第30話 弟子
「頼まれてた求人票、作ってみたよ」
遥香ちゃんは、笑顔でその紙を差し出した。
俺たちは今も、いくつかの求人誌に広告を出している。
ただ、遥香ちゃんの補佐を担う事務も欲しくて、追加の募集を頼んでおいた。
俺はそれを見て、つい眉をひそめた。
『求人票 時給850円/深夜1050円(昇給あり)』
ここまではいい。経験者が欲しいから、時給をバカみたいに盛ってある。
事務には、遥香ちゃんの判断で最低でも日商簿記2級を条件にしているらしい。
きつくないかと思ったが、遥香ちゃんいわく「それでも集まりすぎて困る」らしい。
『ホールスタッフ・キッチンスタッフ(男性のみ募集) ※弟子入りは受け付けておりません』
令和なら一発で炎上する書き方だ。男女差別だと叩かれるだろう。
だけど、この時代だと――驚くほど問題にならない。
性別を明記した募集が法的にアウトになるのは1999年からで、意外と後の話だ。
そもそもこの時代は、女性の残業や就業できる職種に強い制限があった。
『備考:正社員登用制度有、アットホームな職場です、必要なのはやる気と笑顔』
問題は……備考にブラック企業判定ワードが三つも並んでいることだ。
「この備考やめない? ブラック企業丸出しじゃん」
俺の言葉に、遥香ちゃんはクリクリした目を見開いて首をかしげた。かわいい。
「ブラック企業?」
あぁ、この時代には「ブラック企業」って単語がないのか……。
令和どころじゃない、真のブラック社会だ。
「とにかく、この文言はやめよう……ね!」
「敦史くん、今週全然オフィスに来ないから、もう原稿出しちゃった!」
「ごめんね!」と言いながら、彼女はまるで悪びれていなかった。
あぁ、ウチの会社が「アットホームな職場」になってしまった。
俺はがくりと肩を落とした。
その瞬間、タイミングよく黒電話のベルが鳴り響いた。
「あっ……電話が来たみたい」
遥香ちゃんは自分の机までテクテク歩いていき、受話器を取った。
「はい、火神です」
……ん? 今、妙な違和感があった。
遥香ちゃんの苗字、火神じゃなかったはずだが。
勝手に火神家に加入してないか……? アットホームが過ぎるだろ。
「いえ、だからお断りしていて……少々お待ちください」
保留にした遥香ちゃんが、こちらへ歩いてきた。
勝手に火神家に嫁入りしている件を突っ込もうとしたが、どうやら別件で俺に用があるらしい。
「敦史くんへの弟子入り希望が来ているんだけど、本人から断ってくれないかしら」
話を聞くと、同じ人からもう四回も電話が来ているらしい。
何度断られてもめげない、熱意のある青年らしい。
弟子入りは受け入れていないんだけどな。ウチは暖簾分けで増やす気がない。
「これ、一応履歴書ね」
受け取った履歴書を見て、俺は少し意外に思った。
バイトなら適当でもいいのに、やけにきっちりしている。
へぇ。大卒で、野球経験者。しかも甲子園出場まであるのか。
「じゃあ、僕が面接しようか」
「えぇ……、弟子は取らないってのが敦史くんの方針じゃないの?」
遥香ちゃんは拗ねた顔になる。
弟子入り希望は、もう五十人くらい断ってきたらしい。
「面接、入れといて。北新地店の営業時間外にやる」
「この人、大卒だよね。弟子とか言いつつ、店長候補の正社員の面談したいんでしょ!」
「えっ、そうだけど」
図星だ。とにかく数字が見られる人間が欲しい。
将来は独立してもいいと思ってる。そういう意味では弟子みたいなものだ。
「もう……。なら、最初からそう決めといてね」
「大卒しか取らないわけじゃない。でも『弟子入り』って言うほど腹が決まってるなら、俺が面接してもいい」
ウチのバイト採用は、二人いる店長か遥香ちゃんが最終判断をする。
現場が働きやすい相手を、現場で選ぶ仕組みだ。
正社員は外から雇ったことがないので、まだフローを作っていない。いずれ整備するつもりだった。
でも大卒なら、そのへんは飛ばしてもいい。
進学率の低いこの時代、「大卒」はそれだけで希少だ。
◇◇◇◇◇◇◇◇
ラーメン屋の二階――ごく普通の住宅になっている場所。
居間のちゃぶ台に座っていると、階段の方から物音がした。
しばらくして、遥香ちゃんが青年を連れてきた。
かなり緊張している様子だ。
彼は弟子入りを四回断られたあと、バイト募集に紛れ込もうとしたらしい。
当然、遥香ちゃんのブラックリストに入っていて弾かれかけたが、たまたまその場に俺がいたので、面接することになった。
俺は立ち上がって挨拶した。
「どうも、社長の火神です」
「美山です。今日はお時間をとっていただき、ありがとうございます!」
畳に座るよう、手で促す。
彼は、周りを見渡して初めて怪訝そうな顔になった。
だって、思いっきり民家だからな。
大ヒット中のラーメン店の二階が民家って、そりゃ変だと思う。
まぁ、そのうち俺と母は引っ越す予定だ。母の通勤が大変そうだし。
「あぁ、ごめんね。ウチの会社、都心にオフィスがなくてさ。来てもらうのが大変だから、ここを指定させてもらった感じ」
「そうなんですね。僕は車持ってるので、どこでも出社できます!」
早速アピールが始まったので、俺は頷きながら聞いていく。
彼が仕事を辞めて落ち込んでいたとき、この店のラーメンに救われたらしい。
「ぜひ、弟子入りしたいんです!」
この時代、ラーメン屋は暖簾分けで広まることが多かった。
二郎もそうだし、家系もそうだ。
弟子は暖簾分けの可能性を信じて、必死に働く。
その労働は、かなり過酷だ。
無給、休みなし――そんな環境が当たり前だった。
例えば家系の総本店では、三年働き続けて気に入られた者だけが店を出せる。――『修行生』というシステムがあった。
直系と呼ばれている家系の店は、すべて『修行生』が開いた店だ。
だけど――。
「俺は弟子は取りたくないんだよなぁ」
「そこをなんとか、お願いします」
彼が気に入らないわけじゃない。
真面目そうで、経歴もしっかりしている。
俺は弟子入りというシステムに疑問を持っていた。
店員には、弟子より先に「労働者」であってほしかった。
暖簾分けの仕組み自体は、よくできていると思う。
長く過酷な労働も、暖簾分けという人参があるから耐えられる。
家系は、定休日すら設けられない過酷な働き方だ。
弟子が無給で三年間働いてくれるのは、ありがたいだろう。
でも、暖簾分けできるのはごく一部だ。
多くの弟子たちは過酷な労働環境で心身を壊し、夢を諦めていった。
「美山くん、この後予定ある? 一回アルバイトとして店を体験してみてよ」
俺はまず、ウチの店を「体験」してもらうことにした。
すみません、普通に書くの遅れました




