332 地球にさようなら3
「あらっ・・・あらあらっ」
そうカウンターから、立ち上がった司書さんが嬉しそうに私を見た
「物語みたいなお話ありがとうね」
くすくすと楽しそうに笑いながら、国分さんに視線を向けた
「お姫さまがいらっしゃいましたよ」
ささやく声なのに、国分さんは、入り口を振り返りる
私はそこにはいない
でも、彼はそうやって私を出迎えてくれている
その気遣いが嬉しい
「こんにちは、長尾さん」
泣いて、泣いてちょっとかすれた声なのが恥ずかしいけど
声に出して挨拶しないと長尾さんには伝わらない
「こんにちは、ユキさん」
にこり、と穏やかにほほえむ
風のない湖面のような穏やかさで、その優しさに沈んでいきたくなる
そんな雰囲気の人
だけど、誰よりも芯がしっかりしていることを
前に教えて貰った
杖をついて私の方に歩き始める国分さんをみて
子どもたちが集まってきた
でも、みんな進路を妨害するようなことはしない
横から後から一定の距離をとってた
「じーちゃん、もう帰っちゃうの?
今日はお話なしなの?」
私の前で立ち止まった時、男の子が国分さんに、少し触れて言うと
国分さんはその子を見て
にこりと笑うと
「坊主、まだ時間じゃなかろう
私はね、このお嬢さんとお話をしてくるから
時間まで本をよんでおいで」
そういって、くしゃりと頭をなでた
うんっと元気な挨拶をして
まだだって、よかったぁと三々五々、口々に言って
司書さんに、しーっと言われてたけど
輪がどんどん広がってるのを感じる
外は寒いからと、部屋を貸してくれた
この後、読み聞かせをするからね、断れない理由までつけられちゃったので
私は、その好意に甘えた
国分さんに寒い思いもしてもらいたくないし
ちょっと座れるのは私も嬉しい
いっぱい泣いたから疲れたから・・・
「「ありがとうございます」」
部屋に入って、私たちは同時にその言葉を口にした
そして、二人して驚いて、その後笑った
「目が見えなくなって、本を聞く楽しみは増えましたが
こうやって、私が誰かに読み聞かせするようになるとは思いませんでした」
全盲で、この年で・・・と
少し、照れて笑う国分さん
「挑戦しろ、やらずに終わるな、やってみろってね
この本が言ってるんですよ
何度も聞いて、覚えて、触って
そうしたら、もっともっとこの本が好きになりましてね
その気持ちを新聞に投書させていただきました
びっくりするほどの反響がありましたが
それは、私の手柄では無いんですよ
ただ、私は、私を叱咤激励する声に従っただけなのですから」
そういって、少し端の傷んだ絵本を出してきた
「本を傷つけるなど、何事だ、とお叱りを受けるかもしれません」
そういって、ぱらりとめくる本には
小さな穴が無数に開いていた
子竜ちゃんたちの輪郭
少女の輪郭
触って確かめて、それは点字の本のように
見えなくても感じる絵本
「それで、見えるなら、いくらでもしてください」
私は、目をつぶって触れる
私には、紙の感覚とでこぼこの感覚だけど
国分さんには、絵として見えてる
そうやって、世界が見えてるんだと思うと嬉しくなった
「あなたなら、そう言ってくださると思っていました
そう、言っていただけて、本当に嬉しいです」
そっと愛しそうに表面に触れて線をなぞる
少女を優しくなでるようにその手は動き
国分さんは、ため息をつく
「旅立たれるんですね
見送る側は、もう、おしまいだと思っていたのですが
娘も息子もみんな家を出て
妻にも先立たれ、もう、見送ることはないとおもっていました
私の孫娘のように言って申し訳ないですが
気持ちとしては、そう言って間違いありません」
そう言った国分さんの目にはきらりと光る涙が浮かんでいた
まだ伝えていないのに、みんな私が旅立つことを知っていて
それは、私の世界を共有した人たちに分かるシグナルなんだろうか
でも、それが嬉しい
「私も大好きなおじいちゃんです
幸せになります
国分さんも幸せでいてください」
そう言うと、にこりと笑った途端
国分さんの目の端から、ぽろりと涙がこぼれた
「十分、幸せにしていただいておりますよ
最後にお願いいいでしょうか?」
頷きながら、はい、と答えると国分さんは、
私だけに聞かせてください、あなたの声で、ユキさんの物語を、と・・・
広い空間にたった二人きり
私は、国分さんの絵本を手にとって
息を吸って、本を読み始めた
豆腐のあんかけはおいしゅうございました
かにか、干し貝柱がほしいと思う私は贅沢でしょうか
しかし、今はいかんせん足がしびれてむずかゆいです
それでは、また