第6話〈貴族の厨房、オンラインですわ〉
翌朝、セラフィア港の簡易厨房は、いつになく賑やかだった。
「……あの透明感、あの香り……あれは本当にスイーツだったのか?」
「魔法バフがつく料理なんて、高級ポーション以外で初めて見たぞ」
「それより、あのお嬢様の正体が気になる。何者なんだ?」
声の主は冒険者プレイヤーたちだけではない。厨房の隅で朝の仕込みをしていたNPC料理人たちも、小声で囁き合っている。
「例のデザート、『ジュレ・ド・フォレ』って名前も彼女がつけたんだってな」
「名前だけじゃない。素材の扱いも、火加減の調整も、どれも一流の技術だった」
「……たまにいるんだよ、ああいう天才肌の職人が。けど、あの人は少し別格かもしれん」
その騒がしさの中心にいるのは、もちろんこのわたくし――桜ノ宮ミレイでございます。
「ふむ……注目されるのは慣れておりますけれど、料理に関してとなると、少々複雑な気持ちですわね」
私は厨房の片隅で紅茶を啜りながら、昨晩仕込んでおいたジュレの試作品を再度検証していた。一晩寝かせることで味がどう変化するか、その研究も料理人として重要な課題だ。
「昨日よりも、わずかに水分が抜けておりますわね……」
味覚判定スキルで詳細に分析すると、確かに微細な変化が確認できる。仮想世界とはいえ、時間経過による品質変化は現実と同様に起こるらしい。これは興味深い発見だった。
「保存方法も工夫が必要ですわね。密閉容器と冷却魔法を組み合わせれば……」
思索に耽っていると、厨房の入り口から聞き覚えのある声が響いた。
「すみません、昨日お世話になったリナです! 今日もよろしくお願いします!」
振り返ると、魔術師のリナが調理道具を抱えて駆け込んできた。その後ろには、見知らぬプレイヤーが数人続いている。
「まあ、リナさん。おはようございます」
「ミレイ様! 実は、昨日のことを仲間に話したら、皆さんもぜひ教えていただきたいって……」
リナの後ろから現れたのは、戦士風の大柄な男性、弓使いらしき女性、そして僧侶系の若い男性。どうやら、彼女のパーティメンバーのようだ。
「初めまして。僧侶のヒロシです。リナから、すごい料理を教えてもらったって聞いて……」
「弓使いのサクラよ。MP回復料理、私たちにも作れるかしら?」
「戦士のゴンザです。俺は料理できないけど、見学だけでも……」
突然の来訪者に、私は少し困惑していた。確かに昨日、リナには作り方を教えたが、こんなに大勢になるとは。
「皆様、お気持ちはありがたいのですが……」
その時、厨房の奥から声がかかった。
「お嬢さん、よかったら、あちらの調理室を使ってみませんか?」
声の主は、昨日から厨房で働いているNPC料理人のマスター・エドワード。中年の穏やかな男性で、この共同厨房の管理を任されている人物だった。
「調理室?」
「裏にある専用スペースです。食材保管庫と、業務用の魔導火口があります。今は空いていますし、大勢での作業には向いているかと」
「まあ、それはありがたいお申し出ですわ」
私は立ち上がり、スカートの裾を整えた。
「それでは皆様、こちらへどうぞ」
* * *
案内された調理室は、予想以上に充実した設備だった。
古びた木の棚には見慣れない香辛料の瓶が並び、重厚な鉄鍋が複数用意されている。魔導火口は業務用らしく、火力の調整が細かく可能。何より、静寂に包まれた空間が心地よかった。
「……まるで、現実の厨房とは対照的な場所ですわね」
豪華さはない。しかし、ここには料理に集中できる環境がある。そして何より――
「素材と真摯に向き合える空間ですわ」
私が本当に求めていたのは、最新の設備ではなく、心静かに料理と向き合える場所だったのかもしれない。
「それでは、始めましょうか。まず、皆様にお聞きしたいのですが」
私はパーティメンバーたちを見回した。
「どのような効果の料理をお求めでしょうか? 魔法系の能力向上、体力回復、状態異常への耐性……目的によって、使用する素材や調理法が変わってまいります」
「えーっと……」
ヒロシが困ったような顔をした。
「僕たちのパーティ、バランスは悪くないんですが、長時間の戦闘になると皆のスタミナが持たなくて……」
「体力とMP、両方に効く料理があれば最高なんだけど」とサクラが付け加える。
「なるほど。それでしたら……」
私は頭の中で材料を検討した。昨日のスライム・ジュレは魔法系に特化していたが、体力回復も含むとなると、もう少し工夫が必要だ。
「『バランス・ポワール』はいかがでしょう? 複数の素材を組み合わせて、総合的な能力向上を狙った料理です」
「バランス……ポワール?」
「ええ。スライム核の魔法親和性に、野生の薬草による体力回復効果を加え、果実の酸味でバランスを整えた一品です」
私は調理台の上に材料を並べ始めた。高品質スライム核、セラフィア産のワイルドベジタブル、フレッシュベリー、そして街外れで採取した『森の癒し草』。
「まず、皆様には素材の下処理をお手伝いいただきましょう」
リナには野菜の洗浄と切り分け、サクラにはベリーの選別、ヒロシには薬草の葉摘みを担当してもらう。ゴンザは「料理はからっきし」と言いながらも、火の管理を任せることにした。
「料理は一人で作るものではありませんわ。皆で協力して、最高の一品を目指しましょう」
作業が始まると、調理室の雰囲気が変わった。
最初はぎこちなかった動きも、次第に連携が取れるようになる。リナの丁寧な野菜処理、サクラの的確なベリー選別、ヒロシの薬草への気遣い、そしてゴンザの安定した火力管理。
それぞれが自分の役割に集中し、けれど全体の調和を意識している。まさに、パーティプレイの真髄がここにあった。
「皆様、素晴らしい連携ですわ」
私は微笑みながら、最後の仕上げに取りかかった。各素材の特性を活かしつつ、全体のバランスを整える。これまでの経験と技術の全てを注ぎ込んだ、自信作だった。
『料理完成:バランス・ポワール・ド・セラフィア』
『等級:A+ 効果:HP回復速度+15%、MP回復速度+10%、状態異常耐性+20%(45分)』
「おおお!」
完成品を見て、パーティメンバーたち全員が歓声を上げた。
「これ、本当に私たちが作ったんですか?」とリナが目を輝かせる。
「見た目も効果も、市販のポーションより上じゃない?」とサクラが感嘆する。
「すげぇ……俺でも料理に参加できるんだな」とゴンザが嬉しそうに呟く。
そして、皆で試食。
「美味しい……! それに、体の奥から力が湧いてくる感じ!」
「これなら長時間の探索も安心ね」
「ミレイ様、本当にありがとうございます!」
彼らの笑顔を見ていると、私も自然と笑みがこぼれた。
料理とは、確かに一人でも作れる。しかし、誰かと一緒に作り、一緒に味わう時にこそ、その真価が発揮されるのかもしれない。
「皆様こそ、ありがとうございました。おかげで、新しい発見がございましたわ」
その後、マスター・エドワードがやってきて、調理室の定期利用を提案してくれた。
「お嬢さんのような方に使っていただけるなら、こちらとしても光栄です。いつでもどうぞ」
「本当にありがとうございます。大切に使わせていただきますわ」
夕方、私は一人で調理室に残り、今日の成果を振り返っていた。
美味しい料理を作れたことはもちろん嬉しい。しかし、それ以上に価値があったのは、料理を通じて人との繋がりが生まれたことだった。
「……そろそろ、わたくし専用の拠点が欲しいですわね」
私は窓から見える夕陽を眺めながら、静かに呟いた。
素材を迎える場所。誰にも邪魔されず、けれど必要な時には仲間を招ける空間。そう、わたくしだけの――"オンライン厨房"。
この仮想世界での旅は始まったばかり。けれど、その歩みは確実に、この美しい世界に刻まれていくのだった。
【アルネペディア】
・バランス・ポワール・ド・セラフィア:複数の素材を組み合わせて作られる総合能力向上料理。HP・MP回復と状態異常耐性を同時に得られる貴重な一品。セラフィア港の特産素材を使用することで、より高い効果を発揮する。
・オンライン厨房:個人プレイヤーが専用に持つ調理空間の俗称。ゲーム内施設を借りるか、拠点開発によって実現する。生産職の中でも高級設備に分類される。
・マスター・エドワード:セラフィア港の共同厨房を管理するNPC料理人。料理への情熱を持つプレイヤーを支援することで知られ、有望な料理人には設備の優先利用権を与えることがある。