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第14話〈古代のレシピ、現代の技〉

 

 海神祭まで、あと二日。


 私とミオは、人魚の大神殿で披露する最後の一品――「潮騒のエクレア」の完成に向けて、最終調整を行っていた。


「ミレイ様、やはり難しいですね……」


 ミオが困った表情で、崩れかけたエクレア生地を見つめている。これで今日だけで七回目の失敗だった。


「古代のレシピですもの。簡単にはいきませんわ」


 私も正直、予想以上の困難に直面していた。


 パールから教わった「潮騒のエクレア」のレシピは、確かに古代海洋文明の叡智が込められた素晴らしいものだった。しかし、現代の技術でそれを再現することは、想像を絶する挑戦だったのだ。


「問題は生地の膨張ですわね……」


 私は失敗作を詳しく分析した。エクレア生地は通常、高温で一気に膨らませるものだが、海中では火が使えない。古代レシピには代替手法が記されているはずなのだが――


 私は古代レシピ書を再度読み返した。そこには、現代では理解しがたい専門用語や、失われた技術への言及が数多く記されている。


『深海の息吹を纏いし時、泡沫は天へと舞い踊る』

『潮の満ち引きと共に、生地は生命を宿す』

『海神の恵みを受けし時、菓子は永遠の輝きを得ん』


「詩的な表現ばかりで、具体的な手順が分からないのが困りものですわね」


「『深海の息吹』って、一体何のことなんでしょう……」


 ミオも首をひねっている。私たちは様々な解釈を試してみた。温度変化、湿度調整、特殊な撹拌方法――しかし、どれも思うような結果にならない。


「もう一度、基本的な工程を確認してみましょう」


「はい……」


 深海小麦粉と海鳥の卵、深海油脂を丁寧に混合する。古代レシピに従い、「潮の満ち引き」のリズムで撹拌していく。しかし、肝心の膨張工程で必ず失敗してしまう。


「うーん……やはり何かが足りませんわね」


 その時、調理室の扉がノックされた。


「お姉さま、失礼いたします」


 現れたのは妹のカレンヌだった。いつもの快活な表情とは少し違い、どこか複雑な表情を浮かべている。


「あら、カレンヌ。どうなさいましたの?」


「その……お姉さまがお忙しそうで、なかなかお話しする機会がございませんでしたので……」


 カレンヌはちらりとミオの方を見た。そこには、わずかだが嫉妬に似た感情が見え隠れしている。


「最近、ミオさんとばかりご一緒で……わたくしは蚊帳の外ですのね」


「まあ、カレンヌ……」


 私は妹の気持ちを理解した。確かに、ここ数日はミオと料理の準備に追われ、妹との時間を取れていなかった。


「申し訳ございませんでした。でも、あなたも大切な妹ですもの。決して蚊帳の外ではございませんわ」


「……本当ですの?」


「ええ。それに、今こうして困っているときに来てくださったのも、何かのご縁かもしれませんわね」


 私は失敗したエクレア生地を見せながら説明した。


「古代のレシピの『深海の息吹』という表現が理解できなくて、七回も失敗してしまいましたの」


 カレンヌは興味深そうにレシピ書を覗き込んだ。


「『深海の息吹を纏いし時』……深海といえば、光が届かない場所ですわよね」


「ええ、そうですが……」


「もしかして、『深海の息吹』というのは、完全な暗闇のことではございませんの?」


 私とミオは顔を見合わせた。


「暗闇……ですって?」


「はい。深海小麦という特殊な素材でしたら、光のない環境でこそ本来の力を発揮するのかもしれませんわ」


 カレンヌの推理は、確かに理にかなっていた。深海で育った植物なら、暗闇の中で特殊な性質を示すことがあってもおかしくない。


「それは……目から鱗の発想ですわ」


「でも、完全な暗闇を作るには……」


 ミオが困ったような表情を見せた時、カレンヌが微笑んだ。


「それでしたら、『月影の遮光布』はいかがでしょう?」


「月影の遮光布?」


「フェルーナ専用の月夜の市で扱っている特殊な布ですの。どんな光も完全に遮断する、古代フェルーナ族の秘宝ですわ」


 私は興奮した。それこそが、私たちに必要なものかもしれない。


「それは素晴らしい! いつ手に入るのでしょうか?」


「次の月夜の市は……明日の満月の夜ですわ」


 しかし、カレンヌの表情が曇った。


「でも、海神祭は最も潮位が高くなる大潮の二日目――つまり明後日の朝からでしたわよね?」


 私たちは愕然とした。月夜の市で遮光布を手に入れるのは満月の夜。海神祭は満月の翌朝。


「つまり……練習なしの一発勝負ということですのね」


「はい……申し訳ございません、もっと早くお伝えできていれば……」


 カレンヌが申し訳なさそうに俯く。私は妹の肩を優しく抱いた。


「いえいえ、あなたのおかげで解決の糸口が見つかりましたわ。感謝していますの」


「でも、練習なしで本番なんて……」


 ミオが不安そうに呟く。私は決然と答えた。


「やるしかございません。これまでの失敗で、基本的な工程は完璧に覚えました。あとは『深海の息吹』――完全な暗闇での仕上げだけです」


「お姉さま……」


「カレンヌ、明日の夜、月夜の市で遮光布を手に入れてくださいますか?」


「もちろんですわ! お姉さまのお役に立てるなんて、光栄ですもの」


 妹の顔が明るくなった。嫉妬心は消え、姉を支えたいという純粋な想いに変わっている。


「それでは、明日は歴史的な一日になりそうですわね」


 私は窓の外の海を眺めた。満月の夜に遮光布を手に入れ、その翌朝、ぶっつけ本番で古代のレシピに挑戦する。


「一発勝負……燃えますわね」


 ミオも緊張の中に興奮を見せている。


「きっと成功します。お姉さまとミオさんなら、絶対に」


 カレンヌの励ましの言葉が、私たちに勇気を与えてくれた。


 古代と現代、姉妹の絆、そして仲間との協力。すべてが一つになって、明日の挑戦を支えてくれる。


「では、今夜は早く休んで、明日に備えましょう」


 私たちは手を取り合った。練習なしの一発勝負という極限の状況が、かえって私たちの結束を強めてくれた。


 明日、海神祭の舞台で、私たちは古代の味を現代に蘇らせる。その瞬間を、心から楽しみにしていた。

【アルネペディア】

・月影の遮光布:フェルーナ専用の月夜の市で扱われる特殊な布。古代フェルーナ族の秘宝で、どんな光も完全に遮断する効果を持つ。深海小麦の特性を引き出すのに必要不可欠。


・深海の息吹:古代海洋文明のレシピに記された詩的表現。「完全な暗闇」を意味し、深海小麦が本来の力を発揮するための必須条件。光を完全に遮断した環境で初めて生地が美しく膨張する。


・月夜の市:フェルーナ専用の特殊市場。満月の夜のみ開催され、霊尾具や幻素材など、フェルーナ族にしか扱えない貴重なアイテムが取引される。

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