真の聖女を見つけたから用済みだと王太子に婚約破棄された代理聖女、発明王に見初められ真実の愛を手に入れる
「代理聖女ボイラ、本日ただいまをもって汝の任を解く」
先触れもなく大神殿へやってきた王太子アンジェロの声に、いままさに浄水作業へ取りかかろうとしていたボイラは顔を上げた。
ボイラは赤い髪が目を引く、少女という段階は抜け出た、20歳ほどの娘で、その眼も炎が踊っているかのように赤かった。そばかすこそあるが、目鼻のつくりは調っている。あるいは、顔立ちは調っているがそばかすがあるというべきか。
アンジェロは豪奢な金髪に青い眼、王子、という余人のイメージを裏切らない美男子であった。
「わたしを解任なさる……見つかったのですか、浄化の秘蹟を司る女性が」
「そのとおり。……フローラ、こちらへ」
ボイラの言葉にうなずき、アンジェロが呼び寄せたのは、ふわふわのピンクブロンドに緑色の眼をした美少女だった。
「さあ、フローラ、真の聖女の力を見せてくれ」
「承知いたしましたわ、アンジェロさま」
王子が促すと、フローラは嫣然と微笑んで、滔々と水をたたえている大神殿の地下水槽のほうへ歩みを進める。
なお、聖所というイメージに反し、あたりの空気は淀んでいて、かなりドブ臭い。水は豊富だが汚濁がひどく、常に浄化を必要としている。それがこの国、スワンプランドであった。
フローラが濁った水面へ手を振ると、その指先から花びらが舞い散った。花びらが水へ触れるや、またたく間に水槽の底まで見通せるほど透明になった。
周りの空気までが、芳しい花の香りに包まれる。
「すごい……」
フローラの秘蹟の力に、ボイラは素直に感嘆した。
あらためて、アンジェロが代理聖女の出る幕が終わったことを宣告する。
「汝の役目は終わりだ、ボイラ。今日までお務めご苦労だった」
「わたしの力は、結果的に水がきれいになるだけですから、汚染そのものを浄化するフローラさまには到底およびません。代理聖女の位を返上するのに異存はございませんが……わたしを解任なさるまでもなく、フローラさまが正聖女に就任なさればよろしいのではないでしょうか?」
小首をかしげたボイラへ、フローラがあきれたような声を浴びせてきた。
「わかってないのね、あなた。あたくしが正聖女であなたが副聖女、あたくしが聖女であなたが代理聖女、そんな話じゃないのよ。あなたはもう聖女じゃないの、ただの湯沸かし器。それも、とびきり使い勝手の悪い」
「べつにわたしは、フローラさまと聖女の栄華を分かち合おうとか、そういう意味でいったわけでは……」
「それなら、なぜアンジェロさまの決定に差し出口を挟もうとしたの? 身のほどをわきまえなさい、偽聖女」
アンジェロの腕に馴れ馴れしく絡みつきながら、フローラはボイラの言をあげつらう。
「フローラ、たしかにボイラは本当の意味での聖女ではなかったが、それでもここ5年間、わがスワンプランドの水を浄化してくれたんだ。王家として、その功績までは無にできない」
なだめるような口調で、アンジェロがフローラの言いすぎをたしなめたが、腕をほどこうとはしない。
「この端女が、この先も王都に留まることをお許しになるとおっしゃるんですの?!」
「それは……今後の話し合い次第だ」
アンジェロとフローラのものの言いかたに引っかかりを感じたボイラは、しばらく考えて……答えに行き着いた。
なぜ、アンジェロは開口一番、代理とはいえ聖女の地位からボイラを降ろすところから話に入ったのか。
「殿下、わたしはもう聖女ではない。つまり、王太子の婚約者たる資格がない、そういうことでございましょうか?」
それに対し、いささかバツの悪そうな表情で、アンジェロはうなずく。
「もと聖女ボイラ、汝の聖女としての資格喪失にともない、私との婚約は自動的に破却となった。いまの私の婚約者は、この聖女フローラだ」
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ボイラは聖女用の居室から退去する準備をしていた。
アンジェロ王子には、べつに未練もない。もともと形式的な婚約者で、個人的に親しみを覚えるような交流もなかった。
フローラに絡みつかれているときの、まんざらでもなさそうな表情からするに、もしかすると、ボイラのほうからしなだれかかっていたら、案外喜んでくれたのかもしれないが。
請われてこの王都へやってきてから、代理の聖女なのだということは、ずっとボイラの心の片隅に刺さったトゲのようなものだった。
こういう日がくることをなんとなく予見していて、王子には必要以上に近寄らないようにしていたのだろうか。
「……ま、しょうがないか。本物の浄化じゃないし」
ボイラに宿っている秘蹟は、フローラが言っていたとおり「湯沸かし」だ。ただし、出力調整ができない。お茶を淹れようとしても、ヤカンの水は一滴残らず蒸発してしまうし、料理にも当然不適当だ。
自分の力を持て余していたボイラは、あちこちを旅して回り、北の雪山で適職を思いついた。
大量の雪と氷をお湯に変え、浴場経営を始めたのだ。天然温泉はない極寒の地にあふれるほどのお湯。ボイラの浴場はたちまち繁盛するようになった。
10代半ばにして事業を成功させ、得意満面だったボイラのもとへ、「湯沸かし女」の噂を聞きつけて、スワンプランドから使者がやってきたのだ。
代理聖女待遇で、王太子の婚約者として迎える……という条件面ではなく、豊かな水に囲まれながら、その水が不浄であるせいで生存の危機に陥っている人々のことが気の毒で、ボイラはスワンプランドのために自分の力を使おうと心に決めたのである。
汚水を毎日煮沸消毒しながら5年間……真の浄化の秘蹟を持つフローラの登場で、ボイラはあっさりお役御免となった。
まあ自分の湯沸かしパワーの活用方法はだいたいわかったし、またつぎのお仕事見つければいいよね、と、ボイラは深刻に考えることなく私物をまとめていたが、部屋のドアがいきなり開けられた。
衛兵が4人、踏み込んでくる。
「なにかご用かしら?」
「もと聖女ボイラ、あなたを逮捕する」
「あい……? 容疑は?」
唐突な展開にボイラが目をしばたたかせていると、肩章をつけている隊長とおぼしき男が語気を強めた。
「真の聖女フローラさまを害し、アンジェロ殿下の婚約者の地位に留まろうとした。言い逃れはできんぞ」
「いやいやいや、ちょっとまって。フローラさまとはついさっき初対面で、そこでアンジェロさまから代理聖女解任と婚約破棄を言い渡されて、それからずっとここでお部屋引き払う準備してたんだけど。フローラさまに危害加える機会もヒマもなかったし」
「先ほどフローラさまが、毒入りのお飲み物を差し出され、あやうくお命を落とされるところだった。給仕係は、もと聖女のボイラから、祝いだと届けられた珍しい果実を絞ったと供述したぞ」
あまりに乱雑なやり口に、ボイラは頭が痛くなってきた。聖女には不逮捕特権がある。解任と同時にお粗末な冤罪を着せようとするとは、フローラがそこまで悪辣で短絡的な女だとは思っていなかった。
「浄化の聖女が毒で死ぬわけないでしょ。わたしがだれかを〆るつもりなら、神殿の地下貯水槽を地獄の釜よりも煮え立たせて蹴り落とす。毒なんか使わない」
「……身の潔白を主張するなら、ご同行いただこう」
ボイラの反論は筋がとおっている……と眉をかすかに動かした衛兵長だったが、職務を果たすべく鉄面皮に応じた。
(こういうのって、素直に連行されたら最後、弁明の機会とかなにもなしで処刑場直行だったりするのよね……)
救国の聖女が裏切り者の奸臣の罠にかかって火あぶりにされる……というお話を以前に読んだことがあったボイラは、ちょっと嫌な予感がしたものの、彼女に武装した大の男4人を徒手空拳で叩き伏せる力はない。
絶大なる湯沸かしパワーは、大量の水がなければ意味がないのだ。浴槽一杯ていどの水では、全部蒸発してしまう。
もちろん熱い蒸気は武器になるが、ボイラに蒸気を操る力はなかった。人間の体液を沸騰させる、というような攻撃的な使いかたはできない。魔術とは、秘蹟とは、そのような力なのだ。
そもそもこの部屋には、いまコップ一杯の水もなかった。
あきらめて従うことにしたボイラに、衛兵長は手枷をかけることはなく、部下へ三方を囲むように指示し、自らがボイラの先に立って連行した。
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聖女弑殺未遂の容疑をかけられたボイラは、牢獄の中ではなく、衛兵詰所の尋問室に入れられた。ドアに鍵はかかっているが、手足を拘束されることはなく、腰に縄を巻かれもしなかった。
それでも、昨日、もとい、今日の朝までであれば、ボイラは決してこのような目に遭わされる身分ではなかった。代理とはいえ、大逆罪以外のすべての罪を不問とされる特権を持つ聖女だったのだ。ボイラは自分の特権を笠に着て、いじめをしたり、ゆすりたかりを働いたりしたことはなかったが。
尋問室に閉じ込められてからしばらく、ドアの鍵が開く音がすると、派手ではないが上質なドレスを身にまとった女性が入ってきた。
王太子アンジェロの姉である、カミラ内親王だ。
「取り調べですか、カミラさま?」
「まさか。あなたがだれかに毒を盛るだなんて、王宮ではアンジェロ以外だれも信じちゃいないわ」
「ここがまともな国でよかったです」
問答無用で処刑ということはなさそうだ、とボイラが安堵の吐息をつくと、カミラはあきれと憂いが半々の顔になる。
「5年間も国と民のために尽くしてくれたあなたにこんな仕打ちをする国が、まともなわけがないでしょう。お人好しがすぎるわよ、ボイラ」
「追放ってことでいいんで、釈放してもらえませんか? できるだけ早急に、聖女フローラから離れたいんで」
「あのフローラとかいう女、とんでもない性悪だわ。あの悪女を野放しにして、あなたはどこかへ行ってしまうというの?」
「カミラさまも気をつけてくださいね。いや、王族のかたはだいじょうぶか。聖女といえども、大逆罪に手を染めれば裁かれるし」
ボイラの投げやりなほどあっけらかんとした物言いに、却ってカミラは眉を曇らせることになった。
「……そうね、ごめんなさい。あんな悪女を迎え入れてしまったわが王家が、責任を持って対処しなければならないことだわ。まっさきにあの女から狙われたあなたに、対抗してくれだなんて頼むのは、虫が良すぎるわよね」
「たぶんですけど、聖女フローラは、わたしがこの国に留まっていたら、自分の地位が脅かされるんじゃないかとナーバスになってるんだと思います。アンジェロさまを手に入れて、聖女としての地位が安泰になれば、おとなしくなるんじゃないかなあ、と」
「そうだと、いいのだけれど……いえ、よくないわ。あなたのこれまでの功績に、なにも恩返ししないままだなんて」
「あー、気にしないでください。わたしこれで、めっちゃ商才ありますから。また大浴場でも経営しますよ。この国に残って、聖女フローラとバチバチの派閥争いするとか、そういうのは向いてないんで」
ぱたぱたと手を振りながら、ボイラは笑う。
「わかったわ。すぐに父から一筆を取ってきます。……ひとつだけ、お願いを聞いてもらえる? もし、このさきもフローラの暴虐が収まらなかったら、この国を救ってほしいの。一度助けてもらっておいて、なんのお返しもできないままこんなこと頼むだなんて、あまりにも厚かましいけれど」
「できるだけのことはします。よそに行っても、スワンプランドのニュースは気にしておきますね」
うなずいたボイラへ、カミラは心からの信頼を寄せる表情でこういった。
「わたくしにとって、あなただけがいつまでも本当の聖女よ、ボイラ」
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翌日には、ボイラはスワンプランドを離れ、北へ伸びる街道を歩いていた。
王直筆の通行証で、城門も、関所のある橋も峠も、すべて通過できた。
聖女フローラはいきり立って弑殺未遂犯ボイラを追わせようとしたらしいが、王と内親王カミラは、追放以上の処置が必要とは認められない、と言明し、衛兵隊は動かなかった。
冤罪で拘束されたり処刑されたりすることは免れたボイラだったが、代理聖女として多くの従者にかしずかれ、民衆から感謝の声を捧げられていた生活から一変、わが身ひとつの放浪生活に逆戻りだ。
浴場経営をしていた時期も考えれば、7年ぶりくらいか。
雪山に戻ってまた大浴場を再開するといえば、すぐに人も集まってくるだろうし、どうってことないさ、と元気に歩いていたボイラだったが、空が曇ってくるにつれ、だんだん歩幅が狭くなり、背筋が丸まってくる。
「5年……5年間……わたしさあ、けっこう頑張ったよね? 王子さまと結婚したい、ってのはべつだんそこまで思ってなかったけどさ、『ありがとう』以外も、もうちょっともらえたってバチは当たらなかったよね? 極刑のところ不問で釈放はしてもらえたけどさ、実際やらかしてたならともかく、冤罪だし? なんかさ、なんというかさ、あー、すっきりしないなあ」
低く黒く立ち込める雲から、大粒の雨が落ちてきた。
いまの自分の心を表すよう、とは、ボイラは思わなかった。泣きたい気分ではなかったのだ。ただ、モヤモヤするだけで。
「あー、もー! 5年間のお務めぶんしかるべきものもらってさ、それで円満お別れでわたしはよかったのにさ、なんなのさフローラ!? わたしは聖女の地位だの、王太子の婚約者だの、そんなものを賭けてあんたと争う気なんてなかったのよ! ましてスワンプランドのみんなを巻き込みながらなんて! 自意識過剰なんだよフローラ! あんたには地獄の沸騰プールで煮込みにされる価値もない!!」
降りしきる豪雨に向けて、ボイラは叫んだ。湯沸かしパワーをオンにしながら。雨粒はボイラの身に触れた瞬間蒸気に変わり、彼女の髪も服も、一点たりとて水滴がつくことはない。
雨は降り止まず、日がかたむいてきたことで、視界は闇に閉ざされようとしていた。街道沿いに灯りを見つけ、ボイラはそちらへ足を向けた。
さいわい、一階が飯屋で二階は宿屋の、街道筋によくある店舗のようだ。
ドアを開けると、戸枠に下がっていた鳴子が来客を告げる音を発する。雨音がひどすぎて気がつかれないかと思ったが、すぐに人が現れた。
「いらっしゃいませ。こんな雨の中、大変でございま……」
気を利かせて、タオルを手に客を出迎えようとした、亭主と思しき壮年の男が、呆然となって口のみならず全身の動きを止める。
湿り気ひとつないボイラは、笑って手を振った。
「だいじょうぶ、幽霊じゃないわ。秘蹟の使い手よ。どんな雨でも濡れないの」
玄関ポーチからエントランスホールへ入ったところで、濡れそぼったマントをハンガーにかけ、水の浸透してしまった上着をぬぐっている紳士がいた。こちらの先客を迎えていたから、亭主はボイラがやってきたことにすぐ気がついたということらしい。
黒髪で鳶色の眼、ボイラよりは歳上だが、30にはなっていないていどだろうか。貴族ではなく、自ら事業を手がけているブルジョアジー階級かな、とボイラは見当をつけた。
紳士もやはり、一滴も水をかぶっていないボイラの姿に驚いているようだ。
会話の手順にこだわるような相手ではなさそうなので、ボイラはこちらから話しかける。
「そんなずぶ濡れで風邪を引いたら大変。乾かしましょうか?」
「乾かす……? お嬢さん、あなたはいったい……」
「ちょっと失礼」
ボイラは手を伸ばして、紳士のびしょ濡れの髪に手ぐしを入れた。続いて、服の上から背中、腕、胸、お腹……ささっと撫でるように手を動かす。
紳士の全身からほんのり湯気が上がり、たちまち水気が奪い去られてパリッとした姿になった。
「こ、このチカラは……」
「わたし、水をあっという間に蒸発させちゃうんです。ものすごい大量の水なら、熱湯に変わるだけなんで、昨日までスワンプランドで浄水係りやってたんですけど。汚染そのものを消し去る本物の浄化の聖女さまがやってきて、クビになっちゃったんですよねえ」
あはは、と笑うボイラに対し、紳士は目の色を変えた。
「ど、どのくらいの水を蒸気に変えることができるのですか?」
「逆に不便なんですよ、お茶淹れられないしお風呂沸かせないし。代理聖女になる前は大浴場経営してたんで、またやろうかな、って」
「あなたのお名前は……いえ、申し遅れました、僕はリハルト。リハルト・シュミットといいます」
「ボイラです、シュミットさん」
名乗ったボイラだったが、リハルトがいきなり手を取ってきたのでさすがにびっくりしてしまった。
リハルトのほうは、ちょっとボイラが引いたのにも気がつかないほどの舞い上がりようで、熱っぽく懇願する。
「リハルトと呼んでください。ボイラ嬢、あなたこそ、僕が求めていた最後の鍵だ! ぜひ、ぜひともあなたのチカラを僕に貸してください!」
「……は、はあ。ちょうどやることなくなったところですから、べつにかまいませんけど」
+++++
3ヶ月後……
スワンプランドは巨大な怪物に襲われていた。
泥濘臥竜――全長80メートルにもなる無翼竜の一種だ。
発端は、毎日大神殿の地下で浄化をするのが面倒だと考えた、聖女フローラの安易な思いつきだった。
スワンプランド中を覆っている沼そのものを浄化してしまえば、都で使うぶんの水だけを毎日清める手間が省けるではないか。
「沼の底には、かつて建国の英雄が封印した魔物が眠っていると言い伝えられている。起こしてはならない」
と、王はいさめたが、国の生殺与奪を握っているも同然のフローラを止めることのできるものは、もはやスワンプランドにはいなかった。
父を隠居させ玉座へ登ろうと画策し始めていた王太子アンジェロも、事実上の妻であるフローラの権威が増せば自分が王となる日も近づくだろうと、国内全浄化作戦に賛成する。
フローラとアンジェロは取り巻きの廷臣たちを従え、スワンプランド最大の沼地を真っ先に浄化してやろうと出かけていき……泥濘臥竜を目覚めさせてしまった。
「伝説の怪物! 本当にいたのか!?」
「さあ、聖女フローラさま、やっつけちゃってください!!」
「これで聖女最強伝説がまたひとつ増えますね!」
聖女は無敵で万能だと信じて疑わない(周囲へ、自分を崇めるように仕向けたのはフローラ自身だが)取り巻きたちは、泥濘臥竜の威容を見ても無邪気に盛り上がるだけだったが、当のフローラは顔面蒼白になっていた。
「ちょっ……冗談じゃないわよ!!!? なんであんなバケモノが沼の底にいるワケ?!!」
「お、落ち着くんだフローラ。おそらくあの魔物は、汚れた泥を食って生きている。浄化してしまえば、やつの生命力は失われるさ」
声が上ずっているものの、あれほど巨大な生き物は通常の食事をしていないだろうと分析したアンジェロの言に、フローラもうなずく。
「な、なるほど……浄化の秘蹟!!」
フローラの放った浄化の花びらが、泥濘臥竜に直撃する。
巨竜の全身を覆っていた苔や泥が取りのぞかれ、さらにワーム自体も縮んでいくように見えた。
「や……やったわ!」
「さすがわが妻フローラ!」
『聖女フローラさまバンザーイ!!!』
……と。
《ずもぉぉぉおおおお〜〜〜》
泥濘臥竜はその長大な身を震わすと、口から大量の泥流を吐き出した。
「えっ……いやあぁぁぁあああ〜〜〜ッ!!!?」
「ぐわ〜〜〜?!!」
『助けて聖女さゔぁぁぁ〜〜〜ッ!??』
泥の大波をかぶって、フローラたちはどこかへ流されていった。
すっかり透明な池になってしまった巣から這い出すと、泥濘臥竜はのそりのそりと、スワンプランドの都へと近寄っていく。
巨大な無翼竜の接近はすぐに衛兵隊により発見、報告され、都は大混乱になった。
「愚かなことを……これも、チカラだけの聖女に頼った報いか」
災厄の化身を前に、城壁上に立った王は自嘲気味につぶやいた。
戦っても無駄だと判断して、衛兵たちが人々を避難させている。だが、はたして全員が逃げ切れるものだろうか。
「父上、お早く!」
内親王カミラが声をかけたが、王はゆっくりとかぶりを振った。
「わしはいい。カミラよ、愚かなアンジェロに代わって民を守るのだ。頼むぞ」
「父上!」
「ここで押し問答をしておる場合か。王族の責を果たせ。愚かであったわしとアンジェロのぶんも」
くちびるを噛み締めて、カミラがきびすを返そうとしたそのとき。
『わたしたちがこの怪物を食い止めます。みなさんは早く避難を!』
拡声の魔法で増幅されているらしい、大きな声が都中に響き渡った。
「あれはなんだ?」
「巨人だ、巨人が空を飛んでる!」
人々がつぎつぎと上空を指差し、カミラにも、巨大な人影が泥濘臥竜と都のあいだを隔てるように天から降り立ってきたのが見えた。
身長30メートルはあろうかという巨人が、白銀の重甲胄をまとっているような姿。
「その声……ボイラなの?」
いかなる高性能な聴音魔法であろうか。カミラに応え、巨人から間違いなくボイラの声が返ってくる。
『そうです、カミラさま。早くみんなを安全なところへ』
「あなたはきっと、このスワンプランドの危機に駆けつけてくれるって、信じてた。こっちは任せて!」
カミラは城壁から駆け下り、衛兵たちへ指示を出して人々の避難誘導に徹する。
白銀の巨人へ、王が声を張った。
「泥濘臥竜を殺してはならない。その竜が吐く濁流こそが、スワンプランドのすべての水の源なのだ」
『了解!』
王の話を聞き、巨人――駆動城塞の機内で、ボイラは遠隔モニタ越しにリハルトへ笑いかける。
「だそうですよ。いきますかリハルトさん」
「このデカブツを生け捕りか。やりがいあるね」
リハルトが操舵桿を倒すと、DFはぬかるむ地面をものともせずに、泥濘臥竜のほうへと突き進んだ。
なお、「ドリヴン」ではなく、間違っている「ドライヴン」読みなのは、響きがカッコいいから、以外に理由はない。
《ずむぉぉぉおおおお……》
近寄ってくる巨大な人工物に脅威を感じ、泥濘臥竜の背びれが逆立った。
屹立した背びれのあいだにスパークが迸るや、泥濘臥竜の口腔から、泥水ではなく破壊光線が吐き出される。
周囲の沼を干上がらせながら迫る破壊光線は、しかしDFの白銀の装甲面にはじけて四散した。
《ぐもぉぉぉおおおお!》
長大な身をのけぞらすように持ち上げた泥濘臥竜が、今度は鉤爪の生えた巨大な前肢を打ち下ろす。
都の城壁でも木っ端みじんになっただろうその一撃を、DFは片腕を上げて軽く防いだ。
「ふっ……あらゆる魔物の攻撃を撥ねのけるこの超重装甲。こいつを発明したまではよかったが、既存のどんな魔力炉を使っても動かすことができなかった。ボイラ嬢の圧倒的出力と出会うまでは!」
ついに己の理想が現実に動いている、設計仕様どおり巨大な怪獣を圧倒している、という高ぶりに、操縦室内でリハルトは吠えた。
そう、DFを駆動させているのは、超高圧の蒸気式ピストン。
ボイラは、無敵城塞の動力源としてリハルトに迎え入れられたのである。
泥濘臥竜を抱えて押さえ込み、DFが大地を離れた。巨体を空中移動させるのも、超圧縮された蒸気の力だ。
フローラによって水が透明にされていない、大きな沼のひとつへやってきて、リハルトは泥濘臥竜を解放する。
《うももも……》
居心地のよい泥に全身を覆われ、落ち着いた泥濘臥竜は、沼の底へと帰っていった。
「おみごとでしたリハルトさん!」
城塞操舵の妙を讃えたボイラに対し、操縦席から降りたリハルトは、蒸気を生み出すためにタンク室にいるボイラのもとへと機内を這い進む。
「ボイラ嬢、あなたがいなければ、こいつは一歩も動けなかった。全部あなたのおかげだよ」
「いやいや、わたしは湯沸かししてただけで……!?」
両手でほおを包んでくるやリハルトに口で口をふさがれて、ボイラの顔からも湯気が上がった。
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泥濘臥竜を鎮めた、救国の聖女ボイラと発明王リハルトは、スワンプランドの人々から熱狂的に迎えられた。
リハルトは駆動城塞以外にもさまざまな蒸気仕掛けのからくりを発明しており、ボイラの生み出す蒸気の力で、水汲みポンプや昇降機など、多くの文明の利器がスワンプランドの生活を豊かにした。
ボイラとリハルトの夫妻は王から侯爵位を贈られ、ふたりの息子は次期女王カミラの娘と結婚し、王統にも連なるようになる。
なお、全身汚泥まみれで発見されたアンジェロ王子と聖女フローラ、その取り巻きたちは、とくに命に別状もなく助かった。
とはいえ、アンジェロは継承権を剥奪されたし、フローラも聖女の地位から降ろされたが。
さすがにスワンプランドには居づらくなったアンジェロとフローラは、取り巻きたちとともに国を出ていった。浄化の秘蹟を持つフローラに頼れば、食いっぱぐれることはないだろうけれど。
泥濘臥竜の泥を浴びて以降、フローラたちからは常になんだかドブのような臭いが立ち上るようになっていて、浄化の秘蹟を持ってしても決して消すことができなかったとか。
沼の守護神を怒らせた、報いだったのかもしれない。
おしまい
唐突に巨大ロボが出てきたのは賞に応募するためです。
書いてみたかったんですよ聖女ロボ。いいきっかけになりました。