その愛、盲目につき
見に来てくださり、ありがとうございます。
彼女が微笑むたび、世界が、彼女の色で染まった。
光が射すように、誰もが息を呑み、無意識にその笑みに見入る。
空気が変わる──ほんの一瞬で、景色すらも違って見えるのだ。
後になって思えば、あれが“物語の中心にいるべき誰か”というものだったのかもしれない。
当てはまる言葉を、わたしは知らなかったけれど。
ああ、きっと、物語とは彼女のような人のためにあるのだろう。
そう思ってしまった瞬間が、すべての始まりだった。
それが──わたしがユーフィリア・セレーネに傾倒していった、最初の理由だった。
けれど今、第一王子アレクシス殿下の傍らに控えるわたし、リリア・マーティンは思う。
(いや、これ……普通に怖くない?)
まるで劇場の中に閉じ込められたような感覚。周囲のすべてが、ユーフィリア様を称え、護り、甘やかし、そして──盲信している。
たとえば、先日。
彼女が「悪役令嬢に虐められた」と涙ながらに訴えた時のこと。
その場にいた誰ひとりとして状況を確認せず、ただ彼女が指さしたというだけで、名指しされた令嬢は即座に糾弾された。
あるいは、今日のように。
「ドレスを引き裂かれた」と彼女が言えば、証拠も目撃者もないまま、ユーフィリア様がたびたび口にする“悪役令嬢”──そこにいるはずのない令嬢の仕業だと、誰もが疑いなく受け入れる。
そのたび、わたしは小さくため息をつく。
実際のところ、ドレスの裂け目は、彼女が椅子に座った拍子に、椅子の角の装飾に引っかけたもの。
そして「ユーフィリア様を虐めていた」とされる目撃証言は、今回も見つからない。
むしろ、彼女のほうがわざとらしくぶつかっていったのを、わたしはこの目で見ている。
誰も疑わない。誰も問いたださない。
彼女の言葉には、証明も反証もいらない。
ただ、それが“ユーフィリア様の語ったこと”というだけで、真実になる。
冷静になってから気づいた。
わたしたちは──いや、この場にいるすべての人間は、ユーフィリア様を中心とする、小さな宗教団体のようなものだったのだ。
微笑みに酔いしれ、涙に共鳴し、言葉ひとつで行動が決まる。
だが、最もやっかいなのは──。
「リリア、ユーフィリアを傷つける者がいれば、即座に排除せよ。彼女は……特別な存在なのだ」
そうおっしゃる殿下だ。
……ああ、殿下。
殿下はこの国の未来を担うお方。
男爵家の令嬢に心を囚われている場合ではないはずなのだ。
民を導き、貴族たちの規律となる、その尊き立場にいらっしゃるのだから。
宰相、騎士団長、魔導師長──王国の中枢を担う重鎮たちのご子息ご息女までもが、ユーフィリア様に心酔している現状。
その異常な空気を、唯一正すことができる存在こそが、殿下であるはずなのに。
確かに、ユーフィリア様は可憐で美しい。独特の華やかさで人を惹きつけ、泣き顔は人の心を揺さぶる。
だが──その裏で彼女は、明確な意図をもって“事件”を仕立てていた。
とりわけ彼女が執拗に狙うのが、悪役令嬢と名指しされているエルシア・フォン・ブランデン公爵令嬢。
そもそも“悪役令嬢”とは何なのだろう。
わたしには、その言葉がただの呪詛にしか聞こえない。
ユーフィリア様は知っているのだ。
涙の主語を入れ替えるだけで、誰かを悪者に変える力があることを、彼女は知っている。
もうわたしの目には、その構図がはっきりと見えていた。
そして、また事件が起きる。
「ユーフィリア様に熱い紅茶をかけたですって!? エルシア侯爵令嬢、あなたはもう……!」
ざわり、と空気が揺れた。
昼の喧騒が残る食堂で、ざわめきが怒号に変わる。生徒たちの視線が一斉にエルシア嬢へ向けられ、追及の声が飛ぶ。
声の波に押されそうになりながら、エルシア嬢はかすかに唇を震わせた。何か言おうとした、その瞬間――
わたしは、静かに彼女の前に立った。
それだけで、騒ぎ立てていた生徒たちが一瞬言葉を飲み込む。わたしがかつて、ユーフィリア様を誰よりも信奉していた“筆頭”だったことを、皆、覚えているのだ。
「落ち着いてください。まずはお怪我の具合を確認しませんと。ユーフィリア様、お怪我の箇所を見せていただけますか?」
「え……? あ、そ、袖が……濡れてるの。熱かったの」
袖口をそっと押さえるユーフィリア。目元にはきらりと涙が滲んでいたが、その声は妙に落ち着きすぎている。
そして一瞬、彼女の顔がわずかに強張る。――図星だったらしい。
わたしは、静かに頷いた。
「なるほど。では、紅茶を用意した侍女にも聞きしましょう」
「貴女は、ユーフィリア様が火傷するほどの熱さの紅茶を出したのですか?」
名指しされた侍女が、小さく息を呑む。
貴族の令嬢に傷を負わせた――そのような失態を問われれば、たとえそれが事実無根でも、彼女の立場は危うくなる。
肩を震わせながら、それでも侍女は必死に首を振った。
「い、いえ……ユーフィリア様からのご要望で、お身体に差し障りが出ぬよう、湯温はぬるめに調整しております。あれは、せいぜい……ぬるま湯程度でございます」
わたしは目を伏せた。
その言葉だけで、すでに“答え”は出ていた。
ユーフィリアは、震える唇で「勘違いだったみたい」と微笑んだ。けれど、その視線の先にあるのは、わたしではなかった。――エルシア嬢だった。
(……やっぱり、おかしい。これはもう、異常だ)
なのに、殿下はためらうことなくユーフィリアの手を取り、やさしく囁く。
「怖かったね。もう、何があっても僕が守るよ」
お守りすべきは、民の安寧と秩序――そして、正式に婚約を交わした方の尊厳ではありませんか。
その婚約者を差し置いて、どうして、別の令嬢の手を取っているのですか、殿下。
その掌の中にあるのが、こんな歪んだ微笑みだというのなら――わたしはもう、どうすればいいのか分からなかった。
けれど、誰かが真実を見なければならない。
そして、悪役にされ続ける彼女を、誰かが庇わなければならない。
(かつてはわたしも、盲目的に彼女を否定していた…けれど)
(わたしがやるしかない。せめて、彼女が壊されないように…)
だから、わたしは今日もエルシア嬢の側に立つ。
この歪んだ舞台の、唯一の裏方として。
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