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神の見し…  作者: cytus
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大和条約

この世界の歴史は令和の私たちの知るそれと大きく異なっている。まず、皇国は対華二十一か条を撤回している。皇国の大陸権益は朝鮮半島を除いてすべて放棄されている。皇国は蒋介石を「民主主義を笠に着たファシストである」と非難し、汪兆銘政権を支援して支那内戦を起こした。新体技術によってほぼ不死の体を獲得した汪兆銘側の快進撃は目を見張るものがあり、内戦には汪兆銘が勝利した。蒋介石は処刑され、生き残った汪兆銘は皇帝たる宣統帝溥儀を象徴に頂き、民主制を布いた。「規律正しさ」というものを皇国軍に教えられていた中華連邦軍の兵士は、行く先々で犯罪が起こる八路軍より余程民衆の支持を集め、コミンテルンは中華ソビエト共和国を見放した。一方欧州では世界恐慌の影響で不景気が続く国、特に独逸や伊太利に豊かな皇国が大量の投資を開始。二国とも皇国の経済圏に組み込まれ、二国に広がった漠然とした不安は解消された。皇国は露助が凍らない港を求めていることも知っていたので、芬蘭などの北欧諸国、土耳古などの亜細亜系国家などと反共同盟を結び、同盟諸国に皇国軍が駐屯することとなった。また、芸術面では「アドルフ・ペルツル」や、「パブロ・ピカソ」といった左派系反共芸術家が有名となっていた。皇国と深くつながる国とそれ以外の国での技術レベルの差が顕著となっていたので(アルザス・ロレーヌでは独逸復帰運動が起こるほどに独逸の発展は顕著だった)、英吉利や仏蘭西などは皇国を主体とする反共同盟に入り、皇国の技術が一部手に入るようになっていった。この状況に不満を抱いていたのが、令和の我々の歴史では超大国となる二国、亜米利加合衆国と屹戸社会主義共和国連邦である。米国は先述の理由で、ソ連はユーラシアが反共に染まっていくことに不満を抱いていた。当然のように二国は同盟を結ぶ。クレムリンとワシントンが手を組んだ。日英同盟もどきのその同盟は共通の敵たる皇国に対するものとして結ばれたため、非常に脆いものっであったが、南米や中央亜細亜などもその勢力圏としていたために、非常に影響力を持っていた。ジョンブルとジョナサンの兄弟仲は段々と険悪なものへと変化していき、マリアンヌとボルシェヴィキは段々とその仲を悪化させていった。皇国、英国、独国、仏国、蘭国などを含めた軍事条約、楳柄瑠条約が成立し、新興の共和国と旧来の君主国群はその対立を愈々深めていった。世界中で軍事的な衝突が散発し、天皇陛下はその御心を悩ませていた。そして、後世の研究において米国、及び屹連はその内部に存在する巨大組織に悩まされていたとされており、皇国の技術資産を二方向から侵略し、略奪することを目的としていたことが、その巨大組織、異常基金の構成員から漏れていたりする。経済が疲弊した米国では、「皇国を潰せ」という言葉が、財界から叫ばれており、米政府はそれを無視することができず、また、つい九十年ほど前まで未開の蛮国であり、黄色人種の国だ、と油断していた米国首班はのちに合衆国最大の恥辱とも呼ばれる合衆国及日本国間協定ノ基礎概略を提示する。その後、米国民は本土に皇軍が爆撃をしたことに狼狽し、国内は講和派が多くを占めることとなり、トルーマンは捕縛されることとなる。米国は皇国と講和条約、戦艦大和の上で大和条約を締結する。ここまで僅か一か月、両国とも人的損耗が少ないことに胸をなでおろし、米国が皇国の戦費を負担するだけに済ませた。

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