第11話〈淑女、海へ参りますわ〉
セレーナとの出会いから三日後、私とミオは人生で初めて「海中探索」という冒険に挑むことになった。
「本当に大丈夫でしょうか、ミレイ様……」
ミオが不安そうに呟く。確かに、これまで陸上でしか活動してこなかった私たちにとって、海中での素材採取は未知の領域だった。
「案ずるより産むが易し、ですわ。それに……」
私は左手に嵌められた『海の恵みの指輪』を軽く見つめた。セレーナからいただいたこの美しい指輪は、単なるアクセサリーではない。
「ミオさんにも同じものを貸していただけましたものね」
ミオも自分の指輪を確認した。セレーナの計らいで、彼女にも一時的に海の恵みの指輪を借りることができたのだ。
『水中呼吸+60分、水中移動速度+20%、海洋生物友好度+15』
水中での活動を可能にする、貴重な魔法装備だった。
「セレーナさんも一緒ですし、きっと大丈夫ですわ」
港の桟橋の先端で、約束の時間にセレーナが現れた。陸上では人間に近い姿だったが、海に入ると本来の美しいマーメイドの姿になる。青い髪が水中で優雅に揺れ、尾びれが陽光に輝いて見える。
「準備はよろしいですか、お二人とも?」
「ええ、お願いいたします」
私とミオは恐る恐る海に足を踏み入れた。指輪の効果で、水中でも普通に呼吸ができる。それでも、初めての感覚に少し戸惑った。
「わあ……本当に息ができます!」
ミオが感動の声を上げる。私も同じ気持ちだった。
「最初は浅いところから始めましょう」
セレーナの案内で、港の近くの海底へと向かう。水深5メートルほどの場所には、色とりどりの海藻や珊瑚が広がっていた。
「まあ……なんて美しい世界でしょう」
陸上とはまったく異なる、幻想的な光景。魚たちが私の周りを泳ぎ回り、海藻が潮流に揺られてまるで踊っているようだった。
「こちらが『シーケルプ』です」
セレーナが指差した先には、美しい緑色の海藻が群生していた。
「陸上の野菜とは異なる栄養素を持ち、特に魔法回復に優れた効果があります」
私は慎重にシーケルプに近づいた。採取スキルを発動すると、海中でも問題なく機能する。
『シーケルプ:品質良好 特殊成分:マナエキス含有 調理適性:優良』
「素晴らしい素材ですわね」
私は丁寧にシーケルプを採取し、専用の保存袋に収めた。海中での作業は陸上とは勝手が違うが、指輪の効果と慎重な動作で問題なく進められる。
「あちらには『アクアベリー』があります」
次にセレーナが案内してくれたのは、小さな青い実をつけた海中植物だった。まるで陸上のブルーベリーのような見た目だが、水中で育つ不思議な果実。
「この実は、海の精霊の加護を受けた貴重なものです。滅多に市場には出回りません」
「それは貴重な機会をいただいて……」
私はアクアベリーを一粒味見してみた。口の中に広がるのは、さわやかな甘さと共に、海の深みを感じさせる複雑な風味。これは確実に、特別な料理に使える素材だ。
採取作業を続けていると、周囲の海洋生物たちが私に興味を示し始めた。色鮮やかな魚たちが近づいてきて、まるで挨拶をするように私の周りを泳いでいる。
「あら、人気者になられましたね」
セレーナが微笑んだ。
「海の恵みの指輪の効果もありますが、ミレイ様ご自身が持つ『素材への敬意』を、海の生き物たちも感じ取っているのでしょう」
確かに、魚たちは敵意を示すどころか、まるで協力してくれるかのような行動を取っている。時には、隠れた場所にある良質な海藻を教えてくれることもあった。
「これは……『動物交感』のような感覚でしょうか」
私は不思議な体験に驚いていた。陸上では感じたことのない、海洋生物との心の繋がり。
探索を続けるうち、私は新たなスキルの習得通知を受け取った。
『スキル習得:水中適応Lv.1 海洋採取Lv.1 海洋生物親和Lv.1』
「まあ、一度にこんなに……」
「素晴らしいことです」
とセレーナが言った。
「普通なら何週間もかかるスキルを、一日で習得されるなんて」
私は採取した素材を整理しながら、海中での新たな可能性を感じていた。シーケルプ、アクアベリー、さらには美しい貝殻や海洋ミネラルを含んだ塩まで、陸上では決して手に入らない貴重な素材ばかり。
「これらの素材で、どのような料理ができるでしょうか……」
頭の中で様々なレシピが浮かんでは消えていく。海の恵みを活かした新しいスイーツ、これまでにない食感と効果を持つ料理の数々。
「ミレイ様」
セレーナが私を呼んだ。
「実は、重大なお話があるのです。私たちマーメイド族には『海神祭』という伝統的な祭典があるのですが……」
「海神祭?」
「ええ。古来より海の恵みを称え、海神様に感謝を捧げる神聖な祭りです。しかし今年は特別でして……古代海洋神殿の解放を記念して、史上初めて地上の方との交流を試みることになったのです」
セレーナの表情が急に真剣になった。
「『海神祭〜第一回アルネシア海陸料理交流祭〜』として、海と陸の料理文化を融合させた前代未聞の祭典を開催いたします」
「まあ……それは壮大な企画ですわね」
「はい。マーメイド族の長老会議でも大きな話題となり、全海域に告知される予定です。おそらく、ワールドアナウンスでも発表されるでしょう」
私は息を呑んだ。ワールドアナウンス級のイベント。それも、史上初の海陸交流祭。
「そして……」
セレーナが少し恥ずかしそうに続けた。
「ミレイ様に、地上料理人代表として正式にご参加いただきたいのです。『潮返りのゼラチン』を完璧に調理し、『海の調べ』を奏でることができた唯一の方として」
「わたくしが、代表……?」
「ええ。海中での料理披露、審査員への献上、そして最終的には海神様への奉納料理を作っていただきます」
私の頭の中で、様々な思いが巡った。これは単なる料理イベントではない。種族を超えた文化交流の歴史的瞬間に立ち会うということだ。
「ただし」
とセレーナが付け加えた。
「海中での料理は特別な技術が必要です。火が使えない、気圧が違う、食材の反応も陸上とは異なります。さらに……」
彼女は少し困ったような表情を見せた。
「参加者は料理人だけではありません。この祭りの噂を聞きつけて、多くの冒険者の方々が参加を希望しているようで……特に男性の方が多数……」
「あら、それは……」
私も理由は察しがついた。美しいマーメイドたちとの交流機会。男性プレイヤーにとって、これ以上魅力的なイベントはないだろう。
「大丈夫です」
と私は微笑んだ。
「賑やかなのは嫌いではございません。むしろ、多くの方に海の料理を知っていただく良い機会ですわ」
セレーナの顔がぱっと明るくなった。
「本当ですか!それでは、来週の満月の夜、『人魚の大神殿』にて開催いたします。きっと、アルネシア史上最も華やかな祭典になるでしょう」
こうして、私は史上初の「海神祭〜第一回アルネシア海陸料理交流祭〜」に地上料理人代表として参加することになった。
水面に上がり、港に戻る頃には夕陽が海を赤く染めていた。今日一日で、私たちの料理の世界は大きく広がったが、それ以上に大きな責任を背負うことになった。
「今日は本当に貴重な体験でした!」
ミオが興奮気味に言った。彼女も私と同じスキルを習得し、海洋素材の採取を経験できた。
「ええ、でもそれ以上に大変なことになりましたわね」
私は今日の出来事を振り返った。海中探索、新しいスキル習得、そして何より――海神祭への正式招待。
「海神祭……しかも地上料理人代表って……私も一緒に参加できるのでしょうか?」
ミオが不安そうに尋ねる。
「もちろんですわ。わたくし一人では、とてもあの大舞台は務まりません。ミオさんと一緒だからこそ、挑戦できるのです」
「ワールドアナウンス級のイベントですわね。きっと大騒ぎになりますわ」
「でも、ミレイ様ならきっと素晴らしい料理を作ってくださいます!」
私は夕陽を眺めながら、新たな決意を胸に抱いた。
海という未知の世界が、私を大舞台へと導いている。そこには、これまで誰も味わったことのない美味が待っているかもしれない。
そして何より――アルネシア全土が注目する歴史的瞬間に、料理で貢献できるなんて。
明日からは、海神祭の準備に全力で取りかかろう。この挑戦が、私の料理人としての新しい伝説の始まりになるのだった。
【アルネペディア】
・海の恵みの指輪:マーメイド族から贈られる特別な装備品。水中呼吸、移動速度向上、海洋生物との友好度上昇などの効果を持つ。海洋探索には必須のアイテム。
・シーケルプ:海中に自生する特殊な海藻。マナエキスを含有し、魔法回復に優れた効果を持つ。陸上の野菜とは異なる栄養価を有する。
・アクアベリー:海中で育つ珍しい果実。海の精霊の加護を受けており、市場には滅多に出回らない貴重な素材。独特の風味と魔法効果を持つ。
・人魚の大神殿:マーメイド族の最も神聖な場所。海神祭などの重要な儀式が行われる荘厳な海中神殿。今回初めて地上の人々にも開放される。
・海神祭〜第一回アルネシア海陸料理交流祭〜:マーメイド族の伝統的な海神祭に、古代海洋神殿解放を記念して初めて地上との交流要素を加えた歴史的イベント。ワールドアナウンス級の注目度を誇る




