第12話〈マーメイドとアフタヌーンティーを〉
海神祭の開催まで、あと三日。
私とミオは、人魚の大神殿で開催される史上初の海陸料理交流祭に向けて、連日準備に追われていた。
「ミレイ様、本当にこれで大丈夫でしょうか……」
ミオが不安そうに呟きながら、試作品のリストを眺めている。この数日間で、私たちは海中料理という全く新しい分野に挑戦し続けていた。
「大丈夫ですわ。基本は陸上の料理と同じです。ただ、環境が違うだけ」
そう言いながらも、私自身、内心では緊張していた。火が使えない、圧力が違う、食材の反応も予測しにくい。海中料理は想像以上に困難な挑戦だった。
その時、調理室の窓の外で青い光がきらめいた。
「あら、セレーナさんですわね」
窓の外の海面に、美しいマーメイドの姿が見える。セレーナが私たちを呼んでいるようだった。
私たちは港へ向かい、海辺でセレーナと合流した。
「お疲れ様です、お二人とも。準備の調子はいかがですか?」
「何とか形になってきておりますが……やはり海中での料理は難しいものですわね」
私は正直に答えた。
「それでしたら、少し息抜きをしませんか?」
セレーナが微笑んだ。
「実は、私たちマーメイド族の文化をもう少し知っていただこうと思いまして。『海中茶会』の体験はいかがでしょう?」
「海中茶会?」
「ええ。海神祭ほど大規模ではありませんが、私たちの日常的な文化交流の一つです。小規模でアットホームな集まりですの」
私とミオは顔を見合わせた。確かに、息抜きも必要だし、マーメイド族の文化を理解することは海神祭の成功にも繋がる。
「ぜひ、参加させていただきたいですわ」
こうして、私たちは生まれて初めての「海中茶会」に参加することになった。
* * *
人魚の庭園は、想像を絶する美しさだった。
色とりどりの珊瑚が天然のテーブルを形成し、柔らかな海藻がカーテンのように揺れている。そして何より驚いたのは――
「まあ、本当にお茶を淹れていらっしゃる……」
マーメイドたちが、海中で優雅にティーセットを扱っているのだ。
「こちらは『シーティー』と呼ばれる、私たちの伝統的な飲み物です」
セレーナが説明してくれた。美しいガラスのカップに注がれた液体は、薄い青緑色で、まるで海そのものの色をしている。
「海藻と深海ミネラルから抽出した、栄養豊富な飲み物です。陸上の紅茶に相当するものと考えていただければ」
私は恐る恐くシーティーを口にした。
――瞬間、海の深みを感じる複雑な味が口の中に広がった。
「これは……素晴らしいですわ」
最初に感じるのは海藻特有の旨味、続いて深海ミネラルの爽やかな後味。そして最後に、ほのかな甘みが残る。
「陸上の紅茶とは全く異なりますが、とても上品で奥深い味ですわね」
「ありがとうございます。この味を気に入っていただけて光栄です」
セレーナが嬉しそうに微笑んだ。
茶会には、他にも数人のマーメイドが参加していた。皆、私たちに興味深そうな視線を向けている。
「地上の方の料理について、色々お聞きしたいことがあるのです」
年配のマーメイド――アクアマリンという名前――が話しかけてきた。
「私たちは海の恵みしか知りませんが、陸上には『火』という不思議な力があると聞いています」
「ええ、火を使うことで食材の味や食感を大きく変化させることができます」
私は火を使った調理法について説明した。焼く、煮る、蒸す、揚げる――海中では不可能な技術の数々。
「興味深い……それでは、私たちの調理法もお教えしましょう」
アクアマリンが示してくれたのは、圧力と海流を利用した独特の調理法だった。
「深海の圧力で食材を圧縮し、海流の力で混合する。そして、特殊な海藻の酵素で発酵させるのです」
「まあ……それは高度な技術ですわね」
私は感嘆した。火を使えない代わりに、海の環境を最大限に活用した料理法。これは陸上では絶対に真似できない技術だ。
「海神祭では、このような技術を地上の方々にもご紹介したいと思っているのです」
セレーナが説明した。
「そして、地上の技術と私たちの技術を融合させた、全く新しい料理を創造したいのです」
「それは素晴らしい構想ですわ」
私は興奮を抑えきれなかった。異なる環境で発達した二つの料理文化の融合。これは料理史上、前例のない試みだ。
茶会が進むうちに、私たちはマーメイドたちと深い交流を築くことができた。彼女たちの料理に対する情熱、海への深い愛情、そして地上文化への純粋な好奇心。
「あの……」
若いマーメイド――パールという名前――が恥ずかしそうに話しかけてきた。
「もしよろしければ、私たちの伝統料理『潮騒のエクレア』のレシピをお教えしたいのですが……」
「潮騒のエクレア?」
「古代から伝わる、海神様への奉納料理です。ただし、作るのが非常に難しく……」
パールの説明によると、潮騒のエクレアは古代海洋文明時代から伝わる神聖な料理で、特別な技術と材料を要求するという。
「通常は海神祭でしか作られませんが、今回は特別に……」
「ぜひ、お教えいただきたいですわ」
私は即座に返事した。古代のレシピ、それも神聖な意味を持つ料理。これ以上興味深いものはない。
こうして、海中茶会は思わぬ収穫をもたらしてくれた。
マーメイドたちとの文化交流、新しい調理技術の発見、そして古代レシピの伝授。
夕方、海面に上がって港に戻る時、私は深い満足感に包まれていた。
「今日は本当に貴重な体験でしたわね、ミオさん」
「はい! マーメイドの皆さん、とても親切で……そして、あの潮騒のエクレアのレシピ!」
ミオも興奮を隠せない様子だった。
「明日から、いよいよ本格的な準備に入りますわ。今日学んだ技術を活かして、必ず素晴らしい料理を完成させましょう」
私たちは手に手を取り合い、海神祭への決意を新たにした。
海と陸の架け橋となる料理。それを作るのは、もう夢ではなく、現実の目標となっていた。
【アルネペディア】
・シーティー:マーメイド族の伝統的な飲み物。海藻と深海ミネラルから抽出される。陸上の紅茶に相当する文化的位置づけを持つ。
・潮騒のエクレア:古代海洋文明から伝わるマーメイド族の神聖な料理。海神祭などの特別な機会にのみ作られる伝統的な奉納料理。製作には高度な技術を要する。
・アクアマリン:マーメイド族の年配の料理研究家。豊富な知識と経験を持ち、伝統的な海中調理法に精通している。
・パール:若いマーメイドの料理人。古代レシピの継承者として、潮騒のエクレアの作り方を知る数少ない存在の一人。




