第100話:白衣の裾
「すみません、僕、実はうつ病なんです」
僕は、救急診療科の医局長に対して、消え入りそうな声で打ち明けた。
僕は自分がうつ病であるということを、病院の人々に知られることが怖かった。
医大を卒業した生徒の多くが、出身大学に残り、その後医師として長く勤務することが多い。
つまり僕にとって実習している大学病院は、学びの場であると同時に、将来の職場でもあったんだ。
将来ともに働くかもしれない人たちを前に、僕は身体的な問題を抱えていることを打ち明けるのには勇気が必要だった。
この先就職させてもらえなかったらどうしよう。そんな不安があったんだ。
でも、もう背に腹は代えられなかった。
僕の霞んだ頭と鈍い身体では、どうしたって行く先々で学ぶ態度が怠慢だと指摘を受けるだろう。
僕だって好きでそのような状況になっているわけではない。
しかし、そう思われたって仕方ないのが実情だ。
それなら、叱責される前に打ち明けてしまえばいい。
そう、最初から。
この『叱責される前に謝っちゃおう大作戦(SMAD作戦、通称:スマッド作戦)』は想像以上に効果的だった。
話は速やかに医局長から全ての上級医に伝わったようだ。
学生のいない場で秘密裏に共有してくれたのだろう。
上級医みなが僕の体調を細やかに気遣ってくれた。
夕方ごろに救急患者が搬送された場合、学生はその処置が終了するまで、夜中の0時でも1時でもその場に残り、記録をつけるという訓練を課されていたが、僕だけは特例として、あまり遅くならない時間にこっそりと帰宅させてもらうこともあった。
救急診療科は、数ある実習先の中でもトップクラスにハードワークで、上級医も厳しいともっぱらの噂だったが、僕にとってはそれまでの診療科よりもずっと快適に過ごすことができた。
当然だ、たくさん甘やかしてもらったのだから。
上級医はみな優しくしてくれた。
彼らの慈愛の心に、僕は久方ぶりに心にゆとりを持つことができた。
でも、僕を守ってくれたのは上級医の慈愛の心だけではないんじゃないか。
そう思った。
「うつ病の学生に厳しく接した結果として、彼が自殺なんてしようものなら、どれほど責任を追及されるだろう」
そうした社会的な無言の圧力が、僕の身体から彼らに発せられていたという側面も無視できないのではないだろうか。
ひと昔前には、うつ病を訴えても、それは甘えだと切り捨てられ、コミュニティに理解されない中で苦悩するような状況があったと聞いている。
僕にもそれは容易に想像がついた。
うつ病は他人の目には映らない病気だ。
手も足も皮膚も正常で、なんなら血液検査でも何の異常もない。
パッと見た感じでは仮病となんら見分けがつかないのだ。
それを健康的な人に理解しろという方が無理がある。
人類史が始まって以来、どれほどたくさんの人間がうつ病を原因として自分で自分を殺してきたんだろう。
僕は過去に生きてきた先人たちに思いを馳せた。
苦しかったろう。
病気の存在だけで苦しいのに、怠惰で邪魔者扱いされた人間は、どれだけ心が痛かったろう。
僕は抑うつ症状が強いとき、「こんなに役に立たない自分なんて死ねばいい」という感情に襲われていた。
誰よりも僕が、僕を殺したかった。
「自殺は非倫理的な行為である」
「自殺した人間は地獄に落ちる」
「自殺はあってはならない」
そのような言葉が世間には溢れている。
でも、実際に死にたい気持ちと向き合ってきた僕の考えは少し違う。
『この世界に無駄な死はない』
『それがたとえ、自死であっても』
数多くの人間が怠惰であるというレッテルに苦悩し、自ら命を絶った。
その血に濡れた歴史が、現代社会に「うつ病」という存在を知らしめた。
彼らは文字通り、自らの命を張って、『うつ病が死に至る病である』ということを世に知らしめたのだ。
彼らの死は決して無駄ではないのだ。
僕は上級医たちの慈愛の心と、そしてかつて同じ病に倒れた先人たちの魂によって守られていた。
ドッ、ドッ、ドッ、ドッ、ドッ、ドッ、
肋骨がゆがむほどの強い力が、力なく横たわる身体に一定間隔で与えられている。
「終わりにしよう」
その場にいた最上級医が制止したのち、下級医たちはゆっくりと心肺蘇生の手を止めた。
長年うつ病を患っていたらしい。
そして遂に飛び降りた。
搬送され、救命処置を受けたものの、その命は今、燃え尽きた。
『この世界に無駄なことなんてなにひとつない』
彼の遺体を前に、僕は白衣の裾を握った。
(つづく)