第23話 焼きそば職人 火神くん
「融資まとめてくれてありがとう!」
俺は遥香ちゃんとスープ工場の2階で祝賀会を開いていた。
メインバンクの大和銀行の担当者から、稟議が通ったという知らせが来たからだ。
事業計画書は公認会計士の遥香ちゃんが書いてくれただけあって、完成度は高い。
2億という額は、担当者や支店長を納得させるだけでは融資はされない。必ず本店の審査部が絡んでくる。
つまり、俺たちの計画は、多くの目を通過し、実現可能だと判断されたということだ。
この銀行の本店は北新地から徒歩圏内にある。
店の前に伸びる行列こそが、どんな数字よりも雄弁な証拠になったはずだ。
とはいえ、担当者からいくつか手厳しい指摘もあった。
一つは高すぎる人件費。だがこれは何とかなるはずだ。
現在、人件費は明らかに過剰だ。
一店舗しかないのに、スープ工場や本社機能まで抱えていれば当然だな。
「一番の問題は人件費の割合で、店舗を増やせば下がるはず」
多店舗展開が軌道に乗れば、自然と解決する。
小さく呟いた俺に、遥香ちゃんが反論してくる。
「原価率が一番指摘されてるでしょ。見なかったことにしないの!」
「原価率はしょうがないんだよ……。美味しいラーメンには材料が要るんだから」
「もう、いつも同じことばっかり」
そう言いながらも、遥香ちゃんは楽しそうだ。
どうやら、遥香ちゃんはこの会社を好きになってくれたらしい。
いつもこの建物で母と楽しそうに話しているし、俺をラーメンの視察にも誘ってくれる。
俺も少なくとも嫌われてはいないようだ。
この会社の信条は『お客さんを幸せにする前に自分を幸せにしよう』。
従業員は有給を自由に取り、サービス残業は厳禁だ。
バイトは一分単位で支払っている。
俺以外はホワイトな働き方をしているわけだな。
遥香ちゃんは高待遇だ。給料は俺の倍くらいある。
彼女の能力からすれば妥当だと思う。
前職のことはあまり語りたがらないが、なぜこれほど有能なのに在野にいたのか分からない。
「ちょっと、敦史、下に来てー」
二人で楽しく融資成功を祝っていると、下の階から母の声が聞こえた。
「あれ、なんだろ……ちょっと行ってくる」
下の階に降りると、母がお客と話し込んでいた。
最近は母の強い希望で営業時間がなし崩し的にどんどん伸びている。
今も17時に近いのにまだランチ営業中だ。
行列はないものの、それでも席は満席に近い。
この店の利益率はほぼゼロに近い。会社としてはそこまで張り切らなくてもいい。
母は常連と雑談したいだけだと俺は睨んでいる。
だが店舗が増えれば工場から出るゴミも増える。
ゴミを処理するために店の売上は増えるに越したことはないので、母の言う『ランチ営業』が19時まで続いていることを黙認している。
「なんか用? 母さん」
「あ、敦史! ちょっとあんた、いつまで焼きそばの麺を切らしているのよ! 人気メニューなんだから」
母のいう『焼きそばの麺』とは、俺がラーメンの麺を試作し、後に残った失敗作のことだ。
「別にあれは焼きそば用に作ってるわけじゃないんだけど……」
「特にちぢれ麺が好評だから、あれを重点的に作ってね」
ちぢれ麺。俺がこの前試作した特別な麺だ。
あれを焼きそばに使うと反応がいいらしい。
正直、知らんがなと思うが、まあ試作してもいい。
実は俺は製麺沼にはまってしまった。
麺を作るのが楽しくて仕方がない。
◇◇◇◇◇◇◇◇
母に強くねだられ、俺は渋々製麺機の前に立った。
遥香ちゃんも作業室に降りてきて、横に立って興味深そうに眺めている。
融資が決まったばかりで、実務担当の彼女が暇なわけはないはずだが。
「あれ、今から麺の試作? この時間からって珍しいね」
「母さんに頼まれてさ」
熟成させている生地の前に立つ。
実を言うと、開店から一年近く経った今も、醤油豚骨の麺は完成していない。
店にはある程度妥協できたものを投入している状態だ。
ただ、自家製麺そのものは成功していて製麺所との取引は無くなった。
中加水寄りの細麺に工夫を施し、持ち上げるスープ量を増やしている。
スープを運び、しかも伸びにくい。
そんな矛盾した麺を目指し続けているわけだ。
「前試していた逆切りは結局できなかったの?」
「うーん、あれを再現するのは難しくてね。もう諦めた」
逆切りは、家系の中太麺で使われる特殊な製法だ。
麺に圧力をかけて表面に凹凸を作る。
その凹凸がスープをしっかりホールドする。
このやり方の利点は加水率を高くできる点だ。
麺の凸凹がスープを運んでくれるので、麺自体にスープを吸わせる必要は少ない。
普通は加水率を上げるとスープを吸わなくなる。
だが逆切り麺はそれを解決する。一種のチート麺だ。
令和の家系の麺――とりわけ直系のそれは、スープをしっかり運び、つけ麺並みの高加水でモチモチとした食感を備えている。
俺は、あれをラーメンの歴史において、一つの到達点だと思っている。
だが欠点もある。作るのが難しい、設定が繊細すぎる。
一応作れはしたが、歩留まりがかなり悪かった。
しかも逆切りは製麺機を傷めるやり方だ。
試作を続けたせいで、高価な製麺機を一台ダメにしてしまった。
それにそもそも論だが、俺の店は細麺のイメージが強い。
中太麺に無理に転換すれば客が離れるかもしれない。
そんなことを考えて逆切り麺は断念した。
「これが今、店で使ってる全粒粉入りの生地?」
「そうそう。店のやつよりちょっとブレンド比率が多めだけどね」
そう。逆切りを諦めた俺が代わりに試しているのが全粒粉だ。
これも逆切りと同じアプローチだ。
全粒粉を入れることで麺の表面に小さな凹凸が生まれる。
伸びにくく、スープを運ぶ。
「前の試作は全粒粉入れすぎてちょっとボソボソしちゃったんだよな……」
この時代、全粒粉を麺に使うという発想自体がなかった。
全粒粉はグルテン形成を邪魔する。
これを配合すると麺が切れやすくなる。
限界の配合は2%前後だ。
だが、全粒粉を入れることで、加水率を高くできる。
俺は完全には満足していないが、いったんこの麺を店に出し始めた。
前よりは格段に伸びなくなり、替え玉も廃止し、オペレーションも良くなった。
「主張が強いスープと麺が合うようになったよね。
今の方がもちもちした麺で好きかも」
細麺でモチモチ、しかもスープを保持する。
俺は家系とは別のアプローチで一つの答えに辿り着いたと思っている。
遥香ちゃんと話していると、生地を入れた製麺機から続々と麺が出てくる。
今回は途中で切れている麺があり、取り除く作業が面倒だ。
「うん、この配合は失敗だね。寝かせて確認するまでもないかも」
令和の時代、多くのラーメン職人が身を崩した原因とされる製麺沼。
これが楽しいんだなぁ。
俺は笑みを浮かべながら、『焼きそばの麺』ができたことを母に伝えに行った。




