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第9話〈風にのった素材たちですわ〉

 

 翌朝、私はいつもより早い時間にセラフィア港の市場を訪れていた。


 昨日の掲示板での出会いが、新たな探究心に火をつけたのかもしれない。ウシオ様の血抜き熟成法のように、私もまだ見ぬ素材と技術の可能性を求めて、足を向けたのがこの活気あふれる市場だった。


「おはようございます、ミレイ様」


 馴染みの魚屋のNPCが声をかけてくれる。この数日間で、市場の人々とも顔見知りになっていた。


「おはようございます。今日も新鮮な魚が入っておりますのね」


「ええ、今朝の水揚げです。でも……ちょっと変わったものも入りましてね」


 魚屋の主人が奥から持ち出してきたのは、見たことのない透明な物体だった。薄青く透けたゼラチン塊で、形状は不定形。表面には微かな気泡が浮かんでいる。


「これは……?」


「『潮返りのゼラチン』と呼ばれているものです。最近、近海で採れるようになりまして。正体はよく分からないんですが、料理に使えるらしいと聞いて」


 私は興味深そうにその物体を観察した。味覚判定スキルを発動すると、興味深い情報が表示される。


『品質:??? 鮮度:最高 風味:複雑・未知の要素あり 調理適性:要研究』


「まあ……未知の要素、ですって」


 これまで出会ったどの素材とも違う、神秘的な特性を持っているらしい。そして何より、風が吹いた瞬間にそのゼラチンから漂ってきた香りが印象的だった。


「……柑橘? いえ、違いますわね。もっと奥深くて、海の……」


 その時、突然空に荘厳な音楽が響き渡った。


『【ワールドアナウンス】』


 市場にいた全てのプレイヤーとNPCが空を見上げる。巨大な光の文字が空中に浮かび上がった。


『【歴史的大発見】パーティリーダー「カイト」率いる調査隊が古代アルネシア文明の遺跡を発見!「古代海洋神殿」の解放により、古代エリアシリーズが始動します!』


 市場が一瞬静まり返り、その後爆発的な歓声に包まれた。


「おい、聞いたか!古代遺跡だぞ!」

「カイトって、あの有名な探索者の!?」

「古代エリアって、新しいダンジョンか?」

「海洋神殿……海底にあるのかな?」


 興奮する冒険者たちの声が飛び交う中、私はふと手元の潮返りのゼラチンを見つめた。


「……なるほど、繋がりましたわね」


 古代海洋神殿の発見。そして同時期に現れた未知の海洋素材。これは偶然ではないだろう。古代の遺跡から何らかの影響で、これまで深海に眠っていた素材が浮上してきたのかもしれない。


「すみません、このゼラチンを幾つかいただけますか?」


「ああ、もちろんです。お嬢様でしたら、きっと何か素晴らしいものを作ってくださるでしょう」


 私は潮返りのゼラチンを数個購入し、保冷保存袋に丁寧にしまった。この未知の素材が、どのような可能性を秘めているのか確かめたい。


 市場を歩き続けていると、見覚えのある人影を発見した。


「あら、ミオさん?」


「ミレイ様!」


 振り返ったのは、あの真面目で一生懸命な料理人の少女だった。彼女も手に買い物袋を提げ、新鮮な素材を物色していたようだ。


「おはようございます。今日も素材探しですか?」


「ええ、実は昨日の投稿の反響がすごくて……」


 ミオは少し困ったような、でも嬉しそうな表情を浮かべた。


「血抜き熟成法について、たくさんの方から質問をいただいて。でも私、ウシオ様から教えていただいただけで、詳しいことは……」


「まあ、それは大変でしたわね」


 私は微笑んだ。技術を公開するということは、このような責任も伴うものだ。


「でも、それだけ多くの方が関心を持ってくださったということは、素晴らしいことですわ」


「はい! ミレイ様のお返事も、とても感動的でした。ウシオ様、きっと喜んでいらっしゃると思います」


 ミオの言葉に、私は少し胸が暖かくなった。見知らぬ方だが、同じ志を持つ職人として、きっと理解し合えるのではないだろうか。


「ところで、ミオさん。あの『潮返りのゼラチン』はご存知ですか?」


「あ、それでしたら私も今朝初めて見ました! 魚屋のおじさんが『変な香りのする新素材』って言ってて……」


「変な香り……まさに私が感じたのと同じ印象ですわ」


 私は保存袋からゼラチンの一かけを取り出した。


「柑橘と海の香りが混ざったような、不思議な匂いがいたします」


「本当ですね……これ、先ほどのワールドアナウンスと関係があるのでしょうか?」


 ミオの鋭い洞察に、私は感心した。


「その可能性は高いと思います。古代海洋神殿の発見と同時期に現れた素材……きっと何らかの関連性があるはずです」


 私たちは市場の片隅にある休憩スペースに移動し、この新素材について情報交換を始めた。


「調理適性は『要研究』と表示されていますので、通常の方法では扱えないかもしれませんわね」


「でも、ミレイ様でしたら、きっと素晴らしい料理に変えてくださいますよ」


 ミオの信頼の眼差しに、私は身の引き締まる思いがした。


「ありがとうございます。では、あなたと私で、この新しい素材の研究を始めてみませんか?」


「え、私もですか!?」


「ええ。一人より二人の方が、きっと良いアイデアが生まれるはずです」


 そうして私たちは、潮返りのゼラチンの研究プロジェクトを開始することになった。


 市場を後にする頃、私は空を見上げた。古代海洋神殿の発見が、この世界にどのような変化をもたらすのか。そして、この新しい素材が、私たちの料理にどのような革新をもたらすのか。


「新しい波が来ていますわね……」


 私は微笑みながら呟いた。


 変化は時として不安を伴うものだが、料理人にとって新しい素材との出会いは何よりも楽しみなこと。この未知の挑戦を、心から歓迎したい。


 風が頬を撫でていく。その風は、新しい可能性の香りを運んでくるようだった。


 午後には早速、ミオと共に調理実験を開始する予定だ。この『潮返りのゼラチン』が、どのような奇跡を見せてくれるのか。


 期待に胸を躍らせながら、私は足早に調理室へと向かった。

【アルネペディア】

・潮返りのゼラチン:古代海洋神殿の発見と同時期に市場に出回り始めた未知の海洋素材。淡く青みがかった透明のゼラチン状物質で、柑橘と海風のような複雑な香りを持つ。調理適性は「要研究」とされ、通常の方法では扱いが困難。


・カイト:冒険者ギルド公認の有名な探索者。「古代海洋神殿」を発見し、ワールドアナウンスでその名が全プレイヤーに知られることとなった。古代エリアシリーズ解放の立役者。


・古代海洋神殿:カイト率いる調査隊によって発見された古代アルネシア文明の遺跡。その発見により新たなエリアシリーズが解放され、ゲーム世界に大きな変化をもたらした。

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