彼女の懊悩
デフォリアさんと付き合うことになった。
あれから毎日が少しわくわくしている。今まであまり男性とお付き合いしたことがなかったから、新鮮で、少し不思議な気持ちだ。
新作のアロマハンドクリームを調合しながら、スティカは胸いっぱいのため息をついた。
「夏らしく爽やかな香りにしたいけれど……昆虫族の方はミントとか柑橘系が苦手なんだったよね」
商品のために考えているはずなのに、つい彼のことを意識してしまう。いや、別に彼のためだけに作っているわけじゃないのに!
彼が好きなのは、甘みのある優しい香りだ。
出会ったときに渡したラベンダーを調合した香り袋を気に入ってくれて、それ以来ずっと同じ香りを求めてくれた。そのことを思い出すだけで、胸が熱くなる。
「……よし!両方作っちゃお」
結局、夏の新作は二種類。甘やかな香りと、夏らしい爽やかな香り。どちらも大切な気持ちを込めた。
ハンドクリームとお弁当のサンドイッチをカゴに詰めて、初夏の公園へ向かう。今日はデフォリアさんが先に来ていた。
長身の彼は緑色の肌を持ち、芝の上で不思議なほど馴染んでいた。自然の一部のように、そこにいる。
「デフォリアさん! お待たせしました。……今日は半袖なんですね」
そう言った瞬間、スティカの心臓が一瞬止まった気がした。
彼の細い腕の側面に、鋭い鎌がのぞいていた。今まで長袖に隠れていたそれは、彼が確かにカマキリ族であることを雄弁に物語っていた。
肉食の昆虫。捕食者の象徴。
ほんのわずかに、身体の奥から本能的な恐怖がせり上がってきた。
動揺を悟られただろうか。彼はいつもと変わらない穏やかな顔をしていたけれど――気づかれてしまったかもしれない。
「そうですね。暑くなってきたので……スティカさんは今日も可憐ですね」
「えっ」
思わず顔が熱くなる。
こんなにまっすぐ褒められたのは初めてだ。これが、彼氏彼女という関係……。
「あ、ありがとうございます……」
「ふふ。では、花畑を見に行きましょうか」
赤面した自分を見て、少し誇らしそうに笑う彼。その表情は、いつもより張り切っているように見えた。
「はい!」
花畑へ続く道すがら、スティカの視線はどうしても彼の鎌へ吸い寄せられてしまう。
今まで、彼が昆虫族であることを忘れていたのかもしれない。
どうして急に気にしてしまうのか、自分でもよくわからない。
――でも、この気持ちだけは悟られたくない。
そう思うのに、目を逸らそうとするほど、チラチラと盗み見てしまう。
「どうしました? 何か気になることでも?」
その穏やかな声に、心臓が跳ねた。
「……いえ! なんでも! あの、今日は新作のハンドクリームを持ってきたので……デフォリアさんにも試していただけたらなって」
そう言ってカゴの中から小瓶を取り出す。瓶の中の白いクリームは光を反射して柔らかく輝いていた。
「わあ、良い香りがしますね」
彼は瓶を受け取り、少しだけ手に取る。その大きな手にクリームが馴染んでいく様子を見ているだけで、胸がきゅっとする。
――触れられたら、どんな感触なんだろう。
「これは……僕の好きな香りだ」
デフォリアさんが、ぽつりと呟いた。
心臓が跳ねる。彼が顔を上げてこちらを見る。いつもは落ち着いた薄緑の瞳が、今日は少し熱を帯びている気がして。
「気に入って頂けて…良かったです」
しどろもどろになる私を見て、彼は穏やかに笑った。
「……とても心地いい香りです。僕は、こういう優しいものに包まれると安心します」
甘い。声が、言葉が、笑顔が、どれも甘すぎて頭がくらくらする。
でも同時に、腕にある鎌がどうしても目に入ってしまう。――恐怖と幸福が混じり合って、息が浅くなる。
それでも。
彼の手が、そっと私の手に触れたとき。
鎌なんてどうでもいいと思ってしまいそうになる自分がいる。




