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緋色の月に抱かれて ―永遠の孤独と四つ葉の誓い―  作者: 月代 緋色


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復讐の始まり

撫子の視点になります。

※この話には残酷な描写(大量殺戮、首をはねる、心臓を抉る等)が含まれます。苦手な方はご注意ください。


秋の夜、山の中を撫子は歩いていた。


吸血鬼として目覚めてから、既に数日が経っていた。昼は木陰に身を隠し、夜になると歩き続けた。太陽の下では肌が焼けるように痛み、力が抜けていく。それでも死にはしないと分かっていたが、夜の方が遥かに動きやすかった。


体は変わっていた。


肌は月明かりの下で青白く輝き、かつての温もりは消え失せている。瞳の奥には紅い光が宿り、暗闇の中でも全てが見えた。そして何より、喉が焼けるように渇いていた。


血への飢え。


それは日を追うごとに強くなっていった。


「私は化け物になった」


撫子は呟いた。


けれど、後悔はなかった。これでいい。復讐のためなら、化け物になっても構わない。


   *


その夜、山中で猟師と出遭った。


男は松明を手に、獲物を探していたらしい。撫子の姿を見た瞬間、男の顔が強張った。


「誰だ...」


答える前に、飢えが撫子を突き動かした。


気づいた時には、男の首筋に牙を立てていた。


温かい血が喉を満たしていく。甘く、濃く、これまで口にしたどんなものよりも美味かった。


罪悪感が胸を掠めた。この男は何も悪いことをしていない。ただ、夜の山で狩りをしていただけだ。


けれど、止められなかった。


体が求めている。血を。命を。


男の体から力が抜けていく。心臓の鼓動が弱まり、やがて止まった。


撫子は男の体を離した。


血に染まった唇を拭い、空を見上げる。月が冷たく輝いている。


「これが私の生きる道」


撫子は呟き、歩き出した。


   *


隣藩に入ると、清隆の噂はすぐに耳に入った。


「清隆様は大功を立てられた」


「重臣の屋敷を陥落させ、機密を手に入れたそうだ」


「藩主様から直々に褒美を賜ったとか」


村人たちの話を、撫子は物陰から聞いていた。


怒りが、腹の底から湧き上がってきた。


私の家族を殺した男が、英雄として讃えられている。父を、母を、小百合を、佳世を。みんなを殺した男が。


「清隆...」


撫子は拳を握りしめた。


「待っていろ」


   *


清隆の屋敷へ向かう道中、何人もの人間を殺した。


関所の役人が撫子を止めようとした時、撫子は躊躇わなかった。


「何者だ。止まれ」


役人の声が途切れた。首が宙を舞い、血が噴き出す。もう一人が刀を抜こうとしたが、その手が動く前に胸を貫かれた。


清隆の部下らしき武士たちとも遭遇した。


「怪しい女だ。捕らえろ」


五人の武士が撫子を囲んだ。


撫子は無言で歩み寄った。


一人目の首を刎ねる。二人目の心臓を貫く。三人目の喉を裂く。四人目の胴を両断する。五人目が恐怖に駆られて逃げ出したが、一瞬で追いつき、背中から心臓を抉り出した。


血の海の中に立ち、撫子は息一つ乱していなかった。


かつての自分なら、このような光景を見ただけで気を失っていただろう。


けれど今は、何も感じなかった。


彼らが悪人だからではない。ただ、邪魔だったから殺した。それだけのことだった。


撫子は血に濡れた手を見つめた。


「私は化け物だ」


それを認めることに、もう抵抗はなかった。


   *


清隆の屋敷に着いたのは、真夜中だった。


立派な門構え。広い庭。大きな屋敷。功績を認められ、こんな場所に住んでいるのだ。


門番が二人、槍を構えて立っていた。


「何者だ」


撫子は答えなかった。


門番の首が落ちた。二人同時に。血が地面に広がる。


撫子は門を蹴破り、屋敷に侵入した。


「曲者だ!」


悲鳴が上がる。家臣たちが刀を抜いて駆けつける。


撫子は容赦なく殺していった。


斬り、貫き、引き裂く。


人間の体など、紙のように脆かった。かつて自分を守ってくれた家臣たちと同じように、この屋敷の家臣たちも次々と倒れていく。


血の匂いが屋敷に充満する。


悲鳴が響き渡る。


逃げ惑う人々。泣き叫ぶ女中たち。


撫子は表情を変えなかった。


ただ、目的に向かって進んだ。


清隆の部屋へ。


   *


廊下を歩く撫子の足元には、血の跡が続いていた。


奥の部屋から、声が聞こえてきた。


「何だ、あの悲鳴は」


清隆の声だった。


「清隆様、外が騒がしいですわ」


女の声。志乃だった。


撫子は扉の前で立ち止まった。


中から、二人の会話が聞こえてくる。


「お前のおかげで、功績を上げられた」


「私、清隆様のお役に立てて...嬉しいです」


「これからもよろしく頼むぞ、志乃」


「はい、清隆様」


撫子は扉に手をかけた。


   *


扉が開いた。


部屋の中に、二人の姿があった。


清隆と志乃。寄り添うように座っている。


撫子が現れた瞬間、二人は凍りついた。


血まみれの着物。青白い肌。そして、紅く燃える瞳。


「久しぶりね」


撫子の声は、氷のように冷たかった。


「撫子...!」


清隆の顔が恐怖に歪んだ。


「お前、何を...外の者たちは...!」


「全員殺したわ」


撫子は一歩、部屋に踏み込んだ。


「化け物...」


志乃が震える声で呟いた。


「ええ、化け物よ。あなたたちが望んだとおりにね」


清隆は慌てて刀を抜いた。しかし、その手は震えている。刀の切っ先が、がたがたと揺れていた。


「来るな...来るな...!」


撫子はゆっくりと近づいた。


「待ってくれ、撫子!」


清隆が叫んだ。


「俺は仕方なかったんだ! 任務だった! お前を愛していたのは本当だ!」


「愛していた?」


撫子は足を止めた。


「そうだ! 本当に愛していた! だから...俺たちはまだやり直せる! 頼む、許してくれ!」


「やり直す?」


撫子の声は感情を持たなかった。


「私の家族を殺しておいて?」


「それは...それは...!」


清隆の言葉が詰まった。


撫子がまた一歩近づく。


その時、清隆が動いた。


   *


清隆は志乃の髪を掴み、乱暴に自分の前に引きずり出した。


「痛い...清隆様...?」


志乃が困惑した声を上げた。


清隆は志乃の首に刀を当てた。


「来るな! 一歩でも近づいたら、こいつの首を刎ねるぞ!」


「清隆様...なぜ...私は...」


「黙れ!」


清隆は志乃の首筋に刀を押し当てた。血が滲む。


「痛い...やめて...」


志乃の声が震えている。


「撫子、お前はこいつを助けたいだろう? だったら引け!」


撫子は立ち止まり、冷たく二人を見つめた。


「助けたい?」


撫子は首を傾げた。


「なぜ、母を殺した女を?」


「え...?」


志乃の顔が凍りついた。


「くそっ...使えない女め!」


清隆が叫んだ。


次の瞬間、清隆は志乃の背中を刀で深く斬りつけた。


「あ...!」


血が噴き出した。志乃は床に崩れ落ちる。


「吸血鬼なら、こいつの血に気を啜れ!」


清隆は志乃を蹴飛ばし、撫子の足元に転がした。


「ほら、好きなだけ啜れよ、化け物!」


清隆は窓に向かって走り、そのまま飛び降りた。


   *


志乃は血の海の中で横たわっていた。


呼吸は浅く、もう長くはない。


撫子は志乃を見下ろした。血の匂いが鼻を突く。飢えが疼く。けれど、撫子はその血を啜ろうとは思わなかった。


志乃の唇が動いた。


「なんで...」


かすれた声が漏れる。


「なんで...私が...」


志乃の目は虚ろだった。


「ただ...いい思いを...したかっただけなのに...」


「何が...いけないの...」


志乃の声は独り言のようだった。撫子に向けた言葉ではない。誰にでもない、自分自身への問いかけ。


「貧乏に...生まれて...」


「ずっと...苦しんで...」


「撫子様は...何もしなくても...幸せで...」


「私は...何をしてても...」


志乃の目から涙が溢れた。


「なぜ...」


「清隆様は...私を...愛してくれるって...」


「嘘...だった...のね...」


志乃の声が途切れ途切れになる。


「なんで...」


「なんで...私ばっかり...」


志乃の唇が最後の言葉を紡いだ。


「私...悪くない...のに...」


そして、動かなくなった。


撫子は志乃を一瞥した。


何も言わなかった。言う言葉など、なかった。


「清隆...」


撫子は窓から飛び降りた。


   *


月明かりの下、撫子は清隆を追った。


清隆は必死で走っていた。森の中、木々の間を縫うように。息を切らし、何度も振り返りながら。


「くそ...くそ...!」


撫子は走らなかった。歩いた。ゆっくりと、確実に。


人間の足では、吸血鬼から逃げられない。


やがて、清隆は転んだ。木の根に足を取られ、地面に倒れ込んだ。


撫子がゆっくりと近づく。


「来るな...来るな...!」


清隆は後ずさりながら叫んだ。


撫子は無言で歩み寄った。


「待ってくれ...撫子...!」


清隆の声が裏返る。


「俺は...俺は仕方なかったんだ...! 任務だった...お前を愛していたのは本当だ...!」


「愛していた?」


撫子は立ち止まった。


「そうだ! 本当に愛していた! だから...俺たちはまだやり直せる...!」


「やり直す?」


撫子の声は氷のように冷たかった。


「私の家族を殺しておいて?」


「それは...それは...!」


清隆の言葉が詰まる。


壁際まで追い詰められた清隆は、膝をつき、両手を合わせて撫子を見上げた。


「待て...!待ってくれ...!」


その声は、かつて撫子を甘い言葉で惑わせた艶やかさの欠片もなく、ただ醜く震えている。


「金だ...!金ならいくらでもある...!この屋敷の財、全てお前にやる...!」


撫子は答えない。ただ、月光に照らされた紅い瞳で、這いつくばる男を見下ろしている。


清隆は撫子の沈黙に焦り、さらに言葉を重ねた。


「地位もだ...!俺の地位を...!お前の一族を滅ぼした功績、全てお前のものにしてやる...!望むなら、この藩の...!」


それでも撫子は動かない。


男の額に脂汗が浮かぶ。そして、彼の目に下卑た光が宿った。


「そうだ......お前は吸血鬼になったのだろう?」


清隆は唇を歪めた。追い詰められた獣が、最後の悪あがきで牙を剥くように。


「血が欲しいはずだ。人間の血が......」


這いながら、清隆は撫子に近づこうとする。


「女はどうだ? 若い女の血は甘いと聞く......俺の屋敷には、まだ女中が何人も隠れている。好きなだけ啜れ」


撫子の表情は変わらない。だが、その沈黙を肯定と受け取ったのか、清隆は続けた。


「それとも......子どもがいい?」


男の顔に、卑しい笑みが浮かぶ。


「小さい子どもの血は格別だと聞くぞ......? 柔らかくて、穢れがなくて......」


清隆は膝立ちになり、撫子の足元に縋りついた。


「この屋敷の近くに、貧しい村がある。子どもなら......いくらでも連れてきてやる。誰にも気づかれない。お前のために、俺が......」


その瞬間、撫子の手が動いた。


清隆の首を掴み、壁に叩きつける。骨が軋む音がした。


「......小百合」


撫子が口を開いた。その声は、凍てついた夜よりも冷たい。


「私の妹は、十歳だった」


清隆の目が恐怖で見開かれる。


「お前が殺した子どもたちの中に、私の妹がいた」


撫子の指に力が込められる。清隆の喉から、ひゅう、と空気が漏れる音がした。


「子どもを差し出す、と......?」


撫子の瞳が、月光を受けて紅く燃える。


「お前は、最後まで......」


首を絞める手に、さらに力が加わる。


「......救いようのない、屑だな」


   *


最後の瞬間、清隆は隠し持っていた短刀を撫子に向けて突き出した。


「死ねぇぇぇっ!!」


撫子は清隆の手首を掴んだ。


ゴキッ。


乾いた音がして、清隆の手首が折れた。


「ぎゃああああっ!!」


清隆が絶叫する。短刀が地面に落ちる。


撫子は清隆を見つめた。


「最後まで...卑怯者ね」


撫子は落ちた短刀を拾い上げた。


「やめろ...やめてくれ...!」


清隆が後ずさる。折れた手首を押さえながら。


「許してくれ...頼む...!」


「俺は...俺は...!」


「さようなら」


撫子は一閃した。


清隆の首が宙を舞った。


血が噴き出し、首のない体が崩れ落ちる。


首は地面に転がり、目を見開いたまま止まった。


   *


撫子は清隆の首を見下ろしていた。


恐怖に見開かれた目。歪んだ口元。醜い最期の表情。


月明かりが、その顔を照らしている。


「終わった...」


撫子は呟いた。


けれど、何も感じなかった。


達成感も、満足感も、喜びも。何もない。


ただ、虚しさだけが胸に広がっていた。


風が吹いた。撫子の髪が揺れる。


清隆の血が地面に広がっていく。黒く、どろりと。


撫子は立ち尽くしていた。


表情には、何の感情も浮かんでいなかった。

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