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第15話〈海神祭、ついに開幕ですわ〉

 

 満月の夜が明け、ついに海神祭当日の朝を迎えた。


 私は調理室で、カレンヌが月夜の市から持ち帰ってくれた「月影の遮光布」を手に取っていた。深い藍色の布地は、触れただけで特別な質感が伝わってくる。まるで夜空そのものを織り込んだような、不思議な重みがあった。


「この布には、確かに光を完全に遮断する力が宿っていますわね」


 指先で布を撫でると、微かに冷たい感触がある。古代フェルーナ族の秘宝というだけあって、ただの布ではない特別な魔力を感じた。


「お姉さま、本当に大丈夫でしょうか……」


 カレンヌが心配そうに見つめている。昨夜、月夜の市から戻った妹は、興奮と緊張で一睡もできなかったらしい。目の下には薄っすらとクマができている。


「大丈夫ですわ。あなたのおかげで、必要なものはすべて揃いました」


 私はミオと共に、最後の材料確認を行った。深海小麦粉――通常の小麦粉より青みがかった、神秘的な色合いの粉。海鳥の卵――一般的な鶏卵の倍ほどの大きさで、殻には真珠のような光沢がある。深海油脂――まるで液体の宝石のように輝く、透明感のある油分。


 そしてクリーム用の潮返りのゼラチンとアクアベリー。ゼラチンは昨日より更に透明度を増し、アクアベリーは完熟の甘い香りを放っている。


「素材の状態は完璧ですわね」


 私は味覚判定スキルで一つ一つ確認していく。どれも最高品質を保っている。これ以上の材料は望めないだろう。


「ミレイ様、調理器具の最終点検も完了いたしました」


 ミオが丁寧に準備してくれた道具類も確認する。海中用の特殊な泡立て器、圧力調整機能付きの型、そして温度管理用の魔導石。すべてが海神祭のために特別に用意されたものだった。


「では、身支度を整えて、人魚の大神殿へ向かいましょうか」


 私は特別な日のために用意していた、白いドレスに身を包んだ。シンプルながらも品格のある装いで、海中でも優雅さを保てるデザイン。ミオも清楚な水色のワンピースを着て、いつもより気合が入っている。


「それでは参りましょう。歴史に残る一日の始まりですわ」


 *           *           *


 セラフィア港は、朝から異常な賑わいを見せていた。


 海神祭に参加するプレイヤーたちが続々と集まり、港全体がお祭りムードに包まれている。屋台が立ち並び、記念品を売る商人たちの声が響く。


「マーメイドに会えるぞ!」

「本物の人魚だ!夢じゃないよな!?」

「俺、セレーナ様にサインもらうんだ!」

「パール様の髪、絶対触らせてもらう!」


 明らかに興奮した男性プレイヤーたちの声が港中に響いている。


「うわぁ……こんなに大勢の方が……」


 ミオが驚いている。確かに、これほど多くのプレイヤーが一箇所に集まっているのは、サーバー開設以来初めてかもしれない。


「やはり、マーメイドとの交流が目的の方も多いようですわね」


 明らかに料理に興味のなさそうな、武装した男性プレイヤーたちが大勢いる。彼らの装備は完璧だが、調理道具は一切持っていない。代わりに持っているのは――


「写真撮影用のクリスタル、準備OK!」

「俺は動画記録の魔導石持ってきた!」

「マーメイドとのツーショット、絶対撮るぞ!」


 目的は明白だった。


「あ、ミレイ様だ!」

「本物のミレイ様よ!」

「頑張ってください!」


 私たちの姿を認めたプレイヤーたちから、次々と声援が飛ぶ。素材鑑定会で顔を覚えてくれた人々だ。


「皆様、ありがとうございます」


 私は丁寧に一礼した。こうした応援があることで、緊張が少し和らいだ。


 港の桟橋では、参加者の受付が行われていた。料理人だけでなく、見学者の登録も受け付けているらしい。長蛇の列ができている。


「ミレイ様、こちらです」


 セレーナが私たちを別の桟橋に案内してくれた。特別参加者用の専用ルートだった。


「特別扱いをしていただいて、恐縮ですわ」


「地上料理人代表ですもの。当然の配慮です」


 セレーナと共に海に入ると、海の恵みの指輪の効果で自然に水中呼吸ができるようになる。この感覚にも、すっかり慣れた。


 水中を泳いでいく途中、ミオが何かに気づいたような表情を見せた。


「あ……」


 ミオが遠くの人混みを見つめている。しかし、すぐに首を振った。


「どうなさいましたの?」


「いえ、なんでもないです……見間違いでした」


 ミオは少し困ったような表情を浮かべていたが、それ以上は何も言わなかった。きっと知り合いと似た人を見かけたのだろう。


 *           *           *


 人魚の大神殿の壮大さは、想像を遥かに超えるものだった。


 海底に聳え立つ古代建築は、まさに神々の住まいに相応しい荘厳さ。高さは優に50メートルを超え、無数の尖塔が海面に向かって伸びている。外壁は白い大理石と青い宝石で装飾されており、海の光を受けて神秘的に輝いていた。


「うおおおお!すげぇ建物だ!」

「これが人魚の神殿かよ!」

「写真撮りまくるぞ!」

「でも、マーメイドはまだかな……?」


 男性陣の興奮は建物の美しさよりも、これから出会えるマーメイドへの期待に向けられていた。


 正面の大扉は巨大な真珠で作られており、その両脇には人魚の石像が優雅に佇んでいる。扉の上部には古代文字で何かが刻まれているが、その意味は分からない。きっと海神への祈りの言葉なのだろう。


「まあ……なんて美しい……」


 私は思わず息を呑んだ。これが古代海洋文明の技術の粋を集めた建造物。数千年の時を経てもなお、その美しさは少しも色褪せていない。


 神殿の内部は更に圧巻だった。


 天井は見上げるほど高く、そこには海の生物たちの美しい彫刻が施されている。クジラ、イルカ、そして様々な魚たち。まるで本物が泳いでいるかのような躍動感があった。


 床は磨き上げられた青い石材で、歩くたびに足音が神聖に響く。壁面には古代の壁画が描かれており、海神の偉業や海洋文明の栄光が表現されている。


 そして、参加者の多さに改めて驚かされた。


「うわあ……すごい人数……」


 ミオが息を呑んでいる。神殿の中央広場には、軽く200人は超える参加者が集まっていた。


 料理人らしき装いの者が約50人。残りは明らかに見学目的のプレイヤーたち。特に男性の参加者が目立つ。


 そして、ついにマーメイドたちが姿を現すと――


「きたああああああ!」

「マーメイドだ!本物のマーメイドだ!」

「美しすぎる!天使か!」

「セレーナ様ああああ!」

「パール様、こっち向いて!」

「アクアマリン様の笑顔が眩しい!」


 男性陣の歓声が神殿中に響き渡った。


「やはり、美しいマーメイドとの交流が主目的の方も多いようですわね」


 私は苦笑した。確かに、マーメイドたちの美しさは神話級。真珠のような肌、絹のような髪、そして優雅な尾びれ。男性プレイヤーが夢中になるのも無理はない。


 マーメイドたちも慣れた様子で、見学者たちに愛想よく手を振ったり、一緒に写真を撮ったりしている。


「セレーナ様が手を振ってくれた!」

「俺の方見てくれた!間違いない!」

「パール様と写真撮れた!一生の宝物だ!」

「みんな優しくて美人で最高すぎる!」


 この光景だけでも、海神祭は大成功と言えるだろう。


「地上の皆様、ようこそお越しくださいました」


 神殿の奥から、威厳に満ちた声が響いた。現れたのは一人の老齢のマーメイド。白い髭を蓄え、金の装身具を身につけた、明らかに高位の存在だった。


「大長老だ!」

「すげぇ威厳!」

「でも美人だな……」

「マーメイド族って、みんなこんなに美しいのか!」


 男性陣は大長老の威厳に一瞬静まったが、すぐに興奮を取り戻した。


「私はマーメイド族の大長老、オーシャニアです。本日は歴史的な海神祭にご参加いただき、心より感謝申し上げます」


 参加者たちからは自然と拍手が起こった。


「古来より我々は古代の海神に感謝を捧げ、海の恵みを讃える祭りを行ってまいりました。しかし今年は特別です。古代海洋神殿の解放を記念し、初めて地上の方々をお招きいたします」


 オーシャニアの言葉に、会場全体が静寂に包まれた。この瞬間の重要性を、全員が理解している。


「本日の祭典では、海と陸の料理文化が融合した、全く新しい美味の世界を皆様にお見せしたいと思います。そして、その架け橋となってくださるのが――」


 大長老の視線が私に向けられた。


「地上料理人代表、ミレイ=サクラノミヤ様です」


 会場から大きな拍手が起こった。


「ミレイ様だ!」

「あのお嬢様、めちゃくちゃ上品!」

「でも俺はやっぱりマーメイドが……」

「両方美人だからいいじゃん!」


 男性陣の関心は相変わらず分散していた。


 私は緊張しながらも、丁寧に一礼した。


「光栄です。必ずや、皆様にご満足いただける料理をお見せいたします」


 私の言葉に、更に大きな拍手が響いた。


 続いて、調理会場の説明が行われた。


「料理人の皆様には、神殿内に設置された特別調理場をご利用いただきます。海中での調理に最適化された設備をご用意いたしました」


 見ると、神殿の一角に美しい調理スペースが設けられている。水中でも使える特殊な火口、圧力調整機能付きの調理台、そして温度管理システム。どれも最新の魔導技術を駆使したものだった。


「制限時間は2時間。海神様への奉納品として、皆様の最高傑作をお作りください」


 私は指定された調理台に向かった。最も神殿の奥、海神像に最も近い特等席だった。これも地上料理人代表としての特別待遇らしい。


「ミレイ様、頑張って!」


 見学席からカレンヌの声援が聞こえた。妹の応援が、私の心を温かくしてくれる。


「準備時間は15分です。各自、材料と道具の最終確認を行ってください」


 私は深呼吸した。いよいよ、人生最大の挑戦が始まる。


 古代のレシピ、現代の技術、そして仲間たちの支え。すべてが一つになって、この瞬間を迎えた。


「ミオさん、一緒に頑張りましょう」


「はい、ミレイ様!」


 私たちは最後の準備を整えながら、開始の合図を待った。


 神殿内には緊張と期待が満ちている。200人を超える参加者と見学者が、固唾を呑んで見守っている。


 古代の海神像も、静かに私たちを見下ろしているようだった。


 そして、ついに――


「海神祭〜第一回アルネシア海陸料理交流祭〜料理部門を開始いたします!」


 荘厳な音楽と共に、祭典が始まった。


「始まったぞ!」

「ミレイ様、頑張れ!」

「マーメイドの皆さんも見守ってくれてる!」

「セレーナ様の応援の笑顔、天使すぎる!」

「俺たちも負けずに応援するぞ!」


 男性陣の熱狂的な声援が神殿に響き渡る中、歴史的な料理祭典が幕を開けた。

【アルネペディア】

・オーシャニア:マーメイド族の大長老。海神祭を統括する最高位の存在で、古代からの伝統と知識を受け継ぐ。白い髭と金の装身具が威厳を表している。


・人魚の大神殿:古代海洋文明が建造した海底神殿。高さ50メートルを超える巨大建築で、白い大理石と青い宝石で装飾されている。海神ポセイドンを祀る神聖な場所。


・古代の海神像:人魚の大神殿の奥に安置されている古代海洋文明の神々の巨大な石像。参加者たちを静かに見守る神聖なシンボル。

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