第6話:直立の後期試験
焼き肉のたれを食べた翌日は、いつもに増して集中力が下がるんだ。
勉強に取り掛かってもすぐに集中力切れて、ぼーっとしてしまう。
心なしか考えている内容もすぐに薄れてゆく感覚もあった。
そして、集中力の低下に加えて、憂鬱感、イライラなどの感情的なデバフもあった。
試験が近くてナーバスになっているのかな?
その時はその可能性も捨てきれなかった。
それでも、僕の思考は後期試験をパスする方法に費やされていた。
留年は退学、退学は死に値する。
今更医者になれない人生なんて考えられない。
僕には医学部に入れたこと以外にろくに取り得なんてないんだ。
もしここで医師免許取得の道が絶たれたら、その先どうやって生きていけばいいか分からない。
怖かったんだ。
人よりも何か特別なものを持っていないと。
普通では生きられない、優位でないと生きられない。
そんな生物的な弱さと焦燥感を抱いていた。
「焼き肉のたれ」に対して、未知なる恐怖を抱きながら、僕はそれを使った食事を避けて、後期試験に臨むこととなる。
結果は辛勝だった。
14科目中5科目ほど再試験を受けた。
再試験では1科目でも合格ラインを下回れば留年が確定する。
僕は寝れなかった。
机に向かい、椅子に座ってしまうと眠ってしまう。
そう思って10時間ほど立ったまま勉強した日もあった。
人生で最も勉強で追い込まれた日はその日だった。
文章に書けばあっさりしたものだが、想像してみて欲しい。
今まで何年も医師になるために勉強してきて、様々な屈辱や苦痛も味わってきた。
やっとの思いでようやく切り開かれた道が、明日の試験で絶たれてしまうかもしれない。
不安で寝ることを試みることができない、体調も悪い、横になってしまったら寝てしまうかもしれない。
そのまま10時間もの間直立して、プロプラノロールがβ遮断薬で、イソプロテレノールがβ刺激薬であるみたいなややこしい内容の暗記を試みるのだ。
控えめに言って、結構辛かった。
今思えばだけど、多分僕はもう僕の身体が正常ではなくなっているんだって気づいていたんだと思う。
ここで立ち止まれば、すごく長い期間を倒れたまま過ごすことになる。
そう予感していたのかもしれない。
今立ち止まってはいけない。
留年するにしても、資金の限界もあるし、何より何年も留年を重ねると退学処分だ。
またあの悪夢のような大学受験浪人生活に戻ってしまうのかもしれない。
もう一度、「(sinα/2)^2=(1-cosα)/2」なんて公式覚えられるだろうか。
怖すぎる。
そして恥ずかしすぎる。
それからかな、僕が大学受験浪人を10年重ねる夢を見るようになるのは。
まぁこの先、結構それに似たようなことになるんだけどね。
(つづく)