第16話〈三つ星の評価をいただきましたわ〉
「海神祭〜第一回アルネシア海陸料理交流祭〜料理部門を開始いたします!」
荘厳な合図と共に、ついに調理が始まった。
「うおおおお!始まったぞ!」
「マーメイドの皆さん、頑張って!」
「セレーナ様、美しすぎます!」
見学席からは男性プレイヤーたちの熱狂的な声援が響く。彼らの目線は明らかに料理よりもマーメイドたちに向けられていた。
私は深く息を吸い、心を落ち着けた。周囲では50人の料理人たちが一斉に動き出している。鍋やフライパンの音、食材を刻む音、指示を出し合う声——海中とは思えないほど活気に満ちた光景だった。
しかし、私は慌てることなく、まず材料の最終確認から始めた。
「ミオさん、深海小麦粉の状態はいかがですか?」
「完璧です、ミレイ様。湿気も温度も理想的な状態を保っています」
私は味覚判定スキルで一つ一つの材料を確認していく。深海小麦粉は青みがかった美しい色合いを保ち、海鳥の卵は新鮮そのもの。深海油脂は透明感があり、まるで液体ダイヤモンドのように輝いている。
「素晴らしい状態ですわ。では、始めましょう」
まず、深海小麦粉と海鳥の卵、深海油脂を丁寧に混合する作業から。この工程は、これまでの失敗で完璧に身についていた。
分量は深海小麦粉100グラムに対し、海鳥の卵2個、深海油脂50ミリリットル。混合の順序も重要で、まず卵と油脂をよく混ぜ合わせてから、少しずつ小麦粉を加えていく。
「温度管理も重要ですわね」
海中では気温の概念が曖昧だが、水温によって材料の反応が変わる。私は魔導石で周囲の水温を一定に保ちながら作業を進めた。
次に、最も重要な工程——「潮の満ち引き」のリズムでの撹拌。
古代レシピに記された神秘的な表現だが、実際には一定のリズムで生地を撹拌することを指している。急がず、慌てず、波のように滑らかに。
私は目を閉じ、実際の潮の音を思い浮かべながら、ゆっくりと撹拌を続けた。
「満ちて……引いて……満ちて……引いて……」
その規則正しいリズムに、ミオも自然と合わせて動いてくれる。まるで海そのものと一体になったような、神聖な時間だった。
15分後、生地は理想的な状態になった。滑らかで艶があり、適度な粘度を保っている。
「ここからが勝負ですわね」
いよいよ、『深海の息吹』——完全な暗闇での膨張工程。
私は月影の遮光布を取り出した。深い藍色の布地は、海中でも不思議な存在感を放っている。
「おお、あのお嬢様、何か神秘的なことを始めるぞ!」
「あの布、すごく高級そう!」
「ミレイ様の料理、期待してます!」
男性プレイヤーたちの興味が一瞬こちらに向けられたが、すぐにマーメイドたちの優雅な泳ぎに視線が戻っていく。
「ミオさん、周囲に人がいないか確認してくださいますか?」
「はい……大丈夫です。他の料理人の方々は皆、ご自分の作業に集中していらっしゃいます」
私は生地の入った型を調理台の中央に置き、月影の遮光布で調理スペース全体を覆った。
瞬間、世界が完全な暗闇に包まれた。
視界はゼロ。聞こえるのは自分の心音と、わずかな水流の音だけ。しかし、不思議と恐怖は感じなかった。むしろ、深海の神秘に包まれているような、神聖な気持ちになる。
「さあ、深海小麦よ……あなたの真の力を見せてくださいな」
暗闇の中で、私は生地の変化を手の感覚だけで確認していく。最初は何の変化もなかった。しかし、5分ほど経った時——
「あら……温かくなってきましたわ」
生地がわずかに温度を上げ始めた。そして、ゆっくりと膨張を始める。
10分後、遮光布の一角をそっとめくって確認してみると——
「成功ですわ!」
生地は美しく膨らみ、理想的なエクレアの形を保っていた。表面は滑らかで、完璧な黄金色。まさに教科書通りの仕上がりだった。
私は興奮を抑えながら、遮光布を完全に取り払った。
「ミレイ様、やりましたね!」
ミオも嬉しそうに小声で言った。確かに、これまでの失敗を思えば、まさに奇跡的な成功だった。
続いて、クリーム作りに取りかかる。
潮返りのゼラチンを温水で溶かし、アクアベリーの果汁と混合する。シーティーエキスも少量加えて、海の風味をプラス。最後に、海の恵みの指輪の効果を活かしながら、適切な固さに仕上げていく。
クリームの色合いは美しい青緑色。まるで海の深みをそのまま表現したような、神秘的な輝きがあった。
「香りも完璧ですわね」
海とフルーツが調和した、上品で複雑な香り。これなら、古代の味を現代に再現できているはずだ。
最後に、エクレア生地にクリームを注入する。この作業も慎重に、生地を傷つけないよう丁寧に行った。
そして、ついに——
完成した潮騒のエクレアは、私たちの予想以上の美しさだった。
表面は真珠のような光沢を放ち、内部のクリームが透けて見える神秘的な青緑色。そして何より驚いたのは——
「本当に光っていますわ……」
「うわあああ!光ってる!光ってる!」
「すげぇ!魔法の料理だ!」
「ミレイ様、さすがです!」
見学席の男性陣が大興奮している。光る料理という珍しい現象に、一時的に注意がマーメイドから逸れたらしい。
エクレアが微かに発光している。まるで深海の生物のような、幻想的な輝き。きっと、古代の魔法的な要素が現代に蘇ったのだろう。
『料理完成:潮騒のエクレア(古代復刻版)』
『等級:A+ 効果:全能力+8%、海洋親和性+30%、神聖加護(90分) 特殊:海の祝福』
「A+等級……練習なしの一発勝負としては、上出来ですわ」
私は深い満足感を味わった。S等級には届かなかったが、これだけの困難を乗り越えての成功は、十分誇れるものだった。
周囲を見回すと、他の料理人たちもそれぞれ個性的な料理を完成させている。海藻を使ったパスタ、魚介のリゾット、海の幸のテリーヌ——どれも美味しそうだった。
「制限時間終了! 皆様、お疲れ様でした!」
合図と共に、調理時間が終了した。私は安堵の息を吐いた。
* * *
審査の時間が始まった。
審査員は5名。マーメイド族の長老3名と、特別審査員として招かれたNPCグルメ評論家2名。どの方も、料理界では非常に権威のある存在だった。
特に注目すべきは、白い髭を蓄えた威厳のある老紳士——アルネシア料理協会会長のガストン氏だった。彼の評価は、料理人にとって最高の栄誉とされている。
審査は厳粛に進められた。審査員たちは一つ一つの料理を丁寧に検分し、味わい、評価していく。
私の順番が来た時、審査員たちの表情が変わった。
「あの美しいエクレアが審査されるぞ!」
「ミレイ様、頑張って!」
「でも、審査中のマーメイドの皆さんも素敵だなあ……」
男性陣の声援が響く中、マーメイド族の長老の一人が感嘆した。
「これは……見事な復刻作品ですね」
マーメイド族の長老の一人が感嘆している。
「潮騒のエクレア……確かに古代の文献で読んだことがあります。しかし、実際に作れる人がいるとは……」
ガストン氏が慎重にエクレアを一口味わった。その表情が、驚きから感動へと変わっていく。
「素晴らしい……これは間違いなく、三つ星の評価に値します」
会場がざわめいた。三つ星評価は、ガストン氏が与える最高の栄誉。年に数回しか出ることのない、極めて稀少な評価だった。
「三つ星だって!?」
「すげぇ!ミレイ様、すげぇよ!」
「やっぱりお嬢様は違うな!」
「でも俺はパール様の笑顔の方が三つ星だぜ!」
「それな!アクアマリン様の髪、キラキラしてる!」
男性陣の興奮は料理の評価とマーメイドの美しさで二分されていた。
「技術、味、そして何より——古代と現代を繋ぐ文化的意義。すべてにおいて最高水準です」
私は感動で胸がいっぱいになった。これまでの努力が、ついに認められた瞬間だった。
「ありがとうございます……」
声が震えそうになるのを必死に抑えた。
審査結果の発表が行われた。
「第一回アルネシア海陸料理交流祭、最優秀賞は——ミレイ=サクラノミヤ様の『潮騒のエクレア(古代復刻版)』です!」
会場から大きな拍手が起こった。見学者たちも立ち上がって称賛してくれる。
「ミレイ様、最優秀賞おめでとう!」
「さすがお嬢様!」
「俺たちの代表だ!」
「でもセレーナ様の拍手も素敵すぎる!」
「マーメイドの皆さんが微笑んでる!やばい、やばい!」
男性陣の歓声が神殿中に響き渡る。
「やったね、お姉さま!」
見学席からカレンヌの声援が聞こえた。妹の嬉しそうな顔が見えて、私も自然と笑みがこぼれた。
表彰式では、大長老オーシャニアから美しい珊瑚のトロフィーを授与された。
「おおおお!大長老様が直接授与してる!」
「ミレイ様、すげぇ栄誉だぞ!」
「あの珊瑚のトロフィー、めちゃくちゃ豪華!」
「大長老様も美人だなあ……」
「マーメイド族の皆様、全員美しすぎる!」
相変わらず男性陣の関心は多方面に分散していた。
「ミレイ様、本当にありがとうございました。この祭典は大成功です」
「こちらこそ、貴重な機会をいただいて」
その後、海神への奉納式が行われた。私の潮騒のエクレアは、古代の海神像の前に丁重に供えられた。
神殿の奥で静寂の中、エクレアが淡い光を放ち続ける姿は、まるで本当に神々への捧げ物のようだった。
祭典の最後に、セレーナが重要な発表をした。
「この海神祭の大成功を受けて、セラフィア港湾管理委員会から正式な提案があります」
「セレーナ様の発表!」
「何の発表だ?」
「静かにしろよ、聞こえないだろ!」
「でもセレーナ様の声、天使みたい……」
男性陣がざわつく中、私は緊張して聞いていた。
「ミレイ様に『名誉料理顧問』の称号と、専用の料理工房の提供を申し出させていただきたく」
会場から再び拍手が起こった。
「『ミレイ亭』という看板も用意してございます。移動式ではなく、固定式の高級料理店として運営していただければと」
私は驚いた。まさか、ここまで大きな話になるとは。
「ただし」とセレーナが微笑んだ。
「完全予約制、一日三組限定という条件でお願いいたします。ミレイ様のご負担にならないよう配慮させていただきました」
私は少し考えた後、答えた。
「お受けいたします。ただし、素材鑑定会も継続させていただきたく」
「もちろんです。むしろ、それも含めてのご提案です」
こうして、私は正式に「料理界の重鎮」としての地位を確立することになった。
* * *
夕方、海神祭を終えて港に戻る時、私は深い満足感に包まれていた。
古代のレシピの復活、三つ星評価、最優秀賞受賞、そして新しい拠点の獲得。何より、多くの人々との出会いと交流。この一日だけで、私の料理人人生は大きく変わった。
「お姉さま、本当におめでとうございます」
カレンヌが嬉しそうに言った。
「あなたのおかげですわ。月影の遮光布がなければ、成功はありませんでした」
「私も微力ながらお手伝いできて、光栄でした」
ミオも満足そうだ。
「これからは『ミレイ亭』の女主人として、さらに頑張らないといけませんわね」
「きっと、素晴らしいお店になります」
私たちは夕陽に染まる海を眺めながら、新しい章の始まりを感じていた。
料理人ミレイの名前は、今やアルネシア全土に知れ渡った。しかし、これは終わりではなく、新たな始まりに過ぎない。
明日からは、「ミレイ亭」の準備が始まる。どんな素晴らしい料理を提供できるか、今から楽しみで仕方がない。
古代と現代、海と陸、そして多くの人々の想いが一つになった、特別な一日。
この記憶を胸に、私はさらなる高みを目指していこう。
【アルネペディア】
・ガストン:アルネシア料理協会会長を務めるNPCグルメ評論家。白い髭を蓄えた威厳のある老紳士で、彼の三つ星評価は料理人にとって最高の栄誉とされる。厳格な評価基準で知られる。
・ミレイ亭:海神祭の成功を受けてセラフィア港に設置されるミレイ専用の高級料理店。完全予約制、一日三組限定の特別な店舗として運営される予定。
・名誉料理顧問:セラフィア港湾管理委員会から与えられるミレイの正式な称号。料理界における重要な地位として認定された証で、専用工房の提供も含まれる。
・海の祝福:潮騒のエクレア(古代復刻版)に付与される特殊効果。古代の魔法的要素が現代に蘇り、海洋系能力の向上と神聖な守護を受けることができる。




