第40話:ナイスタチン実験
『ナイスタチンは非吸収性抗真菌薬である』
最高にクールな日本語だ。
ナイスタチンは腸管から吸収されない。吸収されないんだ。
ナイスタチンを僕の腸管に通してやれば、これまで考察してきた謎の一端が解明される。
ダイオフ症状が出れば、黒だ。
僕の体調不良の原因は、「腸管の中にいる真菌」だ。
ダイオフ症状が出なければ、白だ。
僕の体調不良に、「腸管内の真菌」は関与していない。
遂に、僕を苦しめている奴の居場所とその正体が分かるかもしれない。
こんな小さな白い錠剤、一粒で。
そして、僕のうつ病の原因が本当にカンジダ菌であるのなら、カンジダ菌を排除すれば治るはずだ。
逆に、カンジダ菌仮説が否定された場合、僕の体調不良の原因はまた謎を深めることになる。
そうなれば治療は容易ではないだろう。
僕は自分の運命を占うその一粒の薬を、水とともに一息に飲み込んだーーーー。
「そうですか…。」
ひとしきり僕の訴えを聞いた後、彼は電子カルテに整理した情報を眺めながらつぶやいた。
「それはダイオフ症状でしょう。」
冷静な面持ちで、ドクターAは続ける。
「以前お話ししていたように、カンジダ菌は死滅する際に、その菌体内にため込んでいた毒素を体内にばらまきます。
恐らく笹山さんの胸の苦しみや倦怠感、憂鬱感などの症状はダイオフ症状によるものだと考えられます。」
「ナイスタチンは確かにカンジダ菌を殺す薬です。しかし、飲んだ後にそれほどまで強く『死にたい』という気持ちが湧いてくるのであれば、これ以上服用することはお勧めできません。
その他の乳酸菌などのサプリメントを用いて、経過を観察してみましょう。」
僕はドクターAの言葉にただ頷いていた。
正直に話すと、僕はナイスタチンを服用してから、ドクターAのこの言葉を聞くまでの間の記憶が曖昧だ。
おぼろげな記憶のかけらを書いてみよう。
意気揚々と取り出して飲み込んだ1錠目のナイスタチン。
通常のダイオフ症状とは異なる感じがした。
胸が締め付けられるように苦しい感覚。
上手く呼吸ができていない気がして息苦しい感覚。
シート状に包装されたナイスタチンの三錠目を取り出す両手。
その記憶の次は、先に記したドクターAの言葉が聴こえているシーンになる。
ただドクターAの言葉ははっきりと覚えている。
ナイスタチンを自己中断してから、1週間ほど経った後の診察であったからだ。
その頃にはもうナイスタチンによるダイオフ症状は落ち着いていたのだろう。
今から思い返してみると、ナイスタチン服用後に何が起こったのかについては、何とも興味のあるところだ。
どのような症状があったか、またそれは服用からどのくらいのタイムラグで生じたか。
その詳細を知りたい気持ちは強い。
しかし今となってはもう叶わない。
何故記憶が曖昧なのか。
その理由もわからない。
もしかしたら、「死ぬほど苦しかった」のかもしれない。
当時僕はカンジダ菌が悪さをしていると強く考えていたから、カンジダ菌を駆逐できるチャンスをみすみす逃すとは思えない。
恐らく、自らの命に危険を感じるほどの苦しみを経験し、服用を中断したのだと思われる。
ただ、死にかけていた間に、僕の脳裏に刻まれていたことがある。
「僕の腸管内には真菌がいる」
さぁ、ナイスタチン実験の成果をまとめよう。
この実験によって確信した事項は以下の2点だ。
①僕の腸管内には真菌が存在する。
②僕の腸管内の真菌を死滅させると、倦怠感や憂鬱感などの様々な症状が増悪する。
僕は僕の体調不良の原因として、「真菌」が関わっていることを確信した。
そして、大腸なのか小腸なのか分からないが、少なくとも「腸管粘膜上のどこか」にヤツは居る。
僕はこの実験結果にとても満足していた。
僕はもともと何かを考察するのが好きだ。
謎の一部を解明することができて、充実感を感じていた。
そして、楽観的だった。
なんだ、感染症かー、簡単に治るじゃん。
ドクターAもいるんだし。
僕は心強い味方を手に入れて、安心していた。
鬼に金棒。エ〇〇に〇ヴァ〇兵長だ。
「この未知なる病態を見つけた立役者は、このドクターAだ。僕も惜しいところまで行ったが、この功績は彼のものだ。」
手柄を惜しむほどの余裕があった。
全ては、このまま治してもらえると思っていたからだ。
(つづく)