雨に打たれ風に吹かれて「野に咲く花のよう」に。奥山の自給自足生活と、山の歌
長かった夏がようやく終わり、澄んだ秋空を吹く爽風にホッと安堵する日が増えてきた。
日暮れも随分と早くなって、ベランダから見える夕空は日毎異なる美しい茜の光景を見せてくれる。そんな時、いつも頭をよぎる歌がある。
なじかは知らねど 心侘びて
入日に山々 赤く映ゆる
「ローレライ」だ。
学生の頃友人と何度か足を運んだ山があった。登山やハイキングをしていたわけではなくて。
友人はとある青少年福祉活動に参加しており、赴いたのはその活動拠点があった山だ。
長年に渡り自分たちで資金を積み立てていた彼らは、その頃ようやく幾許かの土地をとある山中に入手して、手付かずの深い森をゼロから開墾していた。活動のホームベースとなる山荘建築を全て自力で行っており、そのお手伝いに自分もゲスト参加させてもらうためだった。
「友達の友達」という伝手で、自分が関わったのは学生時代のほんのわずかな時間だったが、そこでの体験は今も鮮明な記憶がある。それはとても思い出深い、山の暮らしだった。
人里からだいぶん離れた避暑地、その更に山奥。
最寄りのバス停の時刻表はスカスカで、日に2~3本だった。バスを降り、非力なりにも出来うる限りの差し入れ物資を背負い必死で急傾斜の道なき山道を上ること、小1時間。
山の中腹あたり、鬱蒼とした自然林のなかにその地は唐突に開け、目の前に現れる。仙人の住む地に向かうかのような険しい道行きを経てくるから、パッと辺りに光が射すその瞬間は訪れる度に新鮮で、何か神聖さすら感じた事を憶えている。
まばらな木立の向こうには一軒の木造家屋。囲むようにぽつぽつ小さな小屋も建ち並び、ちょっとした邑がそこには形成されていた。
麓の車止め広場に仮置きされた、線路の枕木など大量の資材や建材。そこからを全て人力で道なき斜面を運び上げコツコツと建築を進めていた山小屋たちはいずれも、廃材を寄せ集めたお世辞にも綺麗とは言い難い見てくれだった。
しかし中央に建つ母屋は山小屋というよむしろ山荘、二階建てのとても立派な造りで、どっしりと構え建っていた。
自分が初めて訪問した時にはもう随分と形が整っていたが、それでも計画した完成形にはほど遠く、まだまだ果てしなく道は続いていたらしかった。
手造り感が満載の邑。点在する小屋を見回すと、彼らの大工仕事の腕前がどんどん向上しているさま、その建てた順番もはっきりとわかった。
がその分、建築時期のバラつきや資材の不足から、ここが仕上がったと思えば別所に不具合や破損が生じたり。予期せぬ雨風や野生動物の侵入、計画通りにいかずやり直したりのいたちごっこ。
そんな風に邑は常に計画、実行、見直し、修繕改善を繰り返しており、完成時期はまったく未定。サグラダファミリアの様だった 笑。
当然ながら、ライフラインは一切ない。水道も電気もガスも、電話もテレビもない。生活は自給自足が柱。リアル山籠もり、時代を1―2世紀ほども遡ったような暮らしだ。
防災用の小さなAMFMラジオと短波無線機、訪問者や買い出しで持ち込む少し遅れた新聞雑誌や土産話だけが、下界とここを繋ぐ貴重な情報源である。溢れる情報・便利を消費する生活から遠く離れて、世界は其処だけ?と錯覚するような毎日がそこにあった。
日持ちする食材や燃料・必要部材などは月に1-2度くらい街へ下り買い求める。しかし人が一人やっと通れるほどの獣道みたいな急傾斜路しかアプローチルートがなく、片道1時間の登坂を日に何往復もするとか、重機で運び入れるとかの手段は取れず、そう沢山のものは持ち込めない。
したがって、自家製保存食や日持ちがする購入食料のほかは、来訪者の差し入れや山で採れる野草や木の実、場内の菜園で育てた季節ごとの野菜で食いつなぐのだ。
時々出没する野生動物(猟の制限がないもの)とか蛇や蛙なんかも貴重なたんぱく源として、たまーに食卓に上っていた。
普段の生活用水は、雨樋から集めタンクに溜めた雨水でほとんどを賄う。大分下ったところに小さな沢があるにはあったが、そこまで毎日水を汲みに上り下りするのは時間と労力が馬鹿にならないからだ。
調理にも同じ水を濾過し沸かして使う。自家製のろ過装置で幾度も濾すのだが、それでも日に透かすと薄茶色に濁っていた。
けど、口にするものはしっかりと沸騰さていたからお腹を壊すようなことはなかったな。
雨の少ない時期は、ラジオの天気予報と向かいの山の上を流れる雲をいつも怠りなくチェック。
「ヨシ雨だ!」となると、場内ありったけの器を大小構わず屋外に並べ、雨粒一つも逃したくないといった意気込みで皆で恵みの雨を受け止めるのが、常だった。
燃料は、開墾で出た木材やその木っ端、周辺で拾い集めた枝葉。手作りかまどでの薪炊事が基本だった。
風呂は薪で焚くドラム缶風呂がひとつ。貴重な水だから週1回がいいところだ。
お風呂を沸かす日はみんな大喜びで、ちょっとしたイベントだった。10人くらいの仲間が交代で足し湯をしながら入った。
灯りがほぼない野点で、木々の梢の間に覗く星空を仰ぎながらの入浴だ。
暗くて足元もおぼつかない代わりに、水面があんまり見えなかったのは逆に幸せだったかもしれない 笑。それでも薪で焚いたお湯は肌当たりが柔らかくて、夜半に急に冷え込む山の夏の夜もぐっすりと眠れたことを覚えている。
山の夏の朝は、早い。
薄暮から起き出して活動を開始する。灯りが要らず涼しいうちが一番仕事がはかどるからだ。
鳥たちの囀りを聴きながら昼まで汗を流して働き、昼食後の日差しが強い時間にひと眠りしたらまた、日暮れまで働く。
山の夜。絶えずフクロウの声が木霊し、風で擦れ合う木々のざわめきがする。真夜中に天井から物音が響くこともよくあって、翌朝調べてみたら野鼠やテンだったりムササビだったり。
そうしてまた迎える朝。日の出前から蝉や鳥たちが口々に起きろと騒ぐし、東側の木立から抜けてくる朝日はうすーい硝子のガタついた窓から眩しく差し込んでくる。嫌でも起こされるから、めざましも要らない。
日中はみな額に汗し、懸命に肉体労働に励む。
日暮れと共に仕事は終わり、安らぎの時間が訪れる。そんな生活でなにより楽しみなのは、やはり日に3度の食事だ。だから、食事当番の役割は重責だった。その日はメンバー全員の期待が一身に注がれることになるのだ。
少ない食材でもメニューに工夫を凝らし、手間暇かけて様々な自然の恵みを余すところなく使い切るよう常に心がけて、役務に臨む。
竈で飯を炊くのも、慣れないうちは焦がしたりナマ煮えだったり。失敗は数知れず。
そんな時は内心「やっちまった!(;´Д`A ```」であっても、逆に周囲はフォローに燃え格好の工夫材料となった。あーでもないこーでもないと試行錯誤し復活調理を試み、最終的には余すところなく有難く、最後のひとさじ迄、いただいた。
「いただきます」の意味「命を命に繋いでいきます、ありがとう」を一口一口噛みしめながら、薄暗い食卓を囲んだものだった。
夕食後は全員で一日を振り返る。反省点や気づいたこと、明日の予定などを必ず話し合った。議論が白熱してなかなか終わらない夜もあったが、それが済めば楽しみな寛ぎタイムだ。
ギターやハーモニカ演奏で歌ったり、将棋やトランプ、ボードゲームを楽しんだり。
仲間と談笑したり熱く論議交わす者もあれば、端材で工作をするもの、絵や詩作を楽しむもの、食当と明日のメニューを考えるもの。
滞在期間が長いため持ち込んだ夏休みの課題を広げる者も、いた。
夜の帳が降りてから消灯までのひと時。うるさいほどに木霊するフクロウや虫たちの声と仄かなランプの灯りに包まれながら、おのおのが静かな時を過ごすのだった。
一度入山したらそう簡単には現世に戻れないような山籠もり生活。
毎日を「生きること」=極めてシンプルに、ヒトという生き物の生命力を100パー発揮しながら過ごすみたいな、剥き出しの心と命とにひたすら仲間と共に向き合い続ける時間だった。
身体感覚を研ぎ澄まさざるを得ない自然からの刺激と癒し、そして創意工夫のチャンスがそこかしこに満ちていた。命とは人とは仲間とは、自然とは文明とは共存共栄とはなんぞや。そういうものと真っ向から向き合い、心も体も色んな意味で原点にリセットするような日々でもあった。
生活自体はとても質素だし不便といえば不便だったけれど。志ある気のいい仲間たちと、笑い合いときにぶつかりまた励まし合いして過ごす毎日の心は豊かで、充実していたと思う。
そんな山の暮らしで、未だ忘れ得ぬ色鮮やかな景色がある。
その日、他メンバーはみな街へ買い出しに下りていき、山荘には食当の友人と自分の二人だけが留守番で残っていた。
仕事が一段落してホッと一息。緑濃い鬱蒼とした林の中、切り倒されたヒノキに腰かけて友とおしゃべりするうちになんとなく「一緒に歌ってみよっか!」という事になった。
お互いに音楽・歌う事が大好き。授業が終わり彼女の家に遊びに行くと、いつもギターを上手につま弾いてくれた。朗らかでボーイッシュ、ハスキーな声が魅力の彼女が選ぶ曲は大抵、みゆきやユーミン。自分はオフコースとかキー高めの曲をリクエストすることが多かった。
シュークリームやクッキーなど一緒に作った焼き菓子をつまみながら、流行りのフォークやニューミュージックをよく一緒に歌ったものだった。
2人だけでお留守番のその日。動物や小鳥たち、周囲を囲い凛と立つ木々だけが観客である。彼らの演奏もバックミュージックに借りつつ、会場貸し切りで友とたった二人のミニ音楽会となった。
1曲目、歌い出した自分の口をついて流れ出たのは懐かしい唱歌。すぐに彼女も私の声に調べを合わせてくれ、一緒に歌った。
「ローレライ」
作詞:近藤朔風 作曲:E.P.Silcher.
なじかはしらねど こころ侘びて
昔の伝えぞ そぞろ身に沁む
侘しく暮れ行く ラインの流れ
入日に山々 赤く映ゆる
(中略)
漕ぎ行く舟人 歌に憧れ
岩根も見やらず 仰げばやがて
波間に沈むる 人も舟も
くすしき魔歌歌うローレライ
鮮やかなグラデーションを描く茜空に黄金の雲、それを背負い遠く赤暗く染まった山。手前に滔々と流れゆく煌めく川面が揺蕩い、その上には小さな手漕ぎの舟が一艘。
流れに逆らい進みつ戻りつ、シルエットになった船頭と共に大きく小さく波に揺られている……歌に思い描くのはいつも、まだ見ぬライン川とやらの雄大で寂莫としたそんな日暮れの光景だった。
切なくも透明感ある優美なメロディに、どこか冷え冷えした怖さがじわりと滲む。
1―2番は、天国の如き美しい世界を夢見心地で渡っていった舟人の姿に、郷愁を覚えた。しかし3番、最後の最後で、突如として地獄へ引きずり込まれるような恐ろしさに身が竦む。
自然など、抗いようのないもの・畏怖を覚える大きなものに対する人間の弱さ愚かさ儚さを孕んでいる感じに、ふいに胸を突かれる。
若くてまだ歌詞の意味もよくわかっていなかったけれど。天体宇宙やSF、星座の神話などが大好きだった自分。その抒情的な美しい調べと相まって、この詞が導く不思議な異世界感というかトリップ感?に何とも言えぬ魅力を感じていた1曲だった。(魔が歌、だけに!)
友人がはじめの1曲に選んだのは「野に咲く花のように」だった。どこかで聞きかじった覚えもあったけど、知らない歌。
それは人気のテレビドラマ主題歌で、彼女がその場でワンフレーズずつ丁寧に教えてくれた。
覚えやすく温もりある明るいメロディ、優しく大らかな歌詞だった。降り注ぐあたたかなおひさまの光のようで、大好きになった。その後家庭を持ってからも子守唄の一つとして、ずっと口ずさみ続けた。
今も、ふとした拍子に「野に咲く花のように、雨に打たれて…」と口を突いて出てくる。
幾度踏まれても、水たまりの泥に沈んでも。やがてまた立ち上がり逞しく咲く、蒲公英やハルジオンのような生き方に憧れと仄かな共感を覚える。
ごくごく僅かな期間だったけど、あの山の日々が無かったら今の自分じゃ無かった。きっと違う人生を送ってただろうなと思い続けてこれまで、生きて来た。
木立の間から漏れる日の光、そこに覗く眼下の町並み。その奥に連なる緑深い山並み。
そんな景色を二人占めして、小鳥や蝉たちの声を伴奏に誰はばかることなく大声で友と歌った。思い出すとちょっと気恥しくもなるが、懐かしい想い出。
あの時自分を囲んでいた森の景色がそれぞれの歌詞の情景とリンクして混ざり合い、不思議な彩りの記憶になって居る気がする。
吹く風にさざめく緑の葉音と零れ落ちる日の光が、今も鮮やかに頭の中 歌声と一緒に木霊している。