01 醜いアヒルの子
ミナリア帝国、皇宮。
そこで開かれる豪華絢爛な舞踏会。
それは貴族の社交の場であり、淑女の情報交換の場所でもある。
ほら、また噂話が聞こえる。
──みて、『仮面令嬢』よ。
──まあ、ほんとう。恥ずかしくないのかしら
──先日、ナゲル子爵令息が彼女に婚約破棄を申し込んだそうよ
──あら、じゃあ、やっぱり……
──仮面の下は醜い醜女だ、というのは、ほんとうなのね
……これだから、舞踏会は嫌いなんだ。
綺麗な『仮面』の下で、私は唇を噛みしめた。
***
『仮面令嬢 』。
それが私、サーシャ・アルフの社交界での呼び名だ。
仮面のような笑顔を貼り付けているから? 表情が変わらないから? いいえ、違う。
由来はその名の通り、常に仮面をつけているから。
そして、その仮面のせいで、社交界では「見るに堪えない醜女」「家長に仮面を外すことを禁じられるような顔」と噂されているのだ。
……いえ、噂ではないわね。だって全部本当のことですもの。
家族の誰にも似ていない、さえない顔立ち。
鼻も低いし、目も一重で小さめ。唯一の自慢は幼い頃に亡くなったお母様から受け継いだ、綺麗で柔らかな亜麻色の髪と、涼やかなグレーブルーの瞳の色だけ。
高い鼻と、大きな二重の瞳が美の象徴とされるこの国。
美しさが全てである貴族社会で、私は完全なる『失敗作』だったのだ。
だから、だろう。
幼少期から、お父様にずっと言われ続けてきた。
『お前は美しくないのだから。これを人前では被っていなさい』
『お前には何も期待していない。せめて、私達に外で恥をかかせないように、礼儀マナーと学だけは身につけていなさい』
後妻となった継母──シェリー義母様は、とても美しい人だった。
お母様も美しい人だったけれど、種類が違う。
極東のサクラのような、儚く可憐なお母様と違い、シェリー義母様は大輪の真っ赤な薔薇のような豪華で華やかな美人だ。
3歳年下の義妹のマリーも、シェリー義母様によく似た華やかな美人。
どちらも、パッチリとした大きな二重の瞳に、綺麗な小さく高い鼻。この国の『美女』を絵に書いたような美しさだ。
『サーシャ様はシェリー様やマリー様とは大違い』『旦那様にも前の奥様にも似ていない。本当は拾われ子なのではないか?』『醜い子』『一族の恥さらし』──。
……何度言われたことだろう。
幼き頃は、なぜここまで言われなければならないのかと、涙にくれた事もあった。
だが、まだ仮面をつけていなかったある日。
義妹と共にガーデンパーティへと招かれた時に気づいたのだ。
周りの、明らかな態度の違いに。
美しいマリーへと集まる人々。
私は誰の目にも止まらず、誰にも話しかけられず、ぽつりと取り残される。
周りの女の子達は、華やかな男の子達に誘われ手を取り、綺麗な庭を駆け回る。
ダンスの真似事の様なものもしたりして。
女の子のために、男の子は飲み物を取ってきたりもしていた。
そんな中、自分だけが、ぽつりと残される。
1人佇む私を見て、マリーが他の女の子と一緒にくすくすと笑っていたのをよく覚えている。
──ああ、そうか。私は、本当に醜いんだ。
それからだ。
私が素直に、常に『仮面』を着けるようになったのは──。
だが、そんな私にも、婚約の話が舞い込んで来たことがあった。
それが、ナゲル子爵令息──ウイリアム様だ。
我がアルフ侯爵家は、昔から続く大きな商会を束ねる名家だ。
その商会の及ぶ規模は、国の7割を占めるほど。
領地も豊かで、国内でも資金が芳醇な方だと思う。
一方、ウイリアム様のご実家たるナゲル子爵家は、お祖父様の代に事業に失敗され、現在金銭的に厳しい状況だという。
………私だって、馬鹿じゃない。
幼い頃から、『美しくないのだから』とマナーや学問を叩き込まれてきたおかげで、頭は悪くないと自負しているの。
この婚約の申し込みが、アルフ家の資金援助目的だということは、わかっていた。
求婚が耐えなくてライバルの多いマリーでは婚約者になるのが難しいから、私を選んだということも。
それでも。
「『仮面令嬢』、いや、サーシャ。君はとても綺麗だよ」
──初めて、言われたの。
「髪の毛はよく手入れをされているし、体型だって醜くなんてないじゃないか。己を磨いている君は、とても美しいよ」
きっと、私に気に入られるためのホラなんでしょう。
けどね、初めて、『美しい』って言われたの。
……生まれて、初めて。
「涼やかで落ち着いた声も素敵だ。どうか、僕と婚約を結んではくれないだろうか」
その言葉に頷いてしまった私は、きっと殿方からすれば『馬鹿な女』なんでしょうね。
自分でもそう思うの。
認めて欲しい。愛して欲しい。
望んでこんな容姿に生まれたんじゃない。
……かわいいって、誰か1人でいいから、いってほしい。
……そう望んでしまったのは、罪なことなのかしら。
そうして、勝手に期待をして、勝手に思い込んで。
願われるままに、この仮面を外してしまったのだ。君の素顔がみたいと、そう言われて。
誰かに素顔を晒すのはとても久しぶりだった。
何度も自室の鏡を見ては、「確かに美人ではないけれど、けれど二度と見れないという程ではないのではないか」と己を慰めていたのだ。……恥ずかしい事だけれど。
だから、……だから、外してしまったの。
なんて馬鹿だったんだろう。
「……何だ、本当に醜女じゃないか」
ウイリアム様から、思わずというようにポロリと転がり落ちた言葉は、私の微かな期待を粉々に砕くのには十分すぎた。