出会い
電車って、こんなに人が乗れるものなんだ……!
スティカは小さく息をのんで、両腕で紙袋をぎゅっと抱きしめた。
まるでその中の香り袋を、自分の命のように守っているようだった。
「……紙袋に入れてきたの、失敗だったかも」
今日はハンドメイドマーケットの開催日。
アロマキャンドルやバスソルトは事前に会場へ送っていたが、香り袋だけは直前まで仕上げていたため、自分で持って行くしかなかったのだ。
『この先、電車が激しく揺れます。お立ちの方は吊り革におつかまりください。』
車内アナウンスと同時に、電車がぐらりと大きく揺れる。
背の低い彼女には吊り革がほんの少し遠くて、思わず体がよろめいた。
香り袋も、彼女の小柄な体も、この混雑に呑まれてしまいそうになった、そのとき——
「……お怪我は、ありませんか?」
背後からすっと伸びてきた手が、彼女の肘をやわらかく引いた。
静かな声。目を向けると、そこにはぴしっとスーツを着こなした昆虫人の青年がいた。
几帳面そうな細面に、わずかに浮かぶ心配と戸惑いの色。彼の翡翠色の複眼がまっすぐこちらを見ている。
「だ、大丈夫です。ありがとうございます……!」
スティカは慌てて紙袋の中をのぞき込んだ。
香り袋も、中に入れたドライフラワーやドライフルーツも、どうやら無事のようだった。
「ほんとうにありがとうございます……! これ、私の作品なんです。あの……今日のハンドメイドマーケットに出すもので」
「そうでしたか。……どうりで、いい香りがすると思いました」
スティカは、その言葉にふっと頬を緩ませた。
「あの、私、香水とかサシェを作ってて……これ、全部手作りなんです」
青年もわずかに目を和らげると、ほっとしたように小さくうなずいた。
「それなら、守れて良かった」
そのまま電車は落ち着いた速度に戻り、やがてスティカの目的地に到着した。
ホームに降りようとした彼女は、ふと立ち止まり、小さな香り袋を差し出した。
「今日はほんとにありがとうございました。……あの、せめてこれ。リラックスできる香りなんです。私の、一番のお気に入りで……」
青年は少し眉を下げながら、受け取った。
「ありがとう。お気をつけて、行ってらっしゃい」
そしてスティカの背中を見送る。
電車の扉が閉まり、香り袋をそっと胸元に持ち直して、彼は小さくつぶやいた。
「……いい香りだな」
ふんわりと鼻をくすぐるその香りと、あのあたたかい笑顔が、不思議と心に残っていた。