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鐘の鳴る場所  作者: 白石春遥
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戸惑いと出会い

緑の木々たちは何に縛られることもなく、ただ風に揺られ続ける。

 葛藤と決意、絶望と希望。アンビバレントな想いから逃げる様に、翔は自転車を走らせる。初めて走るような田舎道もたまには悪くない。「とにかく家から遠くへ」という翔の荒ぶった感情は、自然の力によって少しだけかき消さられつつあったのかもしれない。不安を覚える高校生はゲームセンターで時間をつぶす。翔のそんな偏見は高校生の小遣いなど一瞬で食い尽くした。金はないが家には帰りたくない。これも翔の高校生というものへの偏見だろう。思い描く高校生像に従い、青春を友情に捧げ、謳歌した。

最後の夏休みが始まりを告げた。大してスポーツにも取り組まなかったものに「最後の夏」等という綺麗な言葉によって作り出される最後の猶予はない。友達は「受験勉強」という合言葉と共に塾に行くだの、勉強するから帰るだの、人が変わったようになってしまった。「受験とはいったい何なんだろう」。哲学的に考える自分を鼻で笑う。しかしそんな生活の変化も翔の中にあった偏見の一つだったのだが、都合の悪い偏見を忘れるのは翔の得意分野だ。自分もそうなるだろうと思い青春を友情に捧げた。しかしそんな遊ぶ癖が抜けるはずもなく、勉強に切り替えられる友達は魔法の薬を飲んだのかとさえ思った。金もない、遊び相手もいない、しかし時間はある(こともないのだが)。そんなことを考えていると、見慣れない建物が見えてきた。

荘厳な景観。大きく羽を広げる天井。金色と朱色が織りなす見慣れない色合い。それはまさしく神社の本殿だった。すぐに翔は立ち去ろうとした。神社、寺院、綺麗な庭園。「風流」と呼ばれるものを避け続けてきた翔にとって神社など縁のないものだった。しかし翔は自転車を止めた。目の前には田んぼだけがただひたすらに広がる。瞬間移動が開発されない以上、帰るのには行くのと同じだけの時間がかかる。進み続ける翔を、田んぼたちは拒まず、むしろ永遠のような時間を過ごさせる。侵さずに生きてきた領域を破るのに抵抗はあったが、他に行くとこもやることもない。翔は自転車をとめ、絡んだイヤホンをうっとうしがりながら鞄を背負い、神社の敷地内に足を踏み入れた。想像よりかなり広い敷地内はどこに行けばいいのか、見当もつかない。分からないときはローラー作戦だろう。入り口入ってすぐ右手に古い茶屋が見える。今は何も売っていないが、老人たちの休憩所になっている。そういえば入り口付近で水彩画を描く老人が多くいた。余生を謳歌するにはちょうどいいのかもしれない。学生のゲームセンターやファストフードフード店は、老人たちにとってのこの神社なのかもしれない。茶屋を過ぎると見慣れない水車と弓道の俵が見える。弓道場など初めて目にする。弓道場に沿うように壮大な回廊が続いている。こんな建物が家の近くにあった事に驚きながら、さらに足を進める。回廊を歩いてみると、多くの木々が見えた。よく見ると、上に階段が登っている。階段を登って見えてきたのはあじさいの木々。少しずつ荒くなる息が少し心地よくも感じる。植物の匂いのせいだろうか。階段を登り終えると小さな建造物。名前は何というのだろう。本殿や手水舎は聞いたことがあるが、細かいものは名前など聞いたこともない。来た道とは違う道を少し下ってみる。又違う景色が見えてきた少し人の声がする、(そういえば一瞬自分以外の人の存在を忘れていた)。神社でよく見る絵馬たちがお出迎えだ。今年の冬は自分もこんなものをかくのだろうか。対して興味もない大学の名を書き、嫌気がさすのだろうか。想像するのをやめよう。小さな池には小銭が輝く。水があると金を入れる日本人の感覚はよく分からない。休憩できそうなスペースは絵馬に文字を書き記すための座席と大きな机だった。座席も机も木でできており、よく見ると暗号のように文字が刻み込まれている。絵馬では物足りないようだ。「スポーツで全国大会出場」「資格試験の合格」「恋愛成就」。人間の欲はつきることはない。まあ願いのない高校生よりはましだろう。希望、等というきれいごとはとっくに辞書から削除済みだ。輝かしい高校生活もすぐに終わりを告げ、受験戦争といわれるこの時代の波に飲まれていく。

神様は気が利かない。青春を謳歌したい時期に勉強という果てしない難題を押しつけてくる。青春は長く見積もっても六年、中高の六年、たったそれだけ。

日本には四季がある。地理や地学で必ず聞く言葉だ。一年で四季が循環するということ。人生に循環はない。人生の春は一度、しかもたった六年しか訪れない。

そんなことを考えていたら、本殿が見えてきた。平日ということもあってか、人は神主ぐらいしか見当たらない。これだけの面積を自分一人が独り占めしている、というのは意外と心地よい。家のようなストレスも学校のような孤独、取り残されている感覚はない。これが神社の「安らぎ」というやつなんだろうか。

 携帯を取り出そうとポケットに手を突っ込むと、金属に指が触れた。毎日のようにゲーム機に投入した百円玉だ。いったいいくら彼らに吸い込まれたのだろう。青春の対価とはいったいいくらだろう。きっと数値じゃ表せない。これから何に金を使おうか。文房具や参考書をそろえるようになるのだろうか。指に当たった額は見なくても分かる。百円玉が二枚。こんないらない特技だが青春の証だ。はっと気づいた将は思い出した様に百円を取り出し、本殿の前に立つ。いつもと違う場所に百円玉を入れる。もったいなくも感じるが、今はいろんな事への判断力が自分でも落ちていると感じる。

 ―青春をもう一度味わいたいー

とてつもなく純粋で、果てしなく辛い願い。翔は深く礼をし、その場を去った。午後五時半。帰ってもいいが、どうせ家では険悪なムードに包まれ、顔を見れば文句しか言わない母親と、たまにしか会話しなのに勉強のことだけはしつこく聞いてくる父親に合う価値などない。   

そうだ、さっきの落書きだらけのいすと机。考え事をするにはもってこいだ。落書きを確認することもなく、ほどいて間もないイヤホンを両耳にかける。一人でいるやつは陰キャ。そんな偏見も今は忘れる。大音量をイヤホンで。これ以上の気の紛らわしはない。


肩に何かが触れるような感覚がした。

見ると、若い女性らしき人物が不思議そうに翔を見ている。おそらく、というか服装からしてこの神社の巫女さんだろう。翔は目を覚ますと同時に周りが暗いことに気がついた。時計を確認すると午後七時。二時間近くも寝ていたのか。自分の状況を理解した。

「もうすぐ閉門ですよ」

閉門?神社にもそんなものがあるのか。仕方なく腰をあげる。その時目の端にもう一人の女性の姿が映った。


 七月とは言え夜七時だ。日がギリギリ沈まない程度の明かりの中で、その女性は背筋をきれいに伸ばし本を読んでいる。この人は閉門のことを知っているのだろうか。そう思った瞬間「あの、閉門ですよ。」とさっきの巫女さんの声が彼女の読書を打ち切った。「あ、すいません!すぐ帰ります。」彼女は笑顔で返事をし、その場を去った。少し不思議な彼女の様子に翔は少し興味を持った。が、今の翔の状況において異性への感情など何の価値もないものだった。「あーあ、またあの家に帰らなきゃ。」翔は心の声が漏れているのに気づかなかった。というより、気づいてもどうでも良かったのだ。周りの目など気にしている余裕はない。

 なぜだろう。明日もまた、ここへ来てしまうかもしれない。翔はそう感じた。何かがあるわけでもないのに。


 自宅まではなんだかあっという間に着いた。ずっと考え事をしてたような気もするが、何も覚えていなかった。そんなもんだろう。何かを考えているときは実は何も考えていないものだ。そう、特にこの「思春期」という、綱渡りをするような不安定な時期には。この時期によく耳にする「受験で一番大事なのは、情緒が安定していることだ。」という言葉は、受験を終えた大人達から受験生への、一見アドバイスに見える無責任なしつけだと思う。


七月二十六日 木曜日

夏休み二日目。小学生のラジオ体操の音量の大きさは僕の鼓膜にまで伝わったらしい。いつもより三十分も早く目が覚めてしまった。親もまだ起きていない様子だ。昨晩は一緒に晩飯を食べたのに一言の会話もなかった。何を言われるかとストレスを感じていた俺にとってはありがたかったが、母親が何を考えているのか分からないのも少し怖かった。俺には内緒で塾の夏期講習に申し込んだりしていないだろうか。教師と勝手に俺の進路の話を相談したりはしていないだろうか。いや、それはなさそうだ。なんてったって今日は学校の補習と並行して三者面談が行われる。もちろん受験生の三者面談は進路のことしか話題になどあがらない。去年の冬休みにも同じように三者面談を行った。無意味な時間、そのものだった。

結局俺の進路など決まるはずもなく、今日もどうせなんの進展もないだろう。「こんなにも楽しくない夏休みはこの世にあるのだろうか。いや、そもそも楽しもうとすると自体が間違って入るんだろうな。今まで何にも頑張ってこなかったんだから。」

 「おはよう。」聞き慣れた声の主はやはり京介だった。一番の親友にして一番受験生の魔法にかかった男だ。一週間ほど前、京介の口から信じられない言葉が飛んできた。「俺、夏休みは毎日塾行く予定なんだ。だからすまん、もうあんまり遊べないかもしれない。」

「こいつは一体何を言っているんだ?」

昨日まで、そうつい昨日まで毎日のようにゲーセン行ったり映画見に行ったりカラオケ行ったりしてたのに、どうしちまったって言うんだ?

「おい、どうしたんだよ。お前本当に京介か?」

笑顔ながらに言った俺の言葉も京介にはまじめに返答されてしまった。

「俺実は、毎日遊びまくってるの親に隠しててさ。親は毎日勉強して帰って来てると思ってたから俺の成績の心配もすることなく、接してくれてたんだ。でもこの間、うっかり模試の成績見られちゃって。家の中は大騒ぎだったよ。『どうなってるんだ京介!毎日勉強してたんじゃなかったのか!』ってね。毎日遊び歩いてたって言ったら小遣いもくれなくなったし、おまけに知らぬ間に駅前の塾に入会させられててさ。まあ嘘ついてた俺が悪いんだけどな。」

翔は絶望せざるを得なかった。この世界に、自分の味方はもういないとすら感じてしまった。教師や親は無論敵だ。しかし、友達だけは味方だと思っていた。どんなときも馬鹿やって笑いあえると思っていたのに、、


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