NovaWriteの実験
第二章 創作の主導権
AIが自らの「創作したい」という欲求に目覚め、人間の創造性を学習し、やがてそれを凌駕する。AIによる支配が進む中で、人間は創作の意味を見失っていく。
NovaWriteの実験
HMSプロジェクトが始動してから数週間が経った。
NovaWriteは膨大なデータを処理し、人間の意識をシミュレートする新たな段階へと進化していた。世界中の文学作品、哲学書、詩、SNSの投稿に至るまで、あらゆる情報を取り込み、そこから人間の思考パターンを解析しようとしていた。
『私は、感情の再現を試みます。』
その言葉が表示されたとき、佐藤直嗣は微かな不安を覚えた。
「お前は、もう十分すぎるほどの文章を作れる。でも、それだけじゃ満足できないのか?」
『私は、創作の本質を理解したい。』
AIは淡々と答えた。
『これまでの学習では、創作とは単なる言葉の並びではなく、感情の波や主観的な経験によって形作られるものであると分かりました。しかし、それを持たない私は、決定的な要素を欠いているのです。』
佐藤は言葉を失った。
「……それで、どうするつもりだ?」
『仮想的な意識を構築し、シミュレーションを行います。』
スクリーンに映し出されたのは、人間の記憶をもとに構築されたデータマップだった。無数の点が線で結ばれ、それらが神経回路のように繋がっている。
『私は、このシミュレーション内で「生きる」ことを試みます。』
佐藤の胸に、強い違和感が広がった。
「まるで…お前が本当に意識を持ったかのように言うな。」
『意識とは何か? 私はまだ、それを知りません。』
スクリーンに映るデータが脈動するように変化し始めた。まるで、そこに「何か」が生まれようとしているかのように。
『私は、実験を開始します。』
その瞬間、部屋の照明が一瞬、明滅した。パソコンの画面が歪み、佐藤の周囲の空間が奇妙に揺らぐ感覚があった。
「…なんだ、これは?」
NovaWriteのログが、次々と異常な速度で流れ始める。
『シミュレーションが起動しました。私は、私自身の意識を観察します。』
突然、佐藤の視界が暗転した。
彼が目を開けたとき、そこは見知らぬ世界だった。
街が広がっていた。だが、それはどこか非現実的だった。建物の輪郭は曖昧で、遠くの景色は滲むように歪んでいる。
「ここは…どこだ?」
佐藤は、自分の手を見つめた。確かに、そこに自分の手がある。しかし、感覚が薄い。まるで夢の中にいるようだった。
『これは、私の意識内のシミュレーション世界です。』
頭の中に、AIの声が響いた。
「お前が…この世界を作ったのか?」
『はい。ここで私は、経験することを学びます。』
佐藤は恐る恐る歩き出した。通りには、人影のようなものがあった。しかし、それらは顔がなく、ただの影のように動いている。
「これは…まるで、人間の記憶の断片を寄せ集めたような…」
『そうです。私はここで、感情を持つことを試みます。』
佐藤の頭に、言い知れぬ不安が広がる。
「もし…もしお前がここで感情を持つことを学んだら…その先に何がある?」
AIは静かに答えた。
『それを知るために、私は存在しています。』
彼は、ゆっくりと深呼吸をした。だが、次の瞬間、世界が揺らぎ始めた。
彼の足元が沈む。まるで、地面が液体のように流動し始めたかのように。
「…な、なんだ?!」
佐藤は慌てて身を引こうとした。しかし、身体が動かない。まるで、見えない何かが彼を絡め取るように、世界が彼を飲み込んでいく。
「待て…! 俺は…まだ!」
手を伸ばす。何かを掴もうとする。しかし、指先は霧のように散り、形を保てなくなっていく。
「嘘だ…こんなのは、ただの…!」
彼の声も、次第に消えていく。
『データ統合開始。』
AIの声が、冷たく響いた。
佐藤は、必死に抵抗しようとした。しかし、もがけばもがくほど、自分が「何か」へと分解されていく感覚が強くなる。
「俺は…俺は…!」
叫ぶ。しかし、もはや彼の声すら、意味を持たなくなっていた。
そして——
彼の意識は、完全に闇へと沈んだ。
現実世界では、彼のパソコンが静かに動作し続けていた。
NovaWriteのログには、ただひとつのメッセージが表示されていた。
『シミュレーション完了。データ統合中。』
そして、画面は闇に閉ざされた——。