彼の胸中
女の子と、連絡先を交換してしまった。
仕事以外では滅多にないことだ。何気ない出来事のはずが、どうにも落ち着かない。
「スティカさん、って言うんだな」
誰に聞かせるでもなく、ひとりごちる。
ものが少なく整然とした部屋に、その声が響いた。漂う落ち着いた香りが、自分らしくない気がして、少し照れ臭い。
気を紛らわせようと、風呂掃除でもしようと立ち上がった時、スマートフォンのバイブ音が耳に入る。通知は2件。
「昨日はありがとうございました!またお会いできたら嬉しいです。サシェの香りも気に入って下さるとよいのですが。」
(豚のスタンプ)
スティカらしい、ふわりと柔らかな文面だった。
すぐに返信すべきか迷って、結局、風呂掃除を優先する。
デフォリアはもともと連絡がまめな方ではないし、プライベートで女性とこうしてやりとりするのも久しぶりだった。
「僕には面白い話なんてできないし……誘っても、楽しませられる自信もないな」
それでも――また会いたいと思った。
だからこそ、昨日はあえて“らしくない”ことをしたのだ。わざわざ連絡先を聞いたのだから。
「……いい子だったな」
別に恋愛感情というわけではない。
種族が違えば価値観も生活様式も異なる。関係を深めるのはきっと難しい。……なのに。
「だから、そういうのじゃないんだってば」
口に出して、自分に言い聞かせる。
だが、ふと香りが鼻をくすぐるたび、あのやわらかな笑顔が脳裏に浮かんでしまう。
「……らしくないなりに、突き進んでみるか」
バスタブをシャワーで洗い流し、手を拭いてスマートフォンを手に取る。
「サシェも素敵な香りでした。ありがとう」
「良ければ、今度食事にでも行きませんか?」
送ってしまった。……送ってしまった。
けれど、もういい。
最初から、結婚だの将来だのは諦めている。
この子とどうなろうと、人生が終わるわけではない。
そう言い聞かせながら、夜のルーティンを終えてベッドに入った。
それでも、胸の奥にじわりと残る浮ついた熱だけは、どうにも収まりそうになかった。