第20話〈完璧を超えた先へ〉
翌朝、私の個人厨房は昨日とは全く違う雰囲気に包まれていた。緊急王都クエストという重責を背負った今、一人きりの静寂がかえって重く感じられる。
「おはようございます、ミレイ様」
扉の向こうから聞こえた声に振り返ると、セバスチャンが立っていた。昨日のクエスト受諾以来、専属サポートNPCとして私の技術支援を担当することになっていた。
「おはようございます、セバスチャン」
「早速ですが、代替技術開発の基礎データ分析を完了いたしました」
彼が手にしていた資料を見せてくれる。そこには、シトラスハーブの成分分析から代替候補素材まで、膨大な情報が整理されていた。
「これほど詳細な分析を一晩で......」
「効率的なデータ処理は私の得意分野でございます。ミレイ様の直感的な技術開発と組み合わせることで、最適な結果を導き出せるでしょう」
私は資料に目を通しながら、セバスチャンとの協力について考えていた。これまで一人で完璧を追求してきた私にとって、他者との協力は未知の領域だった。
「ところで、セバスチャン。同じクエストを受諾した他のプレイヤーの動向はいかがですか?」
「はい。現在確認できている範囲では、リーヴェンの薬師ギルドのケンイチ様が代替薬草の研究を開始されております」
セバスチャンが追加の資料を提示した。
「そして、興味深いことに、オルディア港の漁師でありますウシオ様も同じクエストを受諾されているとの報告があります」
「オルディア港の......血抜き熟成法を開発された方ですのね」
私は驚いた。確かに考えてみれば、シトラスハーブ需要急増の原因を作った張本人とも言える人物が、解決のためのクエストを受信するのは理にかなっている。
「ウシオ様は現在、血抜き熟成法の改良により、シトラスハーブ使用量を削減する方向で研究を進められているようです」
「なるほど......原因を作った方が、その解決策も模索されているということですのね」
私は感慨深く思った。同じクエストに取り組む三人のアプローチがそれぞれ異なることに、このクエストの奥深さを感じていた。
「セバスチャン、あなたの分析によると、最も有力な代替案は何でしょうか?」
「三つのアプローチがございます」
彼が資料のページを開いた。
「第一に、既存植物の組み合わせによる代替。第二に、保存技術の革新による使用量削減。第三に、全く新しい保存理論の確立です」
「なるほど......」
私は興味深く聞いていたが、ふと違和感を覚えた。
「でも、これらはすべて理論上の話ですわね?」
「はい。実際の調理における感覚的な要素は、ミレイ様のご経験に依存いたします」
その時、厨房にミオが駆け込んできた。
「ミレイ様、大変です!」
「どうなさいましたの?」
「王都料理ギルドの若手料理人たちが、緊急王都クエストの技術を見学したいと押しかけてきました!」
私は困惑した。クエストが始まったばかりで、まだ何も成果を上げていないのに。
「どちらにいらっしゃるのですか?」
「厨房の外に二十名ほど......『貢献度A+のプレイヤーの技術開発を見せてください』と」
セバスチャンが冷静に提案した。
「ミレイ様、これは絶好の機会かもしれません。実際の調理現場での反応を見ることで、理論と実践のギャップを確認できます」
「そうですわね......」
私は決断した。
「皆様をお通しください」
厨房に入ってきた料理人たちは、皆若々しく、期待に満ちた表情をしていた。その中の一人、特に若い女性が前に出た。
「初めまして、ミレイ様。私はマリアンヌと申します。王都料理ギルドで修行中の身です」
「よろしくお願いいたします、マリアンヌさん」
「海神祭での三つ星評価、本当に素晴らしかったです!緊急王都クエストに選ばれるなんて、私たちの憧れです」
彼女の熱意に、私も心を動かされた。
「承知いたしました。では、セバスチャンの分析データを基に、実際の調理実験をお見せしましょう」
私はセバスチャンが用意した代替素材の組み合わせを使って、保存効果のテストを開始した。理論上は完璧な配合のはずだった。
しかし、実際に調理を始めると、すぐに問題が明らかになった。
「あの......ミレイ様」
マリアンヌが遠慮がちに手を挙げた。
「何でしょうか?」
「その配合ですと、一般の料理人には作るのが難しすぎるのではないでしょうか?」
私は手を止めた。確かに、セバスチャンのデータに基づく完璧な配合は、非常に複雑で繊細な調整を要求していた。
「と、おっしゃいますと?」
「温度管理が0.5度単位で必要ですし、素材の混合順序も秒単位で調整が必要で......」
他の料理人たちも頷いている。
「私たちのような一般的な技術レベルでは、とても再現できません」
私は愕然とした。完璧を追求するあまり、実用性を見失ってしまっていたのだ。
「セバスチャン......」
「申し訳ございません。理論的最適化を重視しすぎました」
セバスチャンも反省の色を見せた。
「ミレイ様の技術レベルを基準に計算していたため、一般的な技術レベルを考慮していませんでした」
私は深く考え込んだ。これまで一人で完璧を追求してきた私には、他の人の技術レベルに合わせるという発想が欠けていたのだ。
その時、頭の中にシステム音が響いた。
【サブクエスト更新】
『技術の民主化』が追加されました
・一般料理人でも再現可能な技術の確立
・実用性と効果のバランス最適化
・技術普及の可能性検証
報酬:経験値8,000/普及度+50
「マリアンヌさん、どの程度の技術レベルでしたら実用的でしょうか?」
「そうですね......温度管理は5度程度の誤差まで許容できて、調理時間も分単位で調整できる程度でしょうか」
私は新しい挑戦を感じていた。完璧すぎる技術を、誰もが使える実用的な技術に変える。これは私にとって全く新しい課題だった。
「わかりました。では、皆様と一緒に実用版を開発いたしましょう」
私はセバスチャンに指示した。
「一般的な技術レベルでも再現可能な配合を再計算してください」
「承知いたしました。許容誤差範囲を拡大して再分析いたします」
そして、私は料理人たちに向き直った。
「皆様、一緒に実験していただけませんでしょうか?」
「本当ですか!」
マリアンヌをはじめ、皆が目を輝かせた。
次の三時間は、私にとって貴重な学びの時間となった。完璧な理論を実用的な技術に落とし込む作業は、想像以上に困難だった。
しかし、マリアンヌたちの率直な意見と、セバスチャンの柔軟な再計算により、徐々に実用的な代替技術が形になってきた。
「これなら、私たちでも作れそうです!」
マリアンヌが嬉しそうに実験結果を確認している。保存効果はセバスチャンの理論値の80%程度だったが、十分実用的なレベルに達していた。
【サブクエスト達成】
『技術の民主化』を達成しました
実用版代替技術の開発に成功
経験値8,000を獲得
普及度+50
「ミレイ様」
セバスチャンが私に近づいてきた。
「今回の実験で重要なことを学びました。理論的完璧さと実用的価値は、必ずしも一致しないということです」
「ええ。私も同感ですわ」
私は振り返った。これまで一人で追求してきた完璧主義が、今日初めて壁にぶつかった。しかし、それを乗り越えることで、新しい可能性が見えてきた。
「皆様、ありがとうございました」
私は料理人たちに感謝を込めて頭を下げた。
「今日の実験で、技術の民主化という新しい目標が見えてまいりました」
マリアンヌが代表して答えた。
「こちらこそ、ありがとうございました。緊急王都クエストの進展を、私たちも応援しています」
料理人たちが帰った後、私とセバスチャンは今日の成果を整理していた。
「ミレイ様、今回の経験を踏まえ、今後は二段階の技術開発を提案いたします」
「二段階......ですか?」
「はい。完璧版と実用版の並行開発です。完璧版はミレイ様のような高技術者向け、実用版は一般料理人向けです」
私はその提案に深く納得した。
「素晴らしいアイデアですわ。それぞれの技術レベルに応じた技術提供......これこそ真の技術革新かもしれませんね」
夕方、一人で厨房に立ちながら、私は今日の出来事を振り返っていた。
これまで一人で完璧を追求してきた道が、今日から変わった。セバスチャンとの協力による科学的アプローチ、そしてマリアンヌたちとの協力による実用性の追求。
そして、ケンイチやウシオという同じクエストに挑む仲間たちの存在。それぞれ異なるアプローチで同じ目標に向かう、新しい競争と協力の関係。
完璧すぎて使えない技術から、みんなが使える実用的な技術へ。これが私の新しい挑戦となった。
「明日からは、本格的な保存食科学の研究ですわね」
私は窓の外の夕陽を見つめながら、新たな決意を固めていた。一人の完璧から、みんなでの革新へ。緊急王都クエストが私に与えた新しい使命が、ついに本格的に始まろうとしていた。
【進行状況】
メインクエスト:『アルネシア保存食技術革新プロジェクト』(進行度:15%)
サブクエスト:『技術開発基盤構築』(達成)
サブクエスト:『技術の民主化』(達成)
制限時間:残り28日と12時間
【アルネペディア】
・マリアンヌ(NPC):王都料理ギルド若手料理人、一般技術レベルの代表として実用化に貢献
・技術の民主化:高度な技術を一般レベルで再現可能にする重要なコンセプト、緊急王都クエストの重要要素
・二段階技術開発:完璧版(高技術者向け)と実用版(一般向け)の並行開発システム
・ウシオ:オルディア港の漁師、血抜き熟成法開発者、同じ緊急王都クエストを受諾し改良研究中
・普及度:技術の一般への浸透度を示すパラメータ、クエスト達成に重要な要素トを支援




