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第5話〈一流の味は、素材から〉

 

 解体スキルを習得した翌日、私は意気揚々と街の簡易厨房へ向かった。


 今日こそ、この仮想世界で初めての本格的なスイーツ作りに挑戦する日。昨日解体して得た高品質スライム核が、どのような味わいを見せてくれるのか――期待に胸が躍った。


「素材は整いましたし、工程も頭の中では完璧。あとは、わたくしの腕次第ですわね」


 簡易厨房は、街の共同広場の一角に位置している。赤い瓦屋根の下、石造りの調理台と木製の棚が設えられ、朝の光が心地よく差し込んでいた。既に何人かのプレイヤーとNPC料理人が作業をしており、食材を刻む音や鍋の煮立つ音が響いている。


「……まあ、想像以上に開放的な作りですのね」


 私が幼い頃から慣れ親しんできた厨房といえば、大理石のカウンターに銀の調理器具、気密性の高い空間で温度や湿度まで完璧に管理された環境だった。それに比べれば、この場の厨房は確かに"素朴"の一言に尽きる。


 けれど、だからこそ意味がある。


「この環境で、どこまで理想の味を実現できるか……それこそが腕の見せ所ですわ」


 私は持参したレースのハンカチを調理台に敷き、備え付けの鉄鍋と木のまな板を丁寧に確認した。魔導加熱台の温度調節は少々荒いが、細やかに観察すれば十分に制御可能。道具の癖を理解するのも、料理人の大切な技術の一つだ。


「では、始めましょうか――わたくしの、仮想世界初作品を」


 メインの材料は、昨日解体で得た高品質スライム核。正式名称は「グリーンスライムの内核組織〈高純度部位〉」。透明度が高く、わずかに緑がかった美しい輝きを放っている。


 味覚判定スキルで詳細を確認すると、『風味:淡白だが上品、甘味成分:中程度、ゼラチン質:優良』という評価が表示された。


「まず、核を低温でゆっくりと加熱いたしましょう」


 私は小さな鍋に核を入れ、魔導火口を最低出力に設定した。ゼラチン質の繊維を崩さないよう、温度は55度で5分間。この段階で素材の組織を柔らかくし、後の工程で形を整えやすくする。


 加熱中に、他の材料の準備を進める。街の市場で調達したフレッシュベリー――小さな赤い実で、ほのかな酸味と芳醇な香りが特徴。これを丁寧に潰して果汁を搾り取る。


「ベリーの酸味で、スライム核の淡白さを引き立てて……」


 さらに、街外れで採取したミント風の薬草を加える。葉の形状はハーブに似ているが、香りはより上品で繊細。これを細かく刻んで、最後の仕上げに使用する予定だ。


 5分後、加熱を終えたスライム核を取り出す。透明度がさらに増し、まるで宝石のような美しさ。


「完璧な加熱状態ですわ」


 次に、冷却魔法を使用して核を急速に冷やしながら、ベリーの果汁を上から丁寧にかけていく。果汁が核の表面を覆い、美しいグラデーションを形成していく。


 最後に、刻んだ薬草を散らし、全体のバランスを整える。色合い、香り、質感――すべてが調和した、美しいデザートの完成だった。


 『料理完成:スライム・ジュレ・ド・フォレ』


 システムからの通知と共に、完成品の詳細情報が表示される。


『等級:S− 効果:INT+5(30分)、MP回復速度+10% 特殊:魔力親和性向上』


「まあ……お菓子に魔法効果が付与されるなんて」


 私は驚嘆しながら、銀のスプーンを手に取った。人生初の仮想世界スイーツを、恐る恐る口に運ぶ。


 一口――


 瞬間、周囲の音が消えた。


 舌の上でとろける透明なゼリー。最初に感じるのは、スライム核特有の清涼感。続いて、ベリーの甘酸っぱさが口の中に広がり、最後に薬草の上品な香りが鼻腔を通り抜けていく。


 すべての要素が完璧に調和し、一つの物語を奏でている。まるで森の朝露を味わっているような、清らかで美しい味わい。


「……まあ、なんて……」


 気づけば、私は目を閉じていた。


 素材が語りかけてくる。かつて森で跳ね回り、陽光を浴びて育ったスライムの"記憶"が、今は私の舌で優しく歌っている。


 それは単なる料理ではなく、命への讃美歌だった。


「これは……わたくしが目指していた味ですわ」


 完食後、私は深い満足感に包まれていた。技術的にはまだ改善の余地があるが、方向性は間違っていない。この道を極めれば、きっと――


「お嬢さん……今の、あんたが作ったのかい?」


 背後から声がかかった。振り返ると、厨房で野菜炒めを作っていたNPC料理人が、驚いたような表情で私を見つめていた。


「ええ、試作品でございます。出来栄えとしては、85点といったところでしょうか」


「……こんな綺麗な断面、初めて見たよ。しかも、あの香り……まるで素材が生きてるみたいだった」


 NPC料理人は感心したように頷いている。


「ふふ……素材は決して死にませんわ。適切な手が、適切な心が、それを"輝かせる"のです」


 その時、厨房の入り口から別のプレイヤーが入ってきた。魔術師風のローブを着た若い女性で、疲れた様子で調理台に向かおうとしている。


「あの……すみません」


 女性プレイヤーが私に話しかけてきた。


「今、とても良い香りがしたのですが……もしかして、魔法効果のある料理を作られました?」


「ええ、たまたまそのような効果が付いたようですが」


「もしよろしければ……レシピを教えていただけませんか? 私、魔術師をしているのですが、MP回復に苦労していて……」


 私は少し考えた後、微笑んだ。


「レシピをお教えするのは難しいですが……一緒に作ってみませんか? 素材の扱い方から、丁寧にお教えいたします」


「本当ですか!? ありがとうございます!」


 女性プレイヤー――リナと名乗った彼女と一緒に、再度同じ料理を作ることになった。今度は工程を一つ一つ説明しながら、彼女に実際に手を動かしてもらう。


「スライム核の加熱は、このように優しく……温度が高すぎると組織が崩れてしまいますの」


「なるほど……こんなに繊細な作業だったんですね」


「ええ。素材との対話が、何より大切です。急がず、丁寧に、素材の声に耳を傾けて……」


 リナの作った作品は、私のものほど完璧ではなかったが、それでも十分に美味しく仕上がった。彼女が初めて食べた時の感動の表情は、忘れられないものだった。


「こんなに美味しいデザート、初めてです……! しかもMP回復効果まで!」


「ふふ、お疲れ様でした。練習すれば、必ずもっと上手になりますわ」


 その後も、厨房を訪れる何人かのプレイヤーが私の料理に興味を示した。皆、魔法効果に驚き、その美しい見た目と味に感動してくれた。


 しかし、私は販売を断った。


「申し訳ございませんが、わたくしは商売目的で料理をしているわけではございませんの。もしお望みでしたら、作り方をお教えいたしますわ」


 夕方になる頃、私は満足そうな気持ちで厨房を後にした。


 今日の成果は、単に美味しい料理を作れたことだけではない。この仮想世界での料理の可能性を確認できたこと、そして志を同じくする仲間と出会えたことが、何より価値ある収穫だった。


「明日は、どんな素材と出会えるでしょうか……」


 私は夕陽に染まる港を眺めながら、次なる挑戦への期待に胸を膨らませていた。

【アルネペディア】

・スライム・ジュレ・ド・フォレ:高品質スライム核を主材料とした高級デザート。透明感のある美しい外観と上品な味わいが特徴。魔法職向けの能力向上効果を持つ。


・魔力親和性向上:魔法系スキルの効果を一時的に強化する特殊効果。高品質な魔法素材を使用した料理にのみ付与される稀少な効果。


・フレッシュベリー:セラフィア近郊で採取される野生の果実。酸味と甘みのバランスが良く、料理の風味付けに重宝される。保存期間が短いため、新鮮なうちに使用することが重要。

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