの豚骨風スープにまで口を出してる。


 カップ麺が多様化した平成の知識、その集大成を詰め込んだ。

 開発は遅れたが、オーパーツができたと思っている。


「さて、この完成度。これは歴史に残るぞ」


 『令和』と大きく書かれたカップ麺のパッケージを見て、俺は小さく微笑んだ。

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