minneっていいよね
それからというもの、彼はあの香り袋を、なんとなく持ち歩くようになった。
別に深い意味はない。ただ、香りが気に入ったから――それだけだ。
そう自分に言い聞かせながら、彼は今日も重たい足取りで帰路を急いでいた。
客先から急なデザイン変更を頼まれた上、上司には「すぐ対応できるよな?」などと軽々しく急かされ、久々に遅くまで会社に残った。
疲労の残る目をしかめながら、彼はカバンの中に手を差し入れ、布越しに微かに香る袋を指先で撫でる。
「……まったく。今日の睡眠時間、どうしてくれるんだよ」
ぼやきながらPCの電源を入れ、最低限のタスクを片づけていく。
香りは不思議なもので、苛立ちも疲れも、ほんの少し和らげてくれる気がした。
「本当に、いい香りだよな……」
思わず手に取り、改めて布地を見つめる。
彼女――電車で会った、あの獣人の女性が「手作り」だと話していたことをふと思い出す。
その袋には、控えめな刺繍が施されていた。
…これ、もしかして、ブランド名か何かじゃないか?
渡されてから三日。香りの心地よさにばかり気を取られて気づかなかったが、ふとした拍子にその刺繍が気になって仕方がなくなった。
試しに、その文字を検索してみる。
すぐにヒットしたのは、minneのある店舗ページだった。
「……これか」
画面に広がるのは、柔らかであたたかみのある小物たち。
間違いない、彼女の手によるものだ。
とたんに不安が胸をよぎる。
……これって、ストーカーになったりしないだろうか?
いやいや、これはただのリサーチだ。商品名を調べて買い足すのは、客として当然の行動だ。
香りが気に入った。ただそれだけのこと――そう、ただ、それだけ。
悩んだ末、備考欄には何も書かず、ひっそりとアロマキャンドルを注文した。
日付指定だけはきっちりと。
「……これで、よく眠れそうだな」
もちろん、あの香りが手に入るからだ。
決して――あの電車で出会った笑顔と、何か繋がりが欲しかったから、なんてことはない。
……そう、思っている。