第2話〈スライムとお紅茶の時間〉
セラフィア港でのNPCによる街案内は、想像以上に充実したものだった。
「こちらが武器屋、向こうが防具屋、そして奥の建物が冒険者ギルドでございます」
案内してくれたのは、港の案内係を務めるNPCの老紳士。丁寧な口調と穏やかな笑顔で、初心者にも分かりやすく街の施設を教えてくれる。
「冒険者ギルドでは、初心者の方向けのチュートリアルクエストを受けることができます。戦闘の基本や、スキルの使い方を学べますので、まずはそちらから始められることをお勧めいたします」
「まあ、ご親切にありがとうございます。では、さっそく参りましょうか」
私は優雅に一礼し、案内された冒険者ギルドの扉をくぐった。
建物の中は、中世の酒場を思わせる温かみのある内装。木のテーブルと椅子が並び、暖炉には火がくべられている。受付カウンターには、笑顔の美しい女性NPCが立っていた。
「いらっしゃいませ。初めてお見かけしますが、新人冒険者の方でしょうか?」
「ええ、今しがた到着したばかりでございます。チュートリアルなるものを受けたいのですが」
「承知いたしました。それでは、基本操作の確認から始めさせていただきますね」
受付嬢の案内で、ギルドの裏手にある訓練場へと向かった。青空の下、広々とした草原が広がっている。他にも何人かの新人冒険者らしきプレイヤーが、それぞれ基本動作の練習をしていた。
「まず、基本移動の確認を行います。前方に表示されている矢印の方向へ、ゆっくりと歩いてみてください」
システムからの上品な音声案内が響き、視界の端に柔らかな光をまとった矢印が表示される。
「承知いたしましたわ」
私は小さくお辞儀し、指示された方向へ歩き始めた。
その歩みは、現実世界と何ら変わらない。背筋は自然に伸び、重心はブレず、つま先が軽やかに地面を捉える。乗馬で養った体幹、バレエで鍛えたバランス感覚、テニスで培った反射神経――そのすべてが、この仮想世界においても完璧に機能していた。
「……これは、思った以上に自然ですわね」
違和感どころか、まるで生まれた時からこの身体だったかのような感覚。VRの技術の進歩には、素直に感嘆せざるを得なかった。
『反応速度、誤差ゼロ。補正不要』
システムのログに走った小さな驚きは、もちろん私の耳には届かない。
「続いて、左右への方向転換、そしてジャンプ操作をお試しください」
私は軽く体をひねり、スカートの裾を崩さぬよう左へ。続けて右へ。どちらも舞踏会の一幕のような、優雅で自然な動き。
「ジャンプ、でございますのね?」
つま先に力を込め、つん、と跳ねた。着地も音ひとつ立てず、膝を曲げて滑らかに収める。
『ジャンプ成功。姿勢補正不要。優雅さ:上級判定』
「うふふ……バレエの基礎でございますもの」
私は嬉しくなって、もう一度小さく跳ねてみた。やはり完璧な着地。
「次に、メニュー操作をご案内します。右手を開き、手のひらを上に。そのまま人差し指を一本、立ててください」
「このように?」
指示通りに手を動かすと、すっと光の板が現れた。「ステータス」「スキル」「アイテム」「装備」などの項目が、美しいフォントで並んでいる。
「まず、ステータスから確認してみましょう」
私は「ステータス」に指を近づけた。
『プレイヤー名:ミレイ=サクラノミヤ 種族:ヒューマン 職業:料理人 レベル:1』
『STR:8 AGI:10 DEX:12 VIT:9 INT:13 MND:11 LUK:12』
「まあまあですわね。バランス型と申しましょうか」
続けてスキル欄を確認する。
『所持スキル:料理Lv.1、採取Lv.1、味覚判定Lv.1、移動Lv.1』
「"味覚判定"……このスキルは非常に興味深いですわ」
料理人の初期スキルらしいが、素材の品質や風味を感覚的に理解できるというもの。これは必ず役に立つことだろう。
「操作習得、完了です。続いて、戦闘チュートリアルを開始いたします」
その瞬間、目の前の空間がゆらりと歪み、小さな影が現れた。
それは――半透明で、ぷるぷると震える緑色の寒天のような物体。大きさは子猫ほど。丸い形をして、中央に小さな核のようなものが見える。
「……まあ。あれがスライムですの?」
思わず感嘆の声が漏れた。想像していたよりもずっと愛らしく、そして――美味しそうだった。
「なんて瑞々しい質感……この透明感は、まるで上質なゼリーのよう……」
私は慎重にスカートの裾を整えながら、支給された「訓練用ナイフ」を手に取った。刃は短く、どちらかと言えば果物ナイフに近い。
構えといっても、私の姿勢は美しい所作のまま。まるでテーブルマナーの一環のような、上品な佇まい。
スライムが、ぴょん、ぴょんと跳ねながらゆっくりと近づいてくる。敵意があるというより、好奇心旺盛な動物のような動き。
「あら、可愛らしい……でも」
突然、スライムが大きく跳ね上がり、私の方向に飛んできた。
「きゃっ! こ、来ないでくださいませ!」
反射的にナイフを突き出す――その動きすら、どこか優雅だった。フェンシングの基本姿勢を取るような、流れるような動作。
刃先がスライムの中央を突き抜け、きらりと光が弾けた。
『スライムを撃破しました。経験値+5/スライムゼリーを獲得しました』
「……まあ。これが勝利、というものですの?」
あっけなく終わった初戦闘に、私は少し拍子抜けしていた。
足元を見ると、小さな銀色のアイテムが淡い光を放っていた。拾い上げてみると、手のひらに収まるほどの小さなゼリー状の物体。
「スライムゼリー……なんて素敵な名前。この手触り、この艶……」
味覚判定スキルが自動的に発動し、素材の情報が頭の中に流れ込んできた。
『品質:良好 鮮度:最高 風味:淡白だが上品 調理適性:要処理』
「調理適性が『要処理』……つまり、このままでは料理に使えないということですのね」
興味深い発見だった。ただ拾っただけでは、まだ「素材」ではない。何らかの処理が必要らしい。
「なるほど……奥が深いシステムですわ」
私は丁寧にゼリーをアイテム袋にしまい、ナイフを所定の位置に戻した。
「チュートリアル完了です。お疲れ様でした。これで基本的な操作は習得されましたので、自由に冒険をお楽しみください」
「ありがとうございました。とても勉強になりましたわ」
私は受付嬢に深々と一礼し、訓練場を後にした。
歩きながら、先ほど手に入れたスライムゼリーのことを考える。この素材をどう処理すれば料理に使えるのか。そして、どんな味になるのか。
「まずは情報収集から始めましょう。きっと、街のどこかに料理に関する施設があるはず……」
私は優雅な足取りで街へと向かった。新しい世界での、新しい挑戦が始まろうとしていた。
陽光が頬を照らし、潮風が髪を揺らす。この美しい仮想世界で、私はどんな味に出会えるのだろうか。
期待に胸を膨らませながら、私は石畳の道を歩き続けた。
【アルネペディア】
・味覚判定Lv.1:料理人系職業の初期スキル。通常の評価表示に加え、素材の風味や状態を"感覚的に理解"する補助が働く。上位スキルに派生することで、鑑定や合成精度に影響を与える。
・スライムゼリー:初心者モンスター〈スライム〉のドロップ素材。ぷるぷるとした寒天状で、低級料理や合成素材として重宝されるが、未回収の場合は30秒以内に自動消滅する。
・スライム:初心者向けの弱いモンスター。HP15、攻撃力2程度。経験値とお金を少量ドロップする。半透明な緑色の身体を持ち、中央に核を有する。