第25話 新作試食会
俺は業務用冷蔵庫から小鍋を取り出し、コンロに置いた。
「これが味噌ラーメン用のベーススープだよ」
試作、何号だったかな……。
少なくとも百は超えている。
遥香ちゃんは一言だけ返した。
「うーん、豚骨にしか見えないね」
そう、これは薄い豚骨スープに過ぎない。しかも、薄いだけじゃない。
「そう。ただの豚骨。鶏肉も少ししか入れてないから、旨味も弱い」
実は家系風の醤油豚骨は、旨味を豚骨だけで出しているわけじゃない。
あの圧倒的な旨味は鶏肉が支えている。
『旨味は鶏肉か味の素でしか出せない』。とある店主の名言だ。
ただ、いつものよりは薄いが、それでも他の店の一般的なラーメンよりかは何倍も濃厚だ。
それに乳化を工夫しているので、いつものスープより少し粘度は高い。
「でも、これなら原価は低そうね!」
ベーススープを味見して頭の中で何かを計算すると、遥香ちゃんがニコニコし始めた。
確かにこれならスープ原価は三分の二くらいになる。
だが、味見しただけで原価まで分かるのは謎だ。どんな特殊スキルなんだ。
「店舗での仕上げは、豚骨醤油よりずっと簡単なんだ」
味噌ペーストはセントラルキッチンで用意しておく。
食べる直前にペーストとスープを合わせ、トッピングするだけだ。
その仕組みは味噌の特性によるものだ。
味噌は熱で風味が飛ぶ。だから混ぜたまま供給できない。
「じゃあ、試食会といこうか」
◇◇◇◇◇◇◇◇
試食会のメンバーは、遥香ちゃんと母だ。
もう一人。閉店の二十時を過ぎても母と話し込み、『ランチ』を続けていた常連のムキムキ青年だ。
この店はスナックか何かなんだろうか。
俺はランチ営業しか許可してないのに、営業時間がめちゃくちゃになってる。
母が楽しそうだから、まあいいか。
母に強引に試食会に入れられたムキムキ青年が困惑している。
「えっと、僕ここにいていいんすかね……?」
「いいのよ! ハヤトくんは家族みたいなもんなんだから!」
知らないうちに兄弟が増えていたらしい。
確かに、この青年はいつ見てもここにいる気がする。
この前なんて客のはずなのに、皿洗いまでしてた。
俺は丼を温めて、そこに味噌ペーストを入れた。
そこにスープを注ぎ、チャーシューとトッピングを載せた。
「はい、これが新作の濃厚味噌ラーメンです」
母は箸で麺を持ち上げ、香りを確かめた。
「……私が知ってる味噌ラーメンとは随分違うね」
ちぢれ麺にまとわりつくスープ。
ベーススープはわざと強く乳化させている。
色も全然違う。札幌の味噌ラーメンが黄土色寄りなのに対して、こっちは濁ったベージュだ。
母は麺を啜って、驚いた顔をした。
そして、何も喋らなくなった。黙々と食べ始めた。
前の試食会の時もこうだったな。
まぁ、グルメ漫画じゃないのでそれが普通の食べ方だと思う。
遥香ちゃんも似たような感じだ。
いや、なぜか電卓を取り出し始めた。
電卓を叩きながらラーメンを食べる美女。謎の風景だ。
麺を啜る音、電卓を叩く音。沈黙を破ったのは青年だった。
「新作もめっちゃ美味いっすね! 味噌ラーメン、インスタントでしか食べたことなくて」
実はこの時期の関西では、味噌ラーメンを店で頼む人は多くなかった。
先ほど、俺は遥香ちゃんに『中高年に味噌ラーメンは馴染みがある』と言っていたが、それとは矛盾しているように思える。
実は味噌ラーメンは、インスタントの袋麺として食べられていたのだ。
馴染みがあったのは間違いない。
だが、この時期の関西人は味噌ラーメンに店で食べるほどの価値を見出していなかった。
味噌ラーメンブームに乗って関西へ来た大手チェーンは、わずか十年で一割以下まで減ってしまった。
全員が食べ終えた。試食会だから量は半分程度にしてある。
母は黙ったままだ。
遥香ちゃんは口を開く。
「これは一杯いくらで出す予定なの?」
「醤油豚骨と同じで800円のつもり。チャーシューは一枚増やす予定」
遥香ちゃんは電卓を叩き、うなずいた。
「うん、合格。多分、原価率三割くらい? チャーシューは増やさないでね」
なぜ、原価率が即座に出せるんだろうか。
しかも、後で知らせようとしていた原価率と誤差はほぼない。
エスパー遥香ちゃんの底知れぬ能力に怯えていると、彼女は続けた。
「敦史くんらしい、多層構造だね! 味噌をうまく活かしてると思う」
そして、続けた。
「最初は香味油。次に味噌の塩味のエッジ。中層は豚骨の甘さ。最後に焦げた味噌とラードの甘苦さ」
遥香ちゃんの分析は概ね正解だ。
豚骨醤油が鶏油と豚骨の乳化によって多層構造を作っているとするならば、これは味噌を活かして組み上げている。
「そんな感じ。さすが遥香ちゃん!」
本当は豆板醤で中層に辛さも足したかったけど、味噌が強すぎて隠れすぎてるかな。
遥香ちゃんが気づかないならもっと量を増やさないといけない。
女子代表として呼んだつもりだったが、遥香ちゃんは詳しすぎて参考になりにくかった。
そういや、この子はガチのラーメンマニアだった。
饒舌な遥香ちゃんに、横の青年が目を丸くした。
彼は『美味い』しか言ってなかったしな。
まぁ、彼の方が普通なんだよな。
俺は別に、客に分析能力を求めているわけじゃない。
さて、問題は母だ。
母は、うちの豚骨醤油をあまり食べない。
油が多すぎて腹を壊す、と母はいつも言う。
元々このラーメンはそういう客向けに開発したものだ。
自然とこの場にいる全員の視線が集まった。




