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だから、まだ、僕達はベストフレンド

作者: 鍵ネコ

親友。


その響きはとても心地よい。

まず、親しいという漢字の画数が多いのが好きだ。

そして平仮名にしたならそれは「しん」になる。


しん。


つまり、「し」から「ん」までの距離をその言葉は一つで紡いでる。50音表の中なら36文字の合間を取り持っている。


そして次に友。


これは画数が少ないながら的確に関係を表している。

1文字でそれはとてもいい仲を表してくれる。


それに、「友」という漢字は又とナで構成されている。


「じゃあ……またね…」


それは切れない関係性を暗示している言葉だと言える。そんな漢字が並んで出来上がる言葉。



親友。



これほどまでに美しい言葉はない。



「………」



ところで。



「…また…ね……」



親友という漢字は、男女を前にしてもその漢字のままであり続けてくれるのだろうか。

姿や形を一切変えずに存在してくれるのだろうか。

また、会う事ができるのだろうか。

その時、僕らはまだ、親しい関係を維持しているのだろうか。


見上げた先にある自宅の2階。

雨粒が畳み掛けるように僕の部屋の窓を叩いている。


ガラス越しに見える観葉植物と、ここからだと目が合った。毎日水やりをしているから今日も元気に葉を伸ばしている様子。


あの子はまだ雨水を知らない。


ブチャブチャと、道路を覆う水の膜を踏み抜く音はもう遠くなっている。


その音はちょうど親友が帰るということで見送る為に外に出た時に聞いた音。

まぁでも、外に出た後は正直見送ったと言えるほどその背を見届けていなかった。


僕は目を背けた。

そのまま、自室に目を向けているだけ。

きっと全部、あの中に置いてきてしまった。



雨の音がうるさい。



段々とボルテージが上がる、雨が地へ寝入る音。


ここは住宅街で、大きな道路からは少し遠いとこにあって、細道で。だから車とか人通りの喧騒とかない。


本当にただただ、雨の音だけが鮮明にうるさい。



轟々の音々(ねね)



耳のドアをずっと叩きつけてくる水の来客者。ドアはほぼ永遠開いているのだから勝手に入ればいいのに。


実際もう何粒かは入ってきている。


今日は豪雨の予報。

僕はそれをお昼頃に知った。


朝は寝坊で急いでいて、それこそ朝ごはんを食べる余裕がないくらい急いでいて、毎日見ていた天気予報の事すら忘れて慌てていた。


親友から聞いたその予報は外れなかった。

本当に予報通り、雷雨ではないけど通り雨でもない。

ただ、強い雨がここにいる。


夏に差し掛かる頃。


湿気が多く、飲み込む空気が生ぬるくなってきた時期。高校が衣服の移行期間と称し、無理やり長袖から半袖に変えさせてきた矢先の今日。



多くを露出した肌が、ヒリ付くほどに雨が重くて痛い。



自室から目を離し、空を見上げる。


それはとても黒い雲の群衆だった。


そりゃあ雨が降らないわけがない。


「………」


でも僕達は傘を差していない。

差さないまま家へ帰っていく親友を、傘をささないまま僕は見ていた。



圧倒的な雨量に犯される衣服の全て。



靴もぐちゃぐちゃで、明日学校に履いていこうにも乾かないだろうなと一思い、頭にぶら下げる。


パンツも、とても濡れている。

黒いブリーフだ。

適当に買った何の思い入れもないそんなもの。

安上がり。



僕はまた、きっと、これを今からお風呂場で脱がないといけない。



僕は雨の喧騒を背に冷え切った身体を引きずって、ようやく家の中へと足を入れた。

その指先は、とても冷たい。


これもまた雨のせいなんだろう。


家に入り、ビタタタタと、玄関にかき氷を作るように水を垂らしてみぞれを貯める。

体温のせいでその水は微妙にぬるい。


肌を駆け、指先に落ちた水の温度は気持ちが悪かった。


(怒られるな…)


それは母親…ではなく、母親なんかよりも綺麗好きな父親にだ。


父親は雨の日は必ず玄関前で水を払い切ってから入れと言っている。それは昔からで、それを破ったらかなり思いっきり怒ってくる。


僕はその父の怒りに微妙に理解を示せていなかった。


別に乾くしいいじゃん、という感想。


ただそれを言えば火にガソリンを撒くようなもので、僕は心の中にガソリンを溜め込んだまま理不尽に平伏していた。


少なくともこれは僕にとっての理不尽だった。


けど、それも今はどうでもいい。

それが嫌で今まで守ってきたけど、逆に今までが免罪符になってくれるんじゃないかという観測的希望もある。


玄関のヘリに脚を登らせ、絞っていない雑巾で床を拭うように歩みを進める。


開きっぱなしの脱衣所と風呂場のドア。


そこにはまだほんのりと熱気が残っている。

シャンプーやリンスーの香りも残っている。


雑に洗濯機に服をパンツをと放り込んで、その音を耳に入れながらドアを僕は閉める。


流す水は雨なんかよりも断然暖かく、気持ちがいい。

それこそ人肌にちょうど良くて、なんだったら抱きしめられているくらいの抱擁力を持ち合わせている。


敢えていうなら柔らかくもなければ、腕にも胴程にも太くない水の線達。彼らはあれを再現できないだろうという話。


案外、胸の柔らかさより乳首の固さの方が背に残っている。


今日二回目のボディーソープ。

さっき洗ったから過洗いなんだろうけど、それでもゴジゴシ洗いたかった。

背に残るあの感触が、ずっと、残ってるから。


裕二(ゆうじ)…私……』


耳元で掛けられる生暖かい吐息と甘い声。

でもかなり震えていた声。


回してきていた腕。

その先にある、僕の鎖骨に触れる両の手はシャワーの水を受けてもなお冷たかった。


そして、親友は多くを語らなかった。


ただ突然お風呂に入ってきて、シャワーを前にする僕の背に抱きついていた。


先にお風呂に入ってもらっていたから、濡れて冷めた体を洗うためにお風呂に来たわけじゃない。

ずぶ濡れだった髪はいい感じにタオルドライされていた。


だから流石に、お風呂好きが高じてここにいると言う訳じゃないのも察しがついた。


僕はあの時、どうなんだろう。

多分ドキドキしていた。

股下を覗けばそれなりに身構えていたのだから、多分ちゃんと女の子として親友を認識していたんだと思う。


そんな僕を見た親友はただ何も言わず、僕の腰に手を添えた。


触らない。

触ろうとしない。

いや、触ることを躊躇っていた。


やはり全然冷たい手。


シャワーの口を調節してその手を温めようとしたら、親友はアハハと乾いた笑いを発して、そっと体を引いた。


彼女はその後すぐ浴室を出た。


僕はそんな親友が気がかりで、シャンプーやリンスもせず風呂を上がった。

そんな時、目に映った物。


脱衣所には紫色の妖艶なブラジャーとショーツ。


意匠も凝っていて、タダならぬエロスがそこに鎮座している。


雨に塗れて、匂いが強い。


女の子はどうもいい匂いのする生き物みたいだ。

そしてこれがフェロモンと言うやつで、僕は生物学上オスだからこの香水よりも良い香りに酔えてしまうのだろう。


ブラのカップは一般的に言えば大きくない。

けど別に僕は思う。


胸なんてどうでも良くないかなって。


そもそも胸が大きすぎる事に嫌悪感すら僕は抱いている。


それもこれも、中学生の頃。

ネットにあった違法エロ漫画サイトを読み漁っていた時に出てきた女性の体が6割7割方巨乳やら奇乳やらだったせいだろう。



現実離れしたエロはとても、不快だった。



だから僕は余計にそのブラをエロいモノだと認識して、見つめていた。


棚に取り敢えずと置かれたブラ。

フック付きの紐は棚の外へと垂れている。

重力に抑え付けられ、直角に落ちているその軌跡すら、エロかった。


少し、僕の呼吸に熱気が纏うようになっていた。

少し、呼吸が深い。

少し、呼吸量が多い。

少し、吐き出す息の量も多い。



今まで僕は親友を女として見ていなかった。



それは別に何かがきっかけだったとかじゃない。


寧ろ逆だ。


何もキッカケがなかったから、僕は親友という造形を平行線の真上に置いていた。

それはあの時からそうなっていくはずだった。


でもそれは今、今日、この時、うねった。


その手応えを、自身の胸の動悸で感じ取った。


親友はきっと待っている。

鈍感な人間でもここまでされれば察しもつく。


でも、そこへ向かわせる足取りは重い。


親友が待ってくれているのであろう自室。

そこへいく為には階段を登らなくちゃいけない。

なのに一段一段ヤケに重たくて、この日ばかりは重力を恨んだ。


この家の手すりを生まれて初めて握り、僕は登る。


登って、脚を上げて、足を置いて。


またそれを繰り返して。


そうやって何とかついた僕の呼吸はとても荒い。

荒かった。すごく。


それは運動後の荒さではない。



僕はきっとちゃんと、オスなんだ。



割れてない腹筋。

ガタイがいいわけでもない。

中肉中背。

顔も特別良くはない。

逆を言えば悪くもないのが僕の良いところ。

脚は女性よりかは太くて、運動している男性よりかは細い。

肌もどちらかと言えば白くて、不健康的。

別に栄養が足りていないわけではない。

母親は栄養調理師で、献立の栄養は寧ろ一般家庭よりも高い…はず。


これは、そう。



ただひたすら、僕が積み上げてきた僕のスペック。



ただの、等身大の僕の解像度と設定集。


『遅いよ……。ちょっと…寒かった』


裸で、体育座りで、そして僕の布団を背中からかけて、ベッドの上からこっちを見つめる親友の姿。



胸が、ひどく疼く。



息が、うるさい。



『ごめん、なんか飲み物ないかなって冷蔵庫漁ってた』

『えー…ひどーい』

『……水。…あった方がいいから。こう言う時』

『………そ』


冷蔵庫なんて全く漁ってない。

僕はきっと初めて親友に嘘をついた。

ついた事のない嘘を吐いて、僕の心は少し黒く染まった気がした。


ベッドに自分も腰掛けると、少したゆんとベッドが揺らぐだけ。ギシッなんて音、全くしない。


とても静かで。

とても、いつも通り。


『布団、入る…?』

『僕の布団なんだけど』

『今は私が所有者です』

『……』


ムフンとしたり顔を浮かべる親友。

それはいつもの顔で、この時だけは何と言うかいつも通りの様子のままだった。


でも、この瞬間、僕だけが変だった。


全く意識していなかった身体。

その曲線美。

ミディアムボブの綺麗な黒髪。

それは風呂上がりだからか艶やかで、どこか湿っていて。そう言えば彼女は美容室でトリートメントしていると言っていた。そりゃあ、綺麗なわけで。

美容も気を遣っていると言っていた。

多少のニキビの赤みはあるがとても綺麗な肌。

彼女が纏っている香りは細工なんてされていない、生の香り。ちょっとウチのリンスの匂いが強く感じるが、やはりその匂いの中には彼女の成分が多分に含まれている。


僕が何も言わないままソッと親友の手を握ってみれば。


『少し汗ばんでるんだけど』


なんて指摘を突きつけられる。


『鈴鹿のは、冷たい』

『冷え性なので。それにこの時期からはもってこいでしょ』


えいっと首筋に当てられる細い指。

やっぱりそれは冷たくて。


『………震えてるね』


ここでもそれは震えていた。


『……そりゃ…ね。私だって…人間ですもの』

『…知ってる。エビが苦手なのにエビの天ぷらとか伊勢海老は食べられる所とか多分宇宙人でもいない』

『だ、だって…美味しくないもん…』

『…好き嫌いは仕方ないよ』


僕は荒い呼吸を悟られないように息を止めたり言葉を紡ぐ事でなんとかしようとしたが、頬を赤らめる彼女はきっと、それにずっと、気づいている。


『…ねぇ鈴鹿』


ギュッと手を握ると、それは同じくらいの強さで返ってくる。


『なに…』


その声はとても甘えているような声だ。

きっと、それもきっと僕の雰囲気を感じ取ってのことだ。


僕は初めてメスの声というものを聞いた。


文学的には甘ったるい声とかなんだとか言われるけれど、それは間違っていた事を僕は思い知らされている。これは、心の底を掬い上げねっとりとまとわりついてくるような音色だ。


言葉じゃない。


感触が全てだ。


もっと細部まで表現しようとすれば、それは間違いなく今の日本語では語り切れない程に緻密で凝縮された感触。もはや本能的な感受性。


いや、これが正しい。


僕も鈴鹿も、ちゃんとオスとメスだ。

だから誘い誘われ、興奮し、拒めていない。



高鳴る鼓動なんて浅い言葉。

今の僕の心臓は寧ろ落ち着いている。



ゆっくりとした心臓の音。


僕は僕の布団だと主張するように奪い去り、鈴鹿を押し倒す。


僕達は高校2年生。


2年生にもなれば発育もほぼ頭打ちに差し掛かる。特に男女の身体は顕著で、こうして覆い被さると痛感させられる。


自身の1年での成長。


出会った高校の1年次。

当初は僕達は同じ身長で…いや、僕の方が身長が少し小さくて、鈴鹿によくからかわれていた。


そう言えばその頃からこの子はスキンシップが多かった。


それは僕だけにじゃなく、女の子にも男の子にも。

それをみて始めは……そうだ。

僕は嫉妬紛いの感情を持ち合わせていた。


けれどいつしかその感情は落ち着きを見せて、平行的に進んで行った。



その気持ちの変遷は1年。



人間の気持ちの流動性というのはとても高い。

ただ、僕達の関係は固体のようなものだった。

それは、出会ってから暫くした後からずっと。



でも、今それは動き出そうとしてる。


僕は自分よりも10センチ身長の低い鈴鹿に手をかけている。頬に指を添えると鈴鹿は恥ずかしそうに目を背ける。紅潮した顔をとてもとても愛おしく感じて。



想起する。

昔の気持ちが。



それと同時に再起した。

今の僕が抱き抱えている重たい気持ちが。


『ゴム…買ってるんだよね』


鈴鹿に声をかけると、沈黙が続いた。


『………』


何も言わないがわかっている。


ここまでやって無策なわけが無い。

きっと今日、彼女は初めから僕の家でするつもりだった。そのはずだ。


『…ん"……』


とても小さく鈴鹿は唸る。

唸って、掠れた声を出す。

とても恥ずかしそうで、とても可愛らしく。


そうして僕の胸に突き当てられる長方形の箱。


ビニールは剥がされていた。

ずっと握られていたんだろうけど、その黒い箱は冷たかった。


『なにがいい…とか、やっぱ調べても…良く、わかんなかった』

『それで蝶々の奴を選んだんだ』

『……可愛いから、ゴムも可愛いのかなって…』

『可愛さ、いるの』

『………』


彼女はもう知らないと言った風に顔を背けた。


そうして感じる強い色気。



僕達はキスをした。



それは僕達の関係上初めての事で、初めての事だけど別にド下手なんてことはなかった。

結局どっちも過去に経験があった。

でも、そんな事どうでも良い。


長く、エロいその空気を僕は入念に味わって。

途中途中でわざとらしく抱きしめる腕に力を込めて興奮度合いを表現して、興奮してもらえるように促していく。


そうして色々として、時間はどっぷり過ぎていって、いつの間にか聞こえなくなっていた窓を叩く雨音が突然、耳に届いた。



それは本当に直前での事。



僕は興奮していながらも、とても冷静だった。

心臓ももうずっとその調子で、多分それは何処か引っ掛かりがあったから。



僕達は親友だ。



そもそも親友という言葉を投げかけてきたのは鈴鹿だった。高校1年の二学期あたり、突然といつもつるんでいた女子グループの中に放り込まれ、頭をワシワシされながら告げられた言葉。


僕はあの時、表に出さなかったがとても傷ついていた。


でも、今はその親友という言葉を好きでいる。

それは、多分、僕の心の波の一切がそれに押し潰されてしまったから。


そうして残った親友という言葉だけを、ただ見つめていたからなんだろう。


親友という言葉がずっと頭に残って、始めは食欲がなくなって、次に親友という言葉をスマホで調べて、次に知恵袋で似たような話を求めて探し回った。


でもひと月もしたら流石に心に余裕が出始めて、いつしか親友の文字を分解して楽しむまでになった。


そう。


僕がきっとここまで「親友」というひっかかりに脚をつまづかせているのは。

親友という言葉に固執して平行的な関係を作らせていたのは。


まごう事なき、君のせいなんだ。


『裕二…大好き……』


雨森鈴鹿(あめもり すずか)


けど。

僕は。


田晴裕二(たはれ ゆうじ)は。



もう君の事を、好きじゃ無い。



だから、思う。


遅いと。

何で今なんだと。

強く、思う。


『ゆう……じ…?』


タポタポと、鈴鹿の柔らかなお腹に涙が落ちる。

込み上げ、競り上がる苦しさに蓋をしようとしているのに、勝手に目からそれは落ちていく。


『もう…おせぇよ……』


僕の身体は確かにオスで、鈴鹿の事をメスとして見ていられるほどに正常だった。


けど、それを覆い照らすのは、僕の心だった。


親友として築いてきた幸せを、楽しさを、それらを思い返す僕の心の悲鳴。


『僕は…もぅ、とっくの前に諦めて……』

『………』

『だから…もう、親友で良かったのにっ…』


この場で絶対言うべきでは無い言葉を、僕は置いてしまった。


その言葉を聞いて、鈴鹿は……どんな顔をしていたのだろうか。わからない。

潤んだ視界が、見せてくれない。


そうしてここに残ったのは、香りと、思いと。


…いや、僕達の全部だ。

今日ここで調和し、発散されるはずだったそれらが。

全部、この部屋に放置されてしまった。


それからの事はよく覚えていない。


ただ気づけば僕は服を着て、鈴鹿に服を貸して、そうして玄関の外へと脚を飛び出させた。


玄関に置いておいたびしょ濡れの学校カバンを背中に引っ提げ、顔を見せないまま親友は言う。


「……また…ね…」


多分その言葉は、明日からの関係が崩れないようにするための、鈴鹿の優しさなんだろう。


僕はそう言う気遣いのできる優しさが鈴鹿のいい所だと思っていたし、好きだった。


でもやっぱり、思い出の中にあるだけで、今の僕には持ち合わせていない気持ちだった。


きっとそういうのも含めて僕の部屋に全部残っている。


それは今日の事も。

僕が親友という言葉に取り憑かれたあの日からの僕の残像も。

一個しか使わなかった開封したゴムの箱も。

何も満たされないままゴミ箱に捨てられたそれも。

何も無いまま終わったあの空気感も。



もし、何か動き出すのだとすれば、それはきっとあそこから始まる。



僕は2度目の風呂から上がり、そしてあるものの存在に気づく。


(忘れてる…)


明らかに僕に意識をさせるために置かれていたブラとショーツ。


香りが、まだ、いい。


時間が経っているのにとても不思議だ。


そして思い出す、あの瞬間の匂いを。

空気感を。

甘ったるさを。


(僕は…)


好き、とは何なのだろうか。

昔、確かに僕は彼女の事が好きだった。

それは間違いなくて、しっかりこの胸に刻まれている。


でも今はもうその刻み込んだ瞬間の温度は忘れている。しっかりと思い出せないほどに落ち着いていて不明瞭。



たった一年で、変わってしまった思い。



なら、もしかしたらまたこの一年で変わってしまうのかもしれない。


もし、変わるのだとしたらそれはどんな風になのだろうか。親友という文字が消え、画数も変わり、恋の人に変化するのだろうか。


今は漠然とそんな事に発展するとは思えない。

けど、昔の自分が今の僕達の関係を想像し得たかと言えば全然そんな事はない。


だから、何か変わる事があるのを否定しない。


(僕は…鈴鹿と…)


でもそれは、その分岐点は、刻一刻と迫っていると思う。そしてその分岐点の締切は今日。



鈴鹿に向けられた好意。



僕はそれ自体は真摯に受け止めるつもりだったし、嬉しかった。そこに思いがないだけで受け止める事は容易かった。それだけ、拒絶感はなかったという事。


でも、鈴鹿にとって今日の出来事は僕からの拒絶を突きつけられた、そんな日なんだろう。


それは、おそらく、あの日、親友を突きつけられた僕と同じ心境、なんだと思う。

それを思うと、僕は心が痛んだ。


(でも、鈴鹿が悪い……)


それを否定する奴はいない。

いや、僕はそれを絶対に聞き入れない。

そこは頑なにして守り抜く。

そんな所存だ。


ただ、それと同時にあの時の苦しみを。

たった人生の1ページ。

たった1ヶ月だけの苦悩。

それでも人生の端から端まで駆け上がっていくような壮絶で壮大な絶望感を。



僕は思い出す。



それを、僕は親友に十全と味わって欲しいかと言えば、いくら事の張本人だと言えど、受け入れられなかった。


僕は台所の引き棚に突っ込んであるビニール袋の中からなるべく透けていない袋を取って脱衣所に向かう。

持ち上げたブラは重たくて、冷たくて。

震えているようにも感じた。



いや。

この震えは僕のものだ。



でも、それを堪えて袋に詰める。

詰めて、私服に合わせるためのバッグにそれを入れる。部屋に置いてあるゴムの箱もまた、そこに詰め込んだ。



これは優しさなのだろうか。



心からの親友としての、相手を大切にしたいという思いからなのだろうか。


ならこの大切にしたいという思いは、好きとは…違うのだろうか。


親友というのは、どこまでの事を指すのだろうか。


僕なりに見つけた答えは、あの頃からあった。


それは単純に、相手の好意を期待しているかどうか、と言う話。


好意を向けて欲しい、向けられて嬉しい、自分だけに向けて欲しい。



消化欲求、承認欲求、独占欲。



これら恋にまつわる事象をまとめて表せる事象はこれしかないと考えている。

それは親友を突きつけられたあの日があってこそたどり着いた思考。



そして親友という立場から見た時、そうした欲求が非常に平坦な事に気づいてしまった。



この持論は一生覆せないと強く思っている。



僕は今、傘を差した。

靴は長靴を履いている。

台所に行ったついでに500mlの天然水を2本、バッグに入れてある。



チャプンと踏み出す第一歩。



もし、何か動き出すならあの部屋からだろう。

けど、良くも悪くも何か動きが起きるのは、何かが一度動かないと起きないものだとも知っている。


それは親友の言葉を向けられたあの日から知り得た感情が教訓となっている。



ぴちゃんと雨水を弾く2歩目。




僕はこの親友という関係の変化を求めていなかった。

けれど、今日それは鈴鹿の気持ちが押し動かしてしまった。


だからもう、動き始めている。



3歩目4歩目5歩目6歩目。



僕は恐れている。

親友という、今まで携え、垂らしてきた時間と空間がついぞ本当になくなってしまいそうで。



結局、親友という関係が一番落ち着けて居心地がいい。



…もしかしたらこの気持ちを、鈴鹿は真っ先に感じていたのかもしれない。だから、僕の気持ちもつゆ知れず、ただ一言あぁ言ってきた。


そう言うことを考え始めると、とてもすれ違い続けた関係なんじゃないかと思い知らされ始める。



交互に知る。

お互いが見ていた景色。



僕はじゃあ多分、この動き出した流れにちゃんと突き動かされないと、次は僕が鈴鹿にとっての「悪い人間」になってしまう。


それは恐らく親友という関係を最も容易く砕いてしまう材料になるんだろう。



僕は親友の関係が崩れることを恐れている。



だからそう。

今からしようとする事はとても打算的で、自分の為で、鈴鹿の為なんかじゃない。



会って、話して、ちゃんと向き合って、鈴鹿の歩みに脚をそろえようと僕は考えている。



そこに好きと言う恋愛感情は並んでいない。

あるのは親友という言葉に取り憑かれた僕の姿だけ。


でも、たった一年で変わった気持ち。

これからもまた変わっていくのだろう。


そんな期待を込めて、僕は親友との関係維持のために家を訪ねる。


インターホンを鳴らせば、何とか我慢してきたという風で。


真っ赤な目元を引っ提げた鈴鹿がドアを開けてくれた。そうして僕を一瞥した鈴鹿は無言でドアを閉じようとする。


「ちょ、ちょちょちょ、ごめ待って、話がしたいんだ。お願い、入れて」

「……」

「それに、ブラとか忘れてるだろ。それ、届けに来たから」

「……それだけ渡して帰ればいいじゃん…」

「いやだから話したいんだって。…お願い、濡れたくないから家に入れて」


あまり近所迷惑にならないように小声で追い縋っていると、少しして鈴鹿は玄関の様子を広々と見せてくれた。


「……お風呂…入る…?」


鈴鹿の家へ脚を踏みいれる。


「流石に3回目はもういいよ…」


やっぱりこうして普通に話すだけでとても楽しい気持ちになるし、だからこそこの関係を僕は壊したくないと強く思う。


そしてまだ僕の心に好きという気持ちが顔を出していない。


でも、これからする事は親友としてのものじゃない。

それを不純と言うのかは、この際はっきり言ってどうでもいい。


ただ、僕達は、少なくとも、今までの平行線に揺らぎを起こした。


それはとても小さなうねりで。


それがどう僕の心に作用するのか。

まだどちらかと言えばフラットな心持ちの僕には未知の世界だ。



そしてその世界を理解するまで、僕に取っては単なる親友との付き合いでしかない。



そう。



だから、まだ、僕達はベストフレンドなんだ。




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